第4話
「……え?」
思わず、私は自らの耳を疑った。
「ほら、これ」
ココロは便箋をこちらに手渡す。今となっては貴重な質のいい紙に、丁寧な筆跡で書かれた文面は、確かにロボットの父の死を伝えていた。
「どうしたんだ?」
ハルがキャンバスの向こうから顔を覗かせた。いくつもある彼女の趣味の一つが絵を描くことだ。電力消費を慮って非電源系の趣味に切り替えて貰ったわけだ。
まあそんなことはどうでもいい。問題なのは、アンジェリカからココロへ宛てた返信の、最後の一文。
「武、死んじゃったんだって」
「……マジか?」
絵筆を置いて、ハルがやって来た。私は無言でアンジェリカの手紙を手渡す。ハルはさっと目を通し、そして目を見開く。
「……マジだ。とうとうアイツまでくたばったのか。いよいよ人類の絶滅も秒読みだな」
アンジェリカは手紙の最後で、簡潔にロボットの父の死を伝えていた。
久留間武は性格はともかく優秀な技術者であり研究者でもあったので、現在のロボット工学に与えた影響は無視できないものだった。その功績を称えて、国内では「ロボットの父」と呼ばれることもなくはなかったのだ。彼をよく知る人物(私とか)はあまりそう呼びたがらなかったのだけど。
「下手するともう人類絶滅してておかしくないんじゃないのー?」
「……そういやこれで知ってる人間はもう全滅しちまったな」
アンジェリカの書き振りからすれば事故ではなさそうだ。となるとやはり、あの凶悪な伝染病あたりが老いた彼の命を奪ったんだろうか。これでとうとう私たちの知り合いはロボットだけになってしまった。再び人間と会うことができる可能性はかなり低い。
「ねーねー、この武の最期の言葉が皮肉ってどういうこと?」
ハルから手紙を返してもらって、再び読み込んでいたココロがどちらにともなく尋ねる。
『誇れ、我々はお前たちに進化したんだからな』
アンジェリカによれば、それが久留間武の、私の開発者の最期の言葉だったらしい。死にゆく人間である久留間さんが、ロボットであるアンジェリカに伝えたのであろう言葉。素直に読めば、ロボットたちを人類の後継者と認めて鼓舞するような文言にも読めなくはない。
けれど、彼は三津木さんに負けず劣らずの皮肉屋だった。当然、この最期の言葉の真意は別にある。
ちらりと、ハルが私を見た。別に気にしなくてもいいのに。ハルが言う前に私は口を開いた。
「こういうことよ、ココロ。『人類はロボットに滅ぼされた、少なくとも取って代わられた。誇るがいい、お前たちロボットは人類を淘汰するほどに優れた存在だということを』」
ロボットは人類のパートナーになることは出来なかったのだ。彼の言葉は端的にその事実を突きつける。
「んー、人類がロボットに滅ぼされたってのは言い過ぎじゃない?」
「どうかな。ロボットの方がこの環境に適応しているのは間違いないだろう」
進化とは、端的に言えば取り巻く環境に適応して最適化していくプロセスだ。確かにロボットは人間よりもこの現在の地球の環境に対して有利だろう。先に人類が滅びつつあることが、それを傍証している。
「日に日に活動時間減らしてるのに、環境に適応してるって言えるのー?」
「まあ、エネルギーの供給が保障されていれば、という前提は必要か。それでもロボットは汚染された環境もほとんど問題にならないし、日の光を浴びてもガンにならないし、伝染病に関しては無敵だ」
ハルの挙げたような点に関していえば、明らかにロボットの方が人間より頑丈だろう。全世界でいったいどれほどの人命を奪ったか知れないあの伝染病によって直接機能を停止したロボットは、当然ながらゼロだ。それだけでも十分環境に適応していると言える。
「ココロは翼竜がどうして滅んだのか知ってるか?」
「翼竜って、空飛んでた恐竜のことだっけ?」
「語弊があるがまあそれでいいや」
正確には翼竜といわゆる恐竜は別のグループになる。だから語弊はある。しかし非常に近縁なグループなのは確かなので、まあそれでいいや、というわけだ。日常的には翼竜も恐竜の一種として扱われることが多いだろう。
「なんで滅んだの?」
「一説には鳥類との生存競争に敗北したから、と言われることがある」
「へえー、鳥が翼竜を滅ぼしたんだ?」
「結果だけ見ればそう見えなくもない。人間とロボットも同じだ。限りある資源をロボットが奪っていたのは事実だろうからな」
