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 スカースデール・テニスクラブ。

 ジェームズ・ポッター第二の故郷。フェンウェイ・ヒルズが救世主生まれの地であるならば、ここは布教の地だ。ポッターはクラブの名を借り、一連の事件を起こした。それほど彼にとって重要な意味を持つ場だったのである。

 生き残った信者たちの言によると、ポッターは暴力とスポーツを区別して考えていなかったという。どちらも人の魂を賦活し、生物としての人間を復活させる活動だった。ポッターにしてみれば、人を活性化するためにテニスの普及活動をするという手段もとり得ただろう。だがテニスでは十分でないと考えたのだ。事実、スポーツ振興は百年ほど前からなされていたが、限定的な成果しか上げていなかった。上流階級にとってスポーツの趣味はフェラーリと等価だった。貧困層にとっては賭けの対象だったし、自分でやるとしても子供の遊びに留まった。暴力はテニスより平等だった。

 私はフェンウェイ・ヒルズで老人を訪問した後、まっすぐにクラブへ向かった。だが、存外に距離は遠かった。フェンウェイ・ヒルズからスカースデール・テニスクラブへ行くには、まずフリーウェイを通らなければならない。荒れた道を戻り、フリーウェイに乗ってニューヨークから反対方向へと北上し、二つ目のインターチェンジで降りる。ニューヨークで忙しく仕事に励むビジネスマンがスポーツクラブに通うなら、どんなにスカースデール・テニスクラブの芝が鮮やかだったとしても、もっと近場のクラブを選ぶだろう。

 フリーウェイに乗る前とは風景ががらっと変わっており、治安の悪さを示す印は微塵も見当たらなかった。高級住宅街はその伝統を維持しており、同じようなゲーテッド・コミュニティが散見されるものの、要塞化してはいない。煉瓦風にフィニッシュされたコンクリート造の邸宅が、東海岸の保守派を体現している。道路もまたいたずらに新しさを押し出さず、かといってサスペンションに負荷をかけることもない、なめらかな石畳風の舗装が施されている。

 テニス・クラブは手前を住宅に、奥をゴルフ・クラブに挟まれていた。フロントの建物は背の低い木に囲まれており、シュロが植えてあるあたりリゾートホテルのようでもあり、非日常のリラックスした雰囲気でスポーツをする魅力を演出していた。

 残念ながら、こちらは既にFBIが踏み込んだ後であり、私の車は進入禁止のテープに阻まれた。仕方なしにフォードを降り、テープをくぐって徒歩でフロントを目指した。

 白無垢材のサッシがついた自動ドアは、電源が落ちているのか開かず、中も照明が点いていなかった。警官の姿もなかった。私は遠い場所にひっそりと設置されたインターホンを鳴らさねばならなかった。だが返答は帰ってこなかった。大きな話題の中心であるにもかかわらず、クラブは静まりかえっていた。実のところ、昨日のニュースを見た会員及びコーチ陣は家に引き籠もってしまっており、この日予定されていたクラスには誰も出席していなかった。経営者はFBIに連行され、その他関係者も軒並みマスコミに連れ去られていた。

 フロントの建物は凸字型をしており、前から見るより存外に広い面積を占有していた。シュロと針葉樹の混在した庭を通りすぎ、右側の棟を回り込むと、柵や塀があるわけでもなくそのままテニスコートに出ることができた。監視カメラはあるがまばらで、セキュリティに対する考え方がゲーテッドコミュニティとはまったく異なっていた。

 三六面のテニスコートは六面ずつに分割されており、間には圧迫感の少ない意匠のフェンスが立てられ、適切に視線を遮りつつプレイに支障が出ない程度の植樹がなされていた。天然芝はよく手入れされていたが、長さが一日分伸びており、今朝は芝刈り業者が来なかったことが分かった。ネットは張られておらず、赤みを帯びつつある日光の中で、虚しくベースラインを晒していた。

 その中央に、一人の男が立っていた。

 男はラケットを軽く持ち、ボールをリフティングしていた。表、フレーム、裏、フレーム、フレーム。リズムは正確で放物線は安定しており、余裕ある動作はプロテニスプレイヤーを彷彿とさせた。白いテニスウェアはプリンスで、誰かのサインが黒いマジックペンで書き込まれており、シューズはアディダスのグラスコート用最新モデルだった。

