three


 不死鳥の騎士団。当然、それ以外ではあり得ない。

 対抗するはヴォルデモート卿。

 そして戦いが始まる。

 ヴォルデモート卿というフェイスブックアカウントは現在34個確認されており、もじった名前をもつアカウントを合わせると千を越える。ゆえに、35個目のアカウントが10月30日に作られたことに注目する者は誰もいなかった。それが例え「テロリスト、ジェームズ・ポッターとの徹底交戦」を唱え「ポッターのもたらす暴力から世界を救い出す」ことを宣言していたとしてもだ。

 そのアカウントを「本物」と証明したのは、11月6日、ジェームズ・ポッターが「いずも型護衛艦を破壊する」という予告を行った時であった。ヴォルデモート卿は即座に「ポッターのテロ行為を阻止する」というポストを関連づけして投稿した。事件はその2分後に始まった。

 この事件の顛末については、幸いにして映像が撮影されていた。これは現役の海上自衛隊員が私的に所有していた iPhone 5s によって撮影されており、ズムウォルトの時と同様、CNN.net において紹介された。

 映像はまず、煙道から黒々した煙を吐くいずもの俯瞰から始まった。既に爆発があり、それに気づいて慌てて撮影を始めたものらしい。いずもは接舷しており、広い甲板が見えていることから、5階ほどの高さのある建物からの視点とわかる。地上に人は少なかったが、みな慌てており、タラップを駆け上がって艦に乗りこむ者もあった。外からはアイランド式艦橋以外の様子は分からないが、艦内はパニックになっていた。撮影者もなにか役立てないかと考えたのか、上官に伺いを立てた声が入っているが、彼はいずもの乗員ではなく陸上勤務の事務官であったため、そのまま記録撮影をしていろと命令され、映像は継続した。彼の周りには野次馬が詰めかけていた。彼らには見守るしかできることはなかった。

 しかし、ズムウォルトの時と異なり、いずもは傾いていなかった。黒煙はすぐに立ち消えた。副機関が作動し、低い唸りさえ聞こえるようになった。明らかにいずもは爆発から復旧しつつあり、軽傷で済んでいた。艦長吉野敦一等海佐の報告によれば、爆発は主機関の一箇所のみであり、主機関は完全に沈黙し四名の死者を出したものの、船殻に異常はなく、沈没の恐れはなかった。消火も順調であり、艦内に潜んでいると見られるジェームズ・ポッターを探し出すため人員を割く余裕すらあったという。

 そのまま数分間が経ったころ、艦載ヘリを甲板に上げるエレベーターが作動した。いちど格納庫へ下がったそれは再び上昇し、一人の人間を乗せて戻った。見物人たちはそれをジェームズ・ポッターに違いないと考えた。狙撃に覚えのある人間がライフルを持ち出し、魔法使いに銃弾が効くか否かいざ試さんと構えた。不殺の自衛隊が殺しをしては問題となるなどと言いだす人間はいなかった。みなジェームズ・ポッターは例外だと考えていた。殺してもいい人間だと考えていたのではなく、ポッターは人間ではないと考えていたのだ。ポッターは魔法使いだった。

 しかし、上がってきたのは白いマントのハンサム男、ジェームズ・ポッターとは似ても似つかない老紳士であった。彼は白い髪と白い鬚を豊かに生やしており、鋭く小さな目で周囲を警戒し、野次馬の集まった建物を、つまりカメラを睨み付けた。誂えのスリーピーススーツはグレーのイギリス風であり、片手には長い傘をついていたが姿勢は美しく真っ直ぐで、今しがたサヴィルロウ・ストリートから出てきたかのようだった。彼がヴォルデモート卿であると知れるには、事件から1時間後、速報を見た若者がフェイスブックをしらみつぶしに検索し、卿のアカウントを発見して共有するまで待たなくてはならない。

 ヴォルデモート卿は傘を持ったもう一方の手に爆弾を持っていた。爆弾はTNT爆弾と思われ、映像で見る限りごく簡単に作れる通常の時限信管つき爆弾であり、解説者曰く「まったく魔法的要素のないありふれた爆弾」だった。ヴォルデモート卿は傘を小脇に抱え直し、正確な手つきで爆弾から電池を取りのぞき、時限装置を停止した。そして海に放り捨てた。

 そこへジェームズ・ポッターが現れた。彼は息を切らせ、格納庫からタラップを使って上がってきた。白かったマントは煤け、破けており、どこかに怪我をしている様子だった。右手に杖を強く握りしめ、ヴォルデモートを睨めつけた。