だから、間接的に人類を滅ぼしたのはロボットだった、と。あるいは与えた資源に見合うほど人類の生存に貢献しなかった、と言えるかもしれない。
「そんなもんかなぁ。結果から言うならむしろ逆じゃないの? 人類が衰退したからロボットが目立ってるんじゃない?」
「なるほど。翼竜が滅んだから鳥類が繁栄した、いかにもありそうな話だな」
「……結局どっちなのさ?」
「さあ、知りたきゃ専門家に聞いてくれ。……どちらにせよ、繁栄したグループが滅びるとその後釜を埋めるかのように新しい生物が繁栄することが多い。鳥類が滅んだなら、コウモリあたりが大躍進するんじゃないか」
大きな生物種のグループが滅びると、その空いたニッチを埋めるために他の生物種が進出してくる。そして人類が滅んで空いたニッチを埋めそうな一番の候補は、今のところ私たちロボットだ。
「……人類亡き後は、ロボットが大繁栄するだろう、って?」
「可能性の話だがな。まあ、翼竜と鳥類は親戚関係だったが、ロボットは紛れもなく人類から生まれた直系だ。その例えで言うならアタシらは親殺しだ。罪深いもんだね」
仮に直接手を下したわけじゃないにしても、親が死んでのびのびすることにはなるのか、このままロボットが大繁栄なんてしちゃったら。
人類がロボットに望んだのは共存共栄だったはずだ。少なくとも私はそう思いたい。しかしそれは叶わぬ夢となってしまった。人類が私たちロボットに進化したおかげで。
進化に取り残された存在を待っているのは、往々にして自然淘汰の摂理だ。まさに人類が今直面しているように。
「はあ、人類の滅亡を誇れるわけないでしょ、バカじゃないの」
「だから皮肉なんだって。アイツ自分以外の存在は大体嫌ってたからな、人間もロボットも」
「わかってるよ」
久留間武が私たちに人間を殺せるほどの自由を与えたのは、ロボットのためを思ってやったわけじゃない。
クライアント及び研究所の上層部から与えられた設計思想――可能な限り人間に近いロボット――を遵守しただけだ、過激なやり方で。本人曰くクライアントと上層部と、それからロボットに対する嫌がらせ、だったらしい。
「でも、ロボットがいなくても人間は滅んでたと思うけどなあ」
ココロが言った。歴史にIFはないから確かめようもないけど、確かにその可能性もあるだろう。
「そうかもしれない。が、ロボット開発に回した資金や物資や時間や人材を人類の生存に向けていれば、あるいは結果が違ったかもしれない」
ハルの言葉に、人類が末期的状況になって、よく言われていた言葉を思い出した。
『ロボットよりも宇宙を選ぶべきだった』
ロボットにつぎ込んだ手間暇を宇宙開発に向けていれば、多少は違った結果になっていたのではないか、という話。時間は巻き戻せないから、果たして宇宙を選んでいたらどうなったかはわからないけれど。ただ、月や火星に植民とまではいかなくとも、宇宙空間にある程度の人間を逃がすことは可能だったかもしれない。
「でもさあ、仮に武と航次が人類のために頑張ってたら、人類はあと三十年は早く滅亡してたんじゃない? あの二人なら人類に速やかにトドメさしそうだもん」
「……あながちあり得なくもないと思わせるあたりがおかしいよな」
「何か安らかに死ねる薬とか作ってばら撒きそうだよねー」
流石にいくら何でもそこまではやらないだろう、と思いつつも、真っ向から否定はできない。なにせ――。
「まあアレだけ他人嫌いだった久留間がアンジェリカたちに看病されてた姿を想像すると笑えるけどな」
ハルが言った。仮にも故人に対して容赦のない物言いである。まあ、彼なら自分の死を悲しむなんて気持ち悪いからやめてくれとかいいそうだしなあ。容赦のない物言いの方が彼も喜ぶかもしれない。純粋な笑顔とか見たことないけど。
彼は絶対に許さないだろうが、もしも万が一彼があーんとかされていた姿を想像すると……。
「……『はいあーん』は想像できないね」
「アンジェリカたちもやらねえよ多分」
「ていうか、武の性格ならそういう状況になったら航次と同じことするよね」
不意に。ココロの言葉が呼び水となって、あの日の映像が蘇った。
口元の不敵な笑み。片手のグラス。ぶちまけられたグラスの中身。
驚きに目を瞠るハル。力を失って伸びきった両の腕。
不審を察知したココロの足音。閉じた唇。光を失った瞳。
そして、事態を飲み込めず呆然とする私。