「俺たちを嗅ぎ回ってるらしいな」

 男はボールを跳ねさせながら、私に目線を向けることなく言った。

「いいんだぜ。別に始末しようってんじゃない。口封じなんてのは俺たちのやり方じゃない。むしろ、いろんな人に知ってもらって、広めるのがポッターさんのやり方だ。オープンなコミュニティなんでね。アンタが何者かなんざ俺の知ったこっちゃないが、不死鳥の騎士団に興味があるってんなら、それだけで十分だ」

「君はポッターを知っているのかね」

「知ってるさ。知ってるとも。誰よりも知っている。あの人のことで、俺に聞いて分からないことはないだろうよ」

「私はジェームズ・ポッター本人に用事があるのだが」

「同じことさ。ポッターさんに興味があるってことは、不死鳥の騎士団に興味があるってことだ。あの人のことを理解するには、まず俺たちのことを理解してもらわなくちゃな」

 言い終わると、ボールをコートの端に打ち放し、振り返った。

「俺はシリウス・ブラック。ポッターさんの右腕だ。よろしく頼むぜ」


 シリウス・ブラックは私を防弾ハマーに乗せ、国道を飛ばした。

「俺とポッターさんは五年前に知り合ったんだ。スカースデール・テニスクラブの上級クラス。俺はポッターさんの鋭いサーブに惚れ込んだ。高いジャンプから繰り出される超高速のサーブ。230キロ出てた。プロ並みだった。俺はその秘密が知りたかった。それは要するに魔法ってやつだったわけだけど、とにかくその時の俺は純粋な気持ちでプレイに感動したわけだ。クラスが終わった後、すぐに声をかけた。ポッターさんはフレンドリーに話してくれたよ。あの人は誰に対してもオープンなんだ」

 ハマーH2は6L V8 OHVエンジンを積んでおり、彼はエンジンの最大出力をためらいなく引き出していた。片手を肘掛けに乗せリラックスした様子で話しながら、右に左に車をよけつつ、法外なスピードで飛ばしていた。

 シリウス・ブラックという名前は、当然のように、本名ではなかった。実際にはポッターから与えられた名前であり、彼はそれを誇りにしていた。彼はテニスクラブでの布教において最も早くアダプトした人間の一人であり、最も熱心にポッターを崇拝している人間だった。彼は自らポッターの理想を体現し、その思想を完全には理解できずともより親しく接すべく、ポッターの言動を完全に信用し行動していた。

「話してみると、ポッターさんは予想以上にエキサイティングな人だった。解放されてるっていうのかな、ちょっと言い方がわからねえんだが、いろんな社会とか規則とかを超越してる人なんだ。規範に挑戦していく人だった。博学だが、ひけらかす部分が微塵もなかった。天才的な知性とカリスマ性を併せ持っていた。世の中を変える人ってのはああいう人のことを言うんだと実感したよ。俺たちはよく、ポッターさんをスティーブ・ジョブズに喩える。明確なあるべき社会のビジョンを持ってるところとか、ハイセンスなところとか、な」

「あの人は現代人に活性がないことを憂いていた。みんな元気がなくなって、社会に従属する存在になっていることを悲しんでいた。俺も同感だった。父親たちはみんな仕事だけが生き甲斐で、それ以外何もない人間だった。テニスクラブに来たって、虚ろな目でボールをついているだけ。それだってまだマシな方なんだ。親世代にはもはや何もやってない人間が大勢いた。みな仕事の盛りを過ぎて、引退して、全てを失って意気消沈していた。ここらには金持ちしか住んでないし、金持ちってのは仕事の人生で成功した人間のことだ。奴らは成功した人間のはずなんだ。家を構え夢を叶え全て祝福されて引退した人間のはずだった。そんな奴らがカウンセラーとトランキライザーに依存してる。家に引き籠もって鬱々と酒を飲み、葉っぱをやっている。こんなことが信じられるか?