 彼らは何事が言い合っているようだった。ポッターが罵声を飛ばし、ヴォルデモート卿は落ち着いてそれに反論していた。だが詳細は風に飛ばされて聞こえず、録音できたマイクはどこにもなかった。何往復か言い争った後、ポッターが杖を振りかぶり、力強いフォア・ハンドのストロークで魔法を放った。それはテニスボール大の赤く丸い何かで、火の玉というよりも光のスフィアという表現が適切だった。同時に3つ放たれ、「ウィンブルドンのトッププレイヤー並み」の球速で卿に迫った。もっとも、映像ではぶれた赤い線にしか見えなかった。

 暗黒卿は傘を目の高さに掲げ、それを防いだ。3つのスフィアは数メートル手前で撥ねとばされ、1つは海に、2つは桟橋のコンクリートへ落ち、爆発して直径6mの穴を空けた。つづけてバック・フォア・バック・フォアとスフィアが放たれたが、卿は事もなくそれを撥ねとばし続けた。為す術を失ったジェームズ・ポッターはたたらを踏み、海へ向かって駆け、飛び込んだ。卿は追わなかった。

 見ていた自衛官たちは喝采を上げた。港湾の建物から、一緒に停泊していた艦艇から、いずもの艦橋から、卿に向かって惜しみない拍手と賛辞が送られた。いずもは守られたのだ。魔法使いと恐れられたテロリストの手から、世界中をコケにした精神異常の犯罪者の手から、新鋭艦が守られたのだ。

 卿は片手を振り、にこやかに喝采を制した。静まった後、大きな身振りで傘を天に掲げた。一瞬、それは勝利を示す将軍の仕草かと思われた。自衛官たちはふたたび喝采を捧げかけたが、傘が振り下ろされ、真鍮の石突が甲板に突き立ち、その音が長く響く鐘のような不思議な音となってこだましたとき、何か様子がおかしいと感じた。そこにあったのは勝利を宣言するカエサルの姿ではなく、海を割るモーセの姿だった。

 護衛艦いずもは振り下ろされた傘と共に、その喫水線を上昇させはじめた。水平線に対して平行を保ったまま沈みはじめたのである。海は泡立ち、地は揺れた。船殻に穴は空いていなかった。被害は増えておらず主機のみであり、それ以外のランプはグリーンを維持しながら、艦は明らかに海へ沈もうとしていた。排水しようにも水は浸入していなかった。船乗りの理解を超えた現象だった。

 自衛官たちは唖然とした。敵の敵は味方ではなく、また別の敵であった。老紳士は正義の味方ではなかった。彼はヴォルデモート卿であり、善玉であるわけがないのである。ライフルを持った自衛官は引き金を引いた。狙いは正確に膝を射貫いており、屋上に二脚を据えたレミントンは300m程度の距離でその正確性を乱すはずがなかったが、7.62mm弾は標的を捉えず、何発撃っても結果は同じであった。狙撃手は弾倉内の弾を素早く交換しながら、魔法使いに銃など効かないんだ、どんな漫画でも映画でもそうだったじゃないか、と独りごちた。迫撃砲を出してきた同僚も、自分は効果がないことを証明するために砲撃するのだと考えていた。そして証明は成功した。

 ヴォルデモート卿は傘の柄を両手で持ち、威厳をもって立ち続けていた。格納庫へ浸水が始まった後、艦長は総員退艦を命じた。乗員たちは迷わず海に飛び込み、陸から投げてもらった縄梯子へ行儀よく泳いでいった。沈む速度が遅かったため、艦長は全員の退艦を確認した後、威厳を保ちながら最後に退艦することができた。

 卿が甲板と共に沈み、艦橋が沈み、アンテナが沈んで、いずもは完全に波間へと消えた。港湾内の深さはいずもの全高よりも低いはずであり、完全に水没することは物理的にあり得ないことだったが、誰も不思議であるとは思わなかった。見ていた者はみな魔法に呑まれていた。古今東西のファンタジーが彼らに魔法というものの在り方を教えており、眼前の事実はその存在証明をしたに過ぎなかった。火の玉の魔法があるなら、銃弾をはね返す魔法があるなら、船を消す魔法もあるのだ。「魔法はある」という一言だけで何もかも十分だった。誰もがそれを受け入れる素地を持っていた。