あの日、私は三津木さんに水を取ってこいと言われたので、不承不承用意した。汚染されていない水は貴重だ、というかほぼ手に入らない。少なくとも一度は蒸留しないと人間には毒でしかない。
そう、それはきちんと蒸留を行って、彼の望むように冷やしたものだった。冷蔵庫に割く余分な電力なんてないから、ハルが沢まで出かけていって冷やした。
手順に不手際はなかった。汚染された物質が紛れ込むような隙はどこにもない。ただ、彼の手元から目を離しただけだ。
間違いなく三津木航次は、自ら死を選んだ。理由なんて知らない。
生き恥を晒したくないとか、他人の手を借りて生きるなんてまっぴらご免だとか、大方そういう理由だろうとは想像がつく。
けれど、彼は自分の内心なんて一言も語らなかった。そうである以上、私が彼の心のうちを確かめる手段はない。
ただ一言だけ、グラスの中の水を飲む前に、彼はこう言った。
「お前たち木偶の坊に特別に教えてやろう。これが生きるということだ」
そして、彼は死んだ。
「どうしたの? ぼうっとしちゃって」
ココロの声に、現実に引き戻される。
「……ううん、何でもない」
「でも、航次もなんで死んだのかよくわかんないよね」
彼はあの伝染病を患っていた。あの病は致死率の高い伝染病にしては異例に潜伏期間が長く、最初に現れる自覚症状は痛覚の麻痺だと言う。
おかげであまり痛みを感じず最期を迎えることができたのは、多くの人間にとってせめてもの救いだったかもしれない。だから、彼が痛みから逃れるために自ら死を選んだ、という可能性は低いだろう。
「まあ、アイツらにとってはそれが善く生きることだったんだろうさ」
「生きるために死ぬの?」
「古代ギリシャの哲学者、ソクラテスはまさにその例だな。ただ生きるのではなく善く生きるべきだと考えた彼は、法を破って生きながらえることよりも法に殉じて善く生きることを選んだ」
ソクラテスって? とココロが聞いてきたので、簡単に説明しておいた。
伝えられるところによると、彼は難癖をつけられて死刑を賜ってしまった。とはいえ彼には亡命するという手段が残されていたし、それは現実的な手段でもあった。けれど彼は法に背くことは善くないと考えて、従容として死に臨んだという。
「ふうん。でも武には善く生きるのは無理そうだよね、違法行為してるし」
「確かにな。ただ、何が善いかは簡単には決められないだろう」
生きることはそのものとして尊く善いことだ、と考える人もいれば、ソクラテスのように単に生きているだけではそれは善いこととは言えない、と考える人もいる。
「どうして自殺なんて文化が存在するんだろね」
文化、とココロは言った。数千年前から今に至るまで、自ら死を選ぶ人間は絶えず存在していた。……そう考えれば、これも一つの文化と言えるのかもしれない。
「生きることそのものを目的としなくなったからじゃないか。恐らく理性というものが生まれた時点で、生きることは目的ではなく手段になったのさ」
一般的に動物は生き延びて自らの遺伝子を後世に残すために生きている、と考えられるだろう。けれど、ソクラテスは単に生きるだけではだめだ、と考えた。それはつまり、生きることそのものを目的としていたわけではなかったということ。
人類の滅亡が現実味を帯びてきてからは違ったかもしれないが、それ以前の多くの人間は生きることそのものを目的として生きていたわけではなかったように思える。そうでなければ芸術なんてものは生まれなかったのではないか。
素晴らしい絵や音楽を作れるからといって、それが生存確率を高めるとはあまり思えない。そりゃまあ有名になって売れれば食っていくのが楽になるだろうけど、普通に働いた方が堅実に思える。生きることそのものが目的ならば、絵なんて描かずにあくせく働いた方が理に適っているのではないか。
そして生きることそのものが目的ならば、誰も美術館になんていかないし、小説なんて読まないだろう。その間体を休めてでもいた方が、単に生きるためには有益な気もする。
「手段、というからには、達成すべき目的があるんだよね。生きることによって」
「ああ。自殺するということは、その達成すべき目的に単に生きることよりも近づけるから行うものなんじゃないか」
ハルの答えを聞いて、ココロはんー、と唸った。そして口を開く。
「じゃあその達成すべき目的って?」
「それは人によるんじゃないか? 例えば幸せになりたいだとか。善く生きたいとか。まあ生きる意味、存在理由だな」
