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 ジェームズ・ポッターとヴォルデモート卿の戦いが始まってから半年が経っていた。

 もはや世界には海軍と呼べるものがなくなっていた。また、空軍もほとんど消滅していた。ポッターが指定するのは兵器であり、強力で目立つ兵器から順番に標的となる都合上、陸軍は最後に残ってしまった。ポッターは一人であり、不死鳥の騎士団を従えているといってもその数は限られており、何万台もある戦闘車両や一人一人に支給されるカービン銃を破壊して回ることはできなかった。

 とはいえ、陸軍が残ったために安全保障は維持されたという話は些かもなかった。海軍と空軍が失われたことで、グローバル経済は機能不全に陥っていた。

 中東を出発するタンカーはソマリアの海賊に対し為す術がなかった。小さな高速ボートに魚雷を積んだ海賊船は商船という商船を襲撃し、欲しい物だけを大雑把に奪ったあと、不必要と判断したもの(多くの場合、これこそ船の主な積荷であり、先進国の消費者が求めるものだった)は海に捨てた。経営者たちは海賊が損害を発生させたこと以上に、海賊行為の経済的非効率性に激怒した。海上保険事業は破綻し、その他もろもろの金融業も続々と破綻した。当然政府の援助を要求したが、撥ね除けられた。前代未聞なことに、金融業界へ資金を回せない理由は、歳入の50%を越える臨時防衛予算だった。市民生活に影響が及ぶ以前に、既に国家予算は戦時体制へと移行していた。

 石油と天然ガスの不足は深刻だった。原油輸入額ランキングは2015年の統計によると、米国、中国、日本、インドの順であり、その後塵を拝する形でヨーロッパ各国と発展途上国が争っていた。要するに経済大国のほとんどが原油を輸入に頼っていた。彼らは僅かな貯蓄を少しづつ切り崩すしかなかった。油田を要する米国も、巨大すぎる消費量ゆえに幾らもマシな状況とは言えなかった。天然ガスパイプラインは何者かによって、しかも複数の組織によって複数箇所、破壊されていた。彼らはポッターとヴォルデモートの戦いから見逃された武装集団だった。発電はままならず停電を頻発させ、車はガソリンを切らして路上に放置された。航空会社は何十倍もの燃料サーチャージを課さねばならなくなった。

 それ以前に、旅客機はどこからか飛来する地対空ミサイルに怯えていた。ポッターは戦闘機を破壊したものの、誰も全貌を把握していないような小さな武装集団が持っている虎の子のソ連製防空ミサイルまでは手が及んでいなかった。既に四機のボーイング、三機のエアバスがどこからともなく駆け上がってくる小さなミサイルによって撃墜されていた。航空会社のほとんどがリスク地域を飛行する国際線の無期限運休を宣言した。

 海路空路が麻痺するなか、ワールドワイドネットワークだけは生き残っていた。『謎の小規模武装集団』たちはたいがい、YouTube で犯行を逐一報告した。パイプラインを破壊したのは『謎の小規模武装集団』のうちの一つが一月前に建設した新国家を国連全加盟国に認めさせるためだった。ボーイングを撃墜したのは売国的独裁者を滅ぼすためだった。我々は民族の独立と国家の樹立を要求する。だがそれを真面目に受け取ったり、親切にも声明に応答するような人間は誰もいなかった。先進国は自国内の危機に手一杯だったし、そもそも『謎の小規模武装集団』たちに対抗する手段を失っていた。いまや『謎の小規模武装集団』たちは、特に声明を出さずとも、いわんや人目を引くテロ行為を行わずとも、単に自前のささやかな歩兵を派遣するだけで国境を切り取ることが出来たのであり、それに気付かず慣れ親しんだテロリズムの伝統に固執する様は滑稽ですらあった。

 各国はそれぞれの危機を盛んに報道し、人々はSNSで互いを励ましあった。各国の状況が如何にひどいかを扇情的に語り、悲しみ以上に悲しむ人の声が全世界でやりとりされた。限られた電力でなんとか機能を維持していたデータセンターは、大きすぎる悲しみの声とお悔やみの言葉でパンクした。だが大した問題ではなかった。情報で腹はふくれないのだ。

 問題は飢餓であった。食糧自給率の低い国は緊急事態宣言を発し、配給制を敷いた。この段になってようやく、市民にも事態が飲み込めるようになった。要するに、ポッターは我々の食料を奪い、石油を奪い、平和な新自由主義的繁栄を脅かしている。一時はダークヒーローのような憧れを受け、グッズまで作られたポッターだったが、ここにきてようやく彼は正当な評価を受けることができた。

 世界の破壊者。

 魔王。

 世論は一気に反ポッターへと転じた。ポッターを討て、ポッターを殺せ、野放しにするな、国際法廷に挙げろ。そこここで反ポッターデモが行われ、ポッターのフェイスブック・アカウントは感情的な罵詈雑言に絶え間なく晒された。しかし無駄だった。当然である。既に半年前から、各国の軍隊・警察が全力を賭してポッターを挙げようとしているのである。世論が加わったところで何の足しにもならなかった。せいぜい、ポッターに似た白人男性が自警団に捕まり、暴行を受けたあと警察に突き出されるという事件が数十件起きたくらいだった。ポッターは周到であり、世界中を敵に回すに足る力を持ち合わせていた。