 そう、魔法はあったのだ。


 映像がニュースに載り、ヴォルデモート卿のアカウントが発見され、話題になるにつれ、世間の混乱は本格化してきた。今まで事件は9.11の再来として、もしくは安全保障上の危機として認識されていたが、様相は急にオカルト方向へ舵を切った。

 大方の反応は以下であった。魔法というのは意味不明な冗談であり、何かの間違いである。それが大手メディアに報道されたというのはさらにひどい何かの間違いであり、専門家だか学者だかが認めているのは全てにおいて何かが間違っているからである。この傾向は面白いことに、日頃からメディアへの不信を感じ、CGで加工された映像に慣れ親しんだ若年層において顕著だった。彼らは魔法とは何かをファンタジーの中でよく知っていたし、『ハリー・ポッター』シリーズも全巻読んでいたものの、存在を信じるための閾値が高かった。

 閾値の低い人々は、大変な驚きと共にニュースを受容した。彼らは盛んに意見を交わしあい、魔法についてよく知っていると思われる(多くは聞いたことのない宗教団体に所属している)人々の話に耳を傾けた。またファンタジー小説を買い込み、映画を見て、創作物から何かを学ぼうとした。魔法に関する「専門書」も多く刊行され、増刷された。しかし結局、なんら分かることがないと気付き、飽きてしまった。彼らの中には一生懸命に杖を自作し、呪文を唱えてみた者もいたのだが、全て徒労に終わった。事実というのはテロリストが火の玉を放ち、軍艦を消し去ったことだけであって、それ以上でもそれ以下でもなかった。

 いずれにしろ、軍艦がいくつ沈んだところで多くの人にとっては他人事であったし、魔法によって生活が良くなるわけでもなく、今のところ二人いる魔法使いがテロリズムの領域から出てくる気配はなかった。魔法はUFOが地球を訪れた以上の影響は与えなかった。要するに、市民の知ったことではなかったのである。

 一方で、ジェームズ・ポッターとヴォルデモート卿は戦いを続けた。ポッターが予告をフェイスブックに投稿しては、その数分後に二人が現れ、火花を散らす。緒戦は暗黒卿の勝利であったが、ポッターは味方をつけた。不死鳥の騎士団がポッターと共に現れるようになり、単独のヴォルデモートに対して人数差をもって仕掛けた。勝率は五分五分となった。そしてどちらにしろ、標的となった兵器は失われた。破壊されるか、消えるかの違いでしかなかった。対象は艦艇に限らず、航空機、戦闘車両、ミサイル基地、その他多くの兵器が被害にあった。週に2回から3回、継続的になされるテロは、対象がどれほど厳重に守られているかに関わらず、ポッターにも卿にも入念な準備というものが必要でないことを示していた。

 米軍がその戦力を守るため、兵器たちを基地に集結させ集中的に防備するという策を取ったのに対し、他の国は多くの場所に分散させ秘匿するという手を使った。そのため、米軍兵器は一回の襲撃で重大な被害を被ったが、中・露・英・仏・その他の近代軍を持つ国家は比較的軽傷で済んでいた。もっとも、分散策も時間稼ぎでしかなく、二人の魔法使いの首が挙げられるまでどんな軍隊にも為す術はなかった。小国も例外ではなかった。インド、南アフリカ、ブラジル、コンゴ、政府軍、反乱軍、民族軍、ありとあらゆる兵器をジェームズ・ポッターは指定した。

 世界の戦力バランスは音を立てて崩れていった。冷戦を通じて形成されてきた世界の安全保障体制は機能を停止した。もはや誰にも世界を監督することはできなかったし、国外のどこかへ影響力を及ぼすことはできなかった。一年以内には、国内を治めることすら不可能になるだろうと思われた。

 抑えつけられていた紛争の種は一斉に発芽し、世界はホッブズ的闘争へと一歩を踏み出しつつあった。クルド人はミラージュに怯えることなくAKだけで存分に自らの領土を切り取れると確信した。ツチ族とフツ族の闘争は再開した。印パ戦争も火蓋を切った。中国は尖閣諸島へ向かった。アフガニスタンも、南アフリカも、朝鮮も、バルカン半島も、カフカスも。ありとあらゆる全ての戦争が抑圧から解放されたのである。ジェームズ・ポッターとヴォルデモート卿が争っている理由が何にしろ、結果は明らかだった。

 万人に対する万人の闘争がカウントダウンを開始したのだ。


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