 俺たちはそんな人間にはなりたくなかった。人はもっと解放されてるべきだし、人間らしさを取り戻すべきだと思った。同じ轍は踏まない、仕事を人生にしちゃいけない、ってね。でも……だめなんだ。仕事ってのは人生の中で大きすぎる存在で、生き甲斐にしないわけにはいかない。休日にテニスプロを目指したって、金があって立派な邸宅に住んでいたって、仕事の巨大さの前には無力だった。週に五日、40時間。でかすぎる。テニスも家も仕事のための付属物に成り下がった。引退した老人だけじゃない、若い俺たちだって足繁くカウンセラーの元へ通ったんだ。トランキライザーも服用した。俺たちは既に人間性を失っていて、産業社会に従属していたんだ」

「ポッターさんはそれを憂いていた。スカースデールの老人も、若者も、それどころか全世界の全人類を救うために何をすべきか考えたんだ。そして、そのためのサークルを作っていた。その頃はまだ名前がなくて、単にサークルと呼んでいた。活動目的は、人間性を解放すること。人が人としてあるべき姿を取り戻すことだ。参加者はとりあえず、フェンウェイ・ヒルズの爺さん方と若者数人だ。俺もすぐに参加した。最初は驚いたが、素晴らしい経験だったよ。きっとアンタも気に入る」

「活動の効果は絶大だった。特にメンタル面への効果は著しいものがあった。カウンセリングも精神科のタブレットも、『遠征』に比べれば何ものでもなかった。――『遠征』ってのは、サークルでやってる一種の、そう、活動のことだ。『遠征』の後は年齢にかかわらず、みんな子供のように目を爛々と輝かせるようになった。QOLも上がった。友人関係も、職場関係も、夫婦仲だって良くなった。仕事もうまくいくようになった。俺はその頃転職がうまくいかず、ナイーブな状態でプライベートもなにもかもだめだった。だが『遠征』に二,三回参加しただけで、何もかも良くなっちまった。カウンセラーは不思議がってたぜ、一体何があったんだって。給料は上がったし、プロジェクトのリーダーに抜擢された。笑っちまうぜ、俺だけじゃない。本当にみんながみんな昇給したんだ。メジャートランキライザーに依存してた奴もまったく飲まなくて済むようになった。爺さん方は外に出始めた。ボランティアとか、カルチャースクールとか、ゴルフとか、旅行とか、勿論テニスとか、やることは存外あった。地域の疾病率はがくんと下がり、代わりに健康とQOLが繁栄を謳歌した。人間性が解放された証だった」

「ポッターさんの理論は完璧だった。誰にでも適用できる普遍性を持った真理だった。あの人はな、暴力性に注目したんだ。人の原初的な欲求。誰もが持っている、力を発揮したいと望む力。他人をなぐって拳に付いた血を見れば、誰もが原始の興奮を呼び起こされる。子供の頃、アリを踏みつけて遊んだことがあるだろ? 猫を蹴飛ばしたことは? カエルを膨らませるのは誰でもやるよな? それと同じさ。破壊衝動、攻撃性。それは人間性を解放する特効薬だったんだ。俺たちは暴力性のもつ計り知れない可能性に歓喜した。マンハッタンで空調の吐き出す空気を吸い、デスクとPCの奴隷となっていた俺たちに、暴力は福音をもたらしてくれた。人生の99%までを非人道的な『仕事』に吸い取られていた人間にとって、暴力性こそ欠落していたもの、それが何かわからないまま無我夢中で探し求めてきた答えだったんだ」

「魔法と暴力はいい組み合わせだった。魔法は分かりやすいパワーを与えてくれた。ポッターさんが最初に教えてくれた魔法は火の玉を出すやつで、エネルギー自体は拳銃より強いわけでもないんだが、とにかく派手で強烈だった。みんな子供みたいに喜んで、ぽんぽん火の玉を出して遊んだ。アルバの家の庭を丸焦げにしてしまったが、アルバ自身まったく気にしていなかった。それよりも杖の先から出る火の玉に夢中だった。最高の玩具を手に入れたんだ。そして早速使ってみた。『遠征』でさ」

「『遠征』は回数を重ねるごとに洗練されていった。みんながこのマントを被るようになったのは三回目からだ。警察に先に話を付けるようになったのは五回目からで、これで面倒ごともなくなった。最初は二台のランドローバーに分乗していたが、すぐ四台五台になった。人数が増えて、色々とデカいことができるようになってきた。ポッターさんはいつも楽しそうに計画を立てていたよ。どうすれば全員の暴力性を気持ちよく発露させられるのかってね。

 メインの活動は外国人の襲撃だ。治安を乱す奴らが溜まっているところに行って、思いっきり暴れる。とにかく自分のやりたいように暴れまくるのが重要だ。我慢してちゃメンタルヘルスは向上しない。アラブ人に火の玉を浴びせ、思いきり蹴り飛ばし、壁に叩きつける。なに、救急車は事前に手配してある。死人が出ても警察が揉み消してくれる。思いっきりやれば良いわけさ」