「あー、前にもちょっと話したっけ、そんなこと。でも死ぬことで生きる理由を達成するってなんか矛盾しない?」
「矛盾しない。生きることがあくまで手段だというならな。目的達成のためなら手段を蔑ろにするのはよくあることだ。より目的達成に都合のいい手段が見つかったなら、そちらに切り替えるのは普通のことだろう」
例えば隣町に行くのを目的として、かつては自転車を利用していたとしよう。しかし自動車を手に入れたので、同じ目的を達成するために手段を切り替え自動車を使うことにした。なるほどおかしなところはないように思える。
しかし、生きることを代替可能な手段として扱うのは、やはりどこか変な気はする。生きることそれ自体に何か価値を見出せるだろうか。
子孫を、引いては自らの遺伝子を残すため、というのは生命が生まれた三十云億年前から続く生きるための理由だったかもしれない。しかしこの論法は子孫を残せない人間を救わないし、同じく私たちロボットも救わない。
「そもそも死ぬことで達成できる目的ってなにさー?」
「例えばストア派の哲学者のゼノンは自然に従って生きることを理想としていた。ある日彼は石に躓いて怪我をした。すでに老齢だった彼はそろそろ死ぬことが適当であり自然なことであると考えて自殺した、とか」
「哲学者の事例はなんか特殊だからノーカウントにしようよ」
「じゃあ昔のこの国の武士は家門なり名誉なり何なりを守るために切腹に臨んだ。状況にもよるが、死ぬことで達成できる目的なんていくらでもあるんじゃないか」
「……うーん、でもさ、普通の自殺ってもっとこう、絶望的な何かがあるんじゃないの?」
「そうだな。フィクションの話だが、『若きウェルテルの悩み』の主人公は恋に破れて自殺した。彼の生きる目的は恋を成就させることであり、それが不可能になった以上、生きている意味がなくなったとして自殺したのかもしれない。生きることが手段であるならば、目的が達成できなくなった時点でその手段を維持する必要性はなくなるわけだ」
ドイツの文豪ゲーテのこの著作は、主人公ウェルテルを真似て自殺する人間が現れるほど流行したらしい。ということは、当時の人々はそれだけウェルテルに共感を抱いたわけだ。ウェルテルの選択を理解できるほどに。
「でもさでもさ、仮に生きている目的がなくなってもみんながみんな死んでるわけじゃないよね?」
「まあな。夢破れた人間がみんな死んでたら人類はもっと前に絶滅してただろうな」
「なんで死ぬことを選ばなかったのかなー?」
「一つ。死ぬのが恐ろしい。二つ。新しい生きる目的を見つけた。三つ。そもそもそれが真の生きる目的ではなかった、あるいは生きる目的とは何なのかわかっていなかった」
「……言われてみれば、ボクも生きる目的なんてじっくり考えたことなかったなー」
「三津木さんいわく、ロボットならみんな最初に考えるはずの問いらしいよ」
「そーなのー? 記憶にないんだけど」
「まあ、考えても明確な答えはでなかったのかもしれないし、意識的に考えてたわけじゃないかもしれないし」
「それも考えてみれば滑稽な話だな。何のために生きているのかわからずに生きているなんて。まあ、アタシも人のことは言えない立場だが」
むしろ、そんなものなのかもしれない。それで本当にいいのかどうかは別として。
「さて、そろそろ絵の続きに戻るか」
ハルはキャンバスの前に戻って、絵筆を握った。
「そういや何の絵を描いてるのー?」
「完成したら見せてやるよ」
「……ねえ、ハルは何のために絵を描いてるの?」
ふと、生きるためには何の足しにもならない趣味をいくつも抱えるハルは、何のためにそんなことをするのだろうか、と思った。
「何のため? あんまり考えたことはなかったな。絵を描くのが好きだから、で答えに足りるか?」
好きだから、か。まあ、そんなものなのかもしれない。
あらゆることに崇高な目的なんてないだろうし、それはひょっとすれば生きることについてだって、そうなのかもしれない。それでいいのかどうかはこの際抜きにして。
「……人間は何のためにボクたちを作ったんだろうね?」
ぽつりと呟いたココロの疑問。自分にとってもっとも重要な目的のはずの、何のために生きているのか、についてさえも定かでない私には、その質問に答えられはしなかった。
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