 ヴォルデモート卿の人気が反ポッター機運の盛り上がりと共に上昇した。ヴォルデモート卿が特に市民の利益になることをやっているわけではないのだが、敵の敵は味方なのではないかという抗いがたい直感により、市民人気は暗黒卿を選んだ。ヴォルデモート・ファンクラブが作られ、ショッピングモールの玩具コーナーにヴォルデモートのぬいぐるみが置かれた。以前から人気だったジェームズ・ポッターぬいぐるみはそれ以前の売り場面積を維持できず、一等地をヴォルデモートに譲り渡した。

 実際の戦線は一進一退だった。どちらかがどちらかを打ち負かし勝利者が確定する展開を視聴者は望んでいたが、報道される事件の趨勢は地味なものだった。僻地の地上基地が目標となったことで、映像が撮影されることはまれになっていた。たとえ報道番組のカメラマンがうまく張っていたとしても、ポッターとヴォルデモートの姿をカメラが捉えることはなかった。決着はポッターの爆弾が爆発する以前につくようになった。爆破に成功すればヴォルデモートは諦めて姿を消し、ポッターは満足して姿を消す。ポッターの爆破が失敗すれば、ポッターは諦めて姿を消し、ヴォルデモートは音もなく兵器を消失させてから姿を消した。どちらにしろ、異変に気付いた誰かが駆けつけたときには二人の姿はなく、無残に爆破された残骸か、もしくはあったはずの物が失われた空っぽの空間を目の当たりにするのみだった。

 二人の戦いはどこか他の場所へ向かっていた。もはや世界を観客にとった舞台の上の出来事ではなくなっていた。戦場は舞台裏へ、そして芝居小屋の外へと移り変わった。


 ポッターは苦況に立たされていた。

 ヴォルデモート卿がポッター以上に魔法を使いこなしていたからである。

 ポッターは自分の他に魔法を使う人間が出てくるとは思っていなかった。魔法を教えた者については、自由に行動させつつも、厳密に監視していた。原書を自分で発見し、手元で管理している以上、自分の把握していない場所から魔法が広がることはあり得なかった。

 しかしヴォルデモート卿はポッター以上に魔法を使っていた。

 『倫理の実践』には、簡単な魔法のインストラクションと共に、魔法の原理に関する解説があった。それはあまりに原理的であり、物理学でいうところの"e=mc2"と同レベルの原理であった。ここから他の実用的魔法を導き出すことは並大抵のことではなく、十年スパンの研究が必要であった。通常はインストラクションに解説されている簡単な魔法で事足りるため、ポッターはそこに記載されている魔法だけを使っていた。

 だがヴォルデモート卿は記載にない魔法を使った。明らかに、"e=mc2"から導出した新しい魔法である。それは記載された魔法とは異なる効果を生み出すことができるだけでなく、強力であった。おそらく二千年前の執筆者は、王の力とはいえ限度があるべきであり、必要十分なだけの魔法をインストラクションの形にして記載したのだ。それ以上の力は使われることが想定されていなかった。そしてポッターも想定していなかった。

 ポッターとて、原理から新たな魔法を導出できる可能性を考えなかったわけではない。事実、信頼できる信者と共に研究グループを作っていた。インストラクションに記載されているだけの魔法では、巨大な艦艇を破壊するにたる爆発を起こせなかった。通常の爆薬に頼る必要があった。必要性は感じていたのだ。ただ、あまりに手間がかかる研究であり、作戦の実行までに成果が出るとは考えていなかった。あくまで作戦実行後、二十年後三十年後を見越しての研究であった。それをヴォルデモート卿は完遂していたのである。

 ポッターは急ぎ、対ヴォルデモートの戦術を考えなければならなかった。ヴォルデモートはポッターと異なり、兵器を消失させていた。これには何かしら意図があるに違いなかった。

 彼は考えた。消失させるだけならあれほど時間をかける必要はない。おそらく、どこかに転送している。兵器を盗んでいるのだ。破壊せねばならない兵器をどこかで保持されていては、ポッターの考える理想の世界が実現できない。いずれヴォルデモートを下し、兵器を保持している場所を特定し、排除せねばならない。

 彼は、一度は訣別しようとしていた不死鳥の騎士団を再招集し、戦力に足る人物を選び、戦線へ投入した。力の差は人数差でカバーせねばならなかった。また研究グループを増員し、早急に実用に足る新たな魔法を開発せよと命じた。

 多対一の戦術は、多少なりとも有効であることが分かった。四方を取り囲んでしまえば、ヴォルデモートは降り注ぐ火球に対応できなかった。位置取り、フェイント、コンビネーションがものをいった。彼らはテニス・クラブで磨いたスポーツマンとしての実力を発揮した。怪我人も死人も出るが、ポッターは兵器を破壊できた。

 抜本的解決ではなかった。ヴォルデモートを捕縛し、兵器を収集している場所を吐かせるまでには至らなかった。幾度も罠を仕掛け、捕縛作戦を実行したが、彼は掻い潜った。魔法の性能がまったく足りていなかった。

 ヴォルデモートは未だ動いてはいない。だがいつか動くだろう。蒐集した兵器を使って何をやろうとしているのか。世界の覇者として君臨するつもりなのか、意図はつかめないが、ポッターの計画を妨害するつもりなのは明白だった。

 半年間、苦しい戦いの中で、ポッターは挫折を味わっていた。かつてフェンウェイ・ヒルズで味わった以上の屈辱だった。十年の歳月を費やして準備した世界の解放計画が頓挫しかけていた。表面上はうまく行っていた。世界はポッターの予測したとおりに動いていた。ただひとつ、ヴォルデモート卿、そして卿がどこかに隠した兵器を除いては。それこそが琴線だった。

 

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