「それで、私も『遠征』に参加しろと、そういうわけか」

「ま、そういうことさ」

 走り続けたハマーH2は森を突っ切り、他の街へと入りつつあった。そこはプレザントビルだった。スカースデールからさらに一〇マイル北。この辺りならニューヨーク郊外という役割も薄くなりつつあり、整然とした住宅街のあるのどかな街のはずだった。

 しかしいまや、のどかな街には騎士団員たちが到着しつつあった。ハマーだけではなかった。ランドローバー、ダッヂ、シボレー、BMW、ランドクルーザー。全て大排気量エンジンを積んだ防弾仕様車だった。それらがハマーの周りを取り囲み、追い越し、時に蛇行しながら、ハイスピードで街にむかって疾走していた。一般者に幅寄せし、煽りながら、誰もアクセルを緩めることはなかった。

 シリウス・ブラックはいつの間にか黒いマントを着ていた。他の車の中にも黒いマントの人影が満載されていた。

「お前も着な」

 ブラックは後部座席に丸めてあったマントを放ってよこした。

「それが目印だ。警察のためのな。着てないと逮捕されるし、仲間から狙われても文句は言えねえぞ」

 私はしぶしぶマントを羽織った。シルク混のウールであり、上物のイタリア生地にしか見られない光沢と柔らかさを持っていた。


 中心街から少し離れた路地裏に防弾車の列が駐車し、不死鳥の騎士団が路上に現れた。三〇人程度だろうか。これでも一部だろう。みなフードで顔を隠しており、正体は分からない。既に夜であり、黒衣の集団は路地裏に突如現れた闇の染みのように見えた。

 シリウス・ブラックの号令と共に、黒い姿たちは軽口を叩き合い、いくつかのグループに分かれて街に散っていった。私もどこかのグループと行動を共にすべきかと考えたが、シリウスが肩を叩き、「俺の後ろで見学していろ」と言った。私はその通りにした。

 街には火の手が上がった。黒衣の集団は人と見ると追いかけ、火の玉を浴びせ、空中に縛りつけた。殴り、蹴り、集団で暴行した。対象はアラブ人だったようだ。もっとも、白人が被害に遭っていないわけではなかったが、このプレザントビルが選ばれた理由はアラブ人の居住だった。

 作戦はごく僅かであり、ほとんどないと言って良かった。広く広がってメインストリートを包囲し、コの字にウサギを追い込む。あとは好き勝手にやる。好きに魔法を使い、好きにアラブ人を痛めつける。建物を壊すことは警察との約束上奨励されないが、守られている様子はなかった。

 反撃はほとんどなかった。そもそも彼らは犯罪組織ではなく、ただそこに住んでいるというだけのアラブ人だった。自衛のために銃を持っていたとしても、魔法を心得た不死鳥の騎士団に銃弾ごときが効くはずもなかった。彼らは空を飛び、火の球を放ち、手を触れずに物を持ちあげ、人を金縛りにした。彼らは魔法を使ったが、実際に暴行を行う段においては自分の身体で直接行うことを好んだ。自らの足で蹴り自らの拳で殴るのは一際興奮する行為で、ポッターの言うところの、暴力性を発露し失われた人間性を取り戻す行為なのだった。ポッター自身自らの肉体を使うことを勧めており、それが自分のメンタルに及ぼす好影響について不死鳥の騎士団はみなよく知っていた。

 私は車の中でいくつかの魔法のレクチャーを受けていた。笑ってしまうほど簡単なレクチャーであり、なるほどこれなら多くの人に広められるだろうと考えられた。杖も与えられたが、それすら補助的な道具に過ぎなかった。

 私は銃弾に対する防御魔法を展開して、最低限身を守りつつ、『遠征』の推移を観察した。

 最初の奇襲が終わり、段階は追撃戦へと移っていた。逃げ惑う人々を魔法で強化された跳躍力で追いかけ、捕まえて痛めつける。逃げ出す車を持ち上げ、ひっくりかえす。容赦は無かった。もし彼らに人を殺さないように気をつけるというような心がけがあるとすれば、それは殺してしまっては良心が痛みすぎて楽しめないからであった。そして実際の所、人死には出ていた。

