five
ジェームズ・ポッターは倫理学の学生であり、私は倫理学教授であった。元々は。
ケンブリッジ大学において、彼と私は師弟関係にあった。
私は規範倫理を専門としていた。法哲学から様々の応用倫理まで学際的に活動し、若い研究者を育てることにも注力していた。その中でジェームズ・ポッターに出会った。
ポッターは私のゼミナールに参加し、修士、博士と私の元で研究を進めた。ヘア、ギバード、スティーブンソンなど、関心を転々としたが、どれか一つの立場に傾倒することはなかった。おそらく、どれも完全には納得できなかったのだろう。彼は現代の我々がいかに倫理的に行為しうるのかについて悩んでいた。彼によると、現代人は誰ひとりとして倫理的に行為し得ないというのだ。博士論文で独自の思想を発表する予定だったが、結局書くことはなかった。彼が、一冊の本を見つけてきたからである。
彼はよく、外国を旅していた。チベット、インド、ベトナム、日本、南アフリカ、ルワンダ、アゼルバイジャン、ウクライナ。旅が長引いて学期に間に合わなかったり、学期中に旅立ってしまうこともまれではなかった。その度に彼は思想を混迷させていった。彼は『深めた』と主張したが、アカデミックな議論の上では混迷しているとしか言えなかった。混迷極まった博士三年目、彼はチベットから本を持ち帰り、翻訳作業をしたいと言い出した。
それは、訳すと『倫理の実践』となる題の、かなり古い本だった。書かれてから五〇〇年はたっており、写本のもととなった著作はもっと遥かに古く、紀元前のものと思われた。質の悪い紙が使われ、耐候性のないインクは年月で薄れ、所々判別しがたい文字もあった。読まれた形跡はなく、蔵の奥底で眠っていたらしかった。サンスクリットの派生語で書かれており、彼と私は言語学教授の協力を仰ぎつつ、翻訳にあたった。
そこには今でいう倫理については全く書かれていなかった。題にある『倫理』と訳した単語も、現代の『正義』や『権力』といった意味と区別されていなかった。そこに書かれていたのは、ある強力な力、魔の力を持って世界に正義をもたらすための、実践的手法だった。
魔法と訳すべき単語は出てこなかった。単に「力」と訳すべきその単語は、「倫理」と訳した単語と深い関係を結んでいた。この言語体系において、魔法と呼ぶしかない力は『倫理』を実践するものであり、為政者の権力の象徴であった。
前半は、孔子にも似た為政者のための指針が書かれていた。ここに特筆すべき思想はなかった。既にインド・中国の古代哲学において示されていた内容が、大雑把な解釈と矛楯を含む統合によって語られるのみであった。読み取れるのは、この書の出自が印中両文明の間にあったこと、ギリシア等の地中海文明に近接することはなかったこと程度だった。問題は後半の『実践編』にあった。
『実践編』は、頁が封印によって綴じ込められていた。頁は特に厚い紙で作られ、三辺が丈夫な紐によって縫い込まれており、結び目は蝋で固定され、龍をかたどった印が捺されていた。この部分は写本ではなかった。オリジナルから移植したものだった。封印により誰も写すことができなかったためだ。
元の所有者であるチベットの僧侶によると、これは王者にしか開けないよう魔の力によって封ぜられているとのことだった。常人には封印を取り除けず、紐を切ることも、そのほか無理を通してページを開こうとするあらゆる試みも撥ね除けられると。だがポッターはその封印を容易くナイフで切り裂いてしまった。それゆえにポッターはこの書を持ち帰ることを許されたのである。
中には力を行使するためのインストラクションが書かれていた。火の玉を作る方法、物を浮かせる方法、弓矢から身を守る方法、強靱な肉体を得る方法。どれも手順は難しくなく、試してみることは簡単だった。そして、書いてあるとおりの結果が出てきた。
あり得ないことだった。あって良いことではなかった。研究室の一角で、ポッターの手の中に踊る火の玉を見たとき、私はとんでもないことをしてしまったと感じた。
すぐさま、論文にして発表せねばならなかった。科学に奉仕する人間であった私は、アカデミックの手法が指し示すとおりに行動するのが最善であると考えていた。それ以外に選択肢はなかった。私には専門外の事象でジャーナルのあてもなかったが、しかし一体どこの専門だというのか。私は構わず倫理学ジャーナルに連絡を取った。しかし冗談とみなされた。知り合いのコミュニティも、直接見せて見ろと笑い混じりに言ってきた。
ポッターはこれを発表すべきではないと考えた。
彼はこの力を、写本にあるとおり、倫理の実践のために使うべきだと主張した。現代社会が倫理的というべき状態から遠く剥離していることは、ポッターが常々主張するところだった。搾取されている貧しい途上国、特に紛争状態に押し込められている国々に対して、先進国は責任があると。そして、この力には現代の社会状況を変革する可能性を秘めていると。彼は自ら王者となり、この力を王者の力として使うつもりだった。
私たちは決裂した。ポッターは米国へ戻り、私は影響力ある友人を説得しに行った。
友人は頑固者だったが、私が実際に魔法を見せたところ、驚きと共になんとか納得したようだった。彼のツテである応用倫理ジャーナルに載せる意義については懐疑的だったが、とにかくどこかへ発表せねばならないという認識は共有した。そして研究者のネットワークへ共有する一歩手前までこぎ着けることができた。
だが共有はなされなかった。それどころか、私と友人のもつ通信手段すべてが断たれていた。妨害が入ったのである。ポッターだった。
ポッターは米国から信者を派遣し、妨害工作を行った。それはサーバーへのクラッキング、言論誘導、買収工作、そして個人的な脅しなど、多岐にわたる狡猾なものだった。私に親しい人間は全員が、私を含め、家族に危害を加えるというブラックメールを受けた。友人は左足を引きずるようになった。私は新興宗教に侵されたという評価を受けた。そして大学のポストを剥奪された。
私は職のない、悪魔崇拝の信者という噂を持つ、惨めな中年となった。
再就職は難航した。多少なりとも社会的地位があり、魔法の存在を発表することのできる立場に就くことはできなかった。ポッターの妨害が働いていることは明らかだった。
私はビルの清掃員となった。惨めな年月が流れた。ポッターの監視は続いた。
一〇年間、私は惨めに年老いていった。もはや老人と言っていい年齢となり、ポッターを見誤ったことを悔恨しながら人生の第四クォーターを歩いていた。ポッターをどうにかするという発想は既になかった。ポッターは大きな動きをしていなかった。一〇年間、雌伏の時を過ごしていた。魔法の知識を独占しながら、何をするふうでもなかった。そのまま私が死ぬまで何もせずにいて欲しい、もし『倫理の実践』を行うのなら、せめて私の耳に入らないようにしてほしいと願った。
だが、ズムウォルトが破壊されたとき、もはや目を瞑ってはいられないと悟った。私には責任があった。ポッターを止められなかった責任、ポッターを教育できなかった責任が。責任はそのまま罪となる。ポッターが罪を犯すとき、私も同時に罪を得る。老人には重すぎる罪だ。到底耐えられやしない。
私は報道を続けるTVを消し、ニュースサイトを表示したノートPCを閉じた。マントルピースの上にある小箱を開け、何年も使っていない杖を取りだした。外に出て、ASDAのレジスターから二十ポンド札の束をまるごと拝借した。そしてニューヨークへのチケットを取り、ポッターの故郷へと向かった。
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