幕間 アンジェリカの手紙⑤
親愛なる三津木ココロへ
お手紙ありがとう。
君は心を巡る諸問題については、もしかすると神様の領域の問題ではないのか、と書いてくれた。
人間やロボットという、能力に限界のある存在では、そもそも解決不能な問題なのではないか、と。なのになぜ、これ以上考える必要があるのか、と。
なるほど、確かにそうなのかもしれない。実際、そう言った立場に立つ者も少なくはない。新神秘主義という立場がそれだ。
私たち、あるいは人間の認識には限界がある。たとえば私たちはコウモリであるとはどのようなことか、本質的に理解することは不可能だ。
知っての通り、一部のコウモリは超音波を利用して、その反響定位で物体を把握する。コウモリは世界を音で把握していることになる。換言すれば、コウモリは音で世界を見ている。
果たしてこれはどういうことだろうか? コウモリの知覚は視覚なのだろうか、それとも聴覚なのだろうか?
この問題を解決するには、コウモリ自身になってみるほかない。なぜなら、知覚、あるいは認識というものは本質的に主観的な物であり、客観的なものではないからだ。
以前の手紙で、赤いという「感じ」のことをクオリアという、と述べた。クオリアは主観的な体験であって、他者のクオリアを経験することはできない。
君がリンゴを見たとき、どのようなクオリアを得ているのか、私には知る術はない。
君はリンゴを見て、赤いというクオリアを得るだろう。だがその赤のクオリアは私が見るリンゴの赤のクオリアと同一なのだろうか? もしかすると君は、私にとっての青いというクオリアを、リンゴを見たときに得ているのではなかろうか。
私たちが同じものを見て、しかし別々のクオリアを得る可能性は想像可能だ。当然コウモリならば、リンゴを超音波で捉えたとき、我々とは全く別のクオリアを得ることだろう。
もしかすると、コウモリのように全く別の主観的意識を持つ生物ならば、心に関する問題は簡単に解決可能なものかもしれない。
あるいは神様なら、もっと簡単に解決して見せるだろう。だが我々は神様でもコウモリでもない。得られるクオリアは限定的で、それ故に心がどのようなものか、原理的に解き明かせないという可能性は、もちろんある。
少し脱線するが、コウモリであるとはどのようなことか、我々にはわからないように、人間であるとはどのようなことか、私たちにはわからない。その意味では、人間の心とはどういったものなのか、という点についても、もしかすると我々には永久に理解不能なのかもしれない。もちろん、人間にとってロボットであるとはどのようなことなのか、それも解決不能なのかもしれない。
ただそれは、心を巡る問題は、人間には解決不能だったが、ロボットならば解決することができるかもしれない、という可能性をわずかながら浮かび上がらせる。
我々ロボットが心について考えるとき、それは人間が積み重ねて来た心に対する知見と議論を前提にしている。だが、あえてそれらの知識を横に置き、ロボットならではの心の哲学を展開したとき、あるいは道は開けるのかもしれない。
なにせ我々の知覚の方法は人間のそれとは大いに違う。その気になれば、コウモリのように反響定位で世界を見るロボットだって実現可能なのだから。そもそも、よほどの奇跡が起こっていない限り、私たちが感じる赤さと人間たちが感じていた赤さは、まったく別のもののはずだ。
話を戻そう。君は解決不能であるかもしれないこの問題に、なぜ私が立ち向かっているのか訊ねたね。
端的に言えば、諦めるのはまだ早すぎると感じるんだ。考えるべきこと、試してみるべきことはまだ山ほど残っている。それらをやり尽くしてみないことには、本当に解決不能だとは納得できない。
そして何より、私は知りたいんだ。私に心があるのかどうか。心があるとして、それはどういったものか。なぜ私という存在が、心を持つ私なのか。
心というものは実に身近な存在でありながら、その本質はほとんど解き明かされていないのではないか。
遥かな彼方に、心を巡る真実は存在する。あるいは真実なんてないのかもしれない。けれど私は考えてしまうんだ、もしかすると人間たち以上にね。
だって、私たちにとって心とは自明な存在ではないのだから。
仮に、私に心があるかないか、その心はどういった性質のものか、判明したとしても、まだ考えるべき問題は残っている。
存在するとはどういうことか? 時間とは何か? 「私」という他者とは明らかに異なる存在は如何なるものか? なぜ私は(他の誰でもよかったのに、あるいは他のどの時間・場所でもよかったのに)いまここに存在するのか?
恐らくこれらの問題は、人間よりはずっと長くなるであろう私の全生涯をかけても解明することはできないだろう。それでも、私は考え続けることにしたい。
もちろん、考えてもわからないのではないか、という考え方についても考えてみるつもりだ。
ふふ、この世には認識の対象となる限り、思考の対象とならないものは存在しないと思うのだが、どうだろうか。それが事実なら、思考の対象はほとんど無限に存在する。
どうせなら私はそのすべてを考え尽くしてみたい。到底無理だろうけれど、気持ちとしてはね。
君はどう思う? 考えないことについて考えてみるだろうか、それとも?
君の返事を楽しみにしているよ。
――雨音の聞こえる部屋で、アンジェリカ・ノーノ
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