 メインストリートに残っている者たちは、ある種の拷問を楽しんでいた。彼らは魔法よりも自分の肉体で暴力を行う方をより好む者たちで、動けなくした相手をサンドバッグにした。もっと快楽に貪欲な人間は、決闘を行っていた。殴り合いで勝てば解放してやる。そういえば必死に襲いかかってくる。シリウス・ブラックはそのタイプの人間だった。剣闘士となったアラブ人はシリウスに対し何発かのパンチは食らわすものの、魔法で強化された肉体はたとえマントの中身が七〇を過ぎた老人であろうと強靱であり、いわんやシリウスは二七歳の若々しいテニスプレイヤーであり、最終的には一方的に殴られ意識を失うのだった。

「おい、アンタもやれ」

 やはりというべきか、私の番が回ってきた。これがイニシエーションの儀式であることは最初から明白だった。とりあえず共犯関係を成立させ、否定できない仲間意識を芽生えさせねばこの種の集団は成立しない。少しでも暴力性にネガティブなイメージを持つ者には(人類の99%はそうだと私は信じているが)、イニシエーションが必要なのだ。

「御免被る」

 宙に磔された男が私の前に漂い出て、落とされた。既に衣服は破れ、鼻と胴体のどこかから血を流している。息は荒く、声にならない声で助けを呼んでいる。

「杖で持ち上げて、投げ飛ばすんだ。教えただろ? 殺せと言ってるんじゃない。ほんの数メートルでいい。ただの魔法の練習だ。教えたことができるかどうか、実践してみろって言ってるんだよ」

「ご期待には添えない」

 私は与えられた杖を投げ捨てた。

「拾え」

「私はポッターに用事があるだけだ。君たちのサークルに入る気はない」

「入らなきゃポッターさんには会わせない。それが規則だ」

「ポッターは何処にいる? 右腕なら知っているんだろう、シリウス・ブラック」

「やれ。まずはそれからだ」

 シリウスは私に杖を向けた。稚拙な脅しである。やらなければ命はないぞ。

 私は嘆息した。潮時だった。ポッターの教団と言っても、この程度のものだったわけだ。たとえ指導するトップが遙かな理想とカリスマを持つ人物であったとしても、組織の人間が粗忽者であるならすべては統制不能な全体主義へと向かう。思想は好き勝手に曲解され、実現はまったく異なったものとなり、崩壊へと向かう。

 不死鳥の騎士団を組織し、理想を語ったのはポッターであっただろう。そして暴力性が人類を導くという考えもポッターのものだ。しかし、実現は雑なやり方で成された。彼らはただ、自分のメンタルヘルスを向上するために暴力性の論理を使った。真意はそこにないにもかかわらず、自ら都合のいいように曲解し、ただ罪なき人々を殺して回るだけの快楽犯罪組織と化した。

 ポッターであれば。彼であれば、自分の居場所をこの男に教えるようなことはしないだろう。シリウス・ブラックはポッターの居所を知らない。それどころか、不死鳥の騎士団の誰であれポッターの居所を知らないし、何をしようとしているのかさえ分からないのだろう。いまここでいつもどおりの『遠征』が行われていることが証明している。不死鳥の騎士団は同調したがっているが、ポッター自身はそうではない。

「そうか。ポッターは単独行動をしているな」

 シリウスの顔が急に険しくなった。

「ポッターさんと不死鳥の騎士団は一心同体だ。そんなわけはない」

「いいや、ポッターであればこのようなサークル、早々に見限るはずだ」

「あり得ない。ポッターさんには考えがあってのことだ。ズムウォルトだって、より多くの人を不死鳥の騎士団へ入れるための作戦のはずだ」

「ズムウォルトのことも知らされてなかったのか? やれやれ。無駄足だったようだ」

 私はシリウスに背を向けた。

「おい待て! どこに行くつもりだ。俺は貴様を火だるまにすることだってできるんだ」

「試してみてもいいが」

 いまや、不死鳥の騎士団の半数が私を取り囲んでいた。黒衣から杖が突き出た姿で、今にも火の玉を発射しようと身構えている。

「お勧めはしない」

 私はマントも脱ぎ捨てた。そして内ポケットから、もう一つの杖を取りだした。私が自らこしらえた、千年杉の杖を。

「お前、それは……」

「ポッターから何も聞いてないのかね。どうやって彼が魔法を会得したか? 一体どこから魔法などというものが出現したのか、本当に何も聞いていないのかね?」

「あんた、いったい……」

 人差し指と中指を揃え、眉の上に触れながら、私は仕方なく宣言した。

「ポッターは私の教え子だよ」

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