第2話

「……これは?」

 私は透明な液体の入った小瓶を手に取って眺めつつ、ココロに訊いた。

「アンジェリカから。航次のお墓にお供えしてくれだって」

「ふーん?」

 小瓶をちょっと揺らすと、ちゃぷんと音を立てた。別に濁ったりはしない。

 蓋を開けて匂いを嗅いでみる。揮発したアルコールの匂いがした。

「これは……清酒かな? 三津木さんは下戸だったはずなんだけどなあ」

 かつて彼がココロを完成させたときの打ち上げで、ある同僚に潰されて呪詛を呟きながら突っ伏していたのを覚えている。

 確かあの日はアンジェリカさんもいたはずなので、彼女も三津木さんが酒を受け付けない体質なのは知っているはずなんだけど。

「アンジェリカの送別会とかヤバかったよね。ボクずっとトイレで背中さすってたもん」

「ああ、そういやそのときもぶっ潰れてたっけ」



「おはよう……何してるんだ?」

 そんな話をしていると、ハルが起きて来た。もう昼前なのだけども。

 ロボットは必ずしも睡眠が必要なわけではないが、エネルギーの節約のためと人間の文化に習って夜間は眠る習慣がある。今となっては重要なのはもちろん前者だ。人類が絶滅しそうな以上、人間社会に溶け込む必要はさほどないが、エネルギー問題はまさに死活問題なのだ。夜型生活気味のハルには電気がもったいないので早急に改善してほしいところである。


「ああ、ハル。おはよう。というかこんにちは」

 と幾分嫌味気に言いつつ、手に持った小瓶を掲げて見せる。

「アンジェリカさんから、三津木さんへのお供え物だって」

「中身は何だ?」

「多分日本酒」

 それを聞くと、ハルはおかしそうに笑った。

「流石はアンジェリカ。花を供えるよりはよっぽど愉快なリアクションを期待できそうだな」

「ていうか単なる嫌がらせじゃないの? あんまり仲良くしてるとこ見たことないんだけど」

「三津木と仲良くおしゃべりしてた奴がどこかにいたか?」

 少し記憶を振り返ってみる。彼が同僚たちと話していたのは仕事のことか、そうでなければ皮肉と嫌味と罵詈雑言だった。

「……いやいなかったね」

「ボクはー?」

 ココロが言う。唯一ココロは三津木に対しても積極的に関わろうとしていたような気がするが、それは単にココロが誰に対してもそうであったからに過ぎない気もする。

「お前のは一方的なコミュニケーションだったろ」

 それを見越してか、ハルはそう言った。まあ確かに誰に対しても同じように関わろうとするのは、一方的であると言えるかもしれない。

「背中さすってたときは死ねとか殺すぞとか余計な事するなとか言われたよ?」

 ココロとしては、だから一方的なコミュニケーションではなかったと言いたいらしい。それはどうだろうか。

 そこまで言われても平然としているあたりココロも相当なものだが、まあ三津木の暴言はかなり幼稚だったので慣れれば何ともないのかもしれない。

 反対に彼の皮肉や嫌味は中々鋭いものだったのだが、それもなんかココロには通じなさそうな気がする。


「……アイツがココロを作ったとは思えんなあ」

 誰にともなくハルが呟く。実際のところ、ロボットの設計者にロボットの個性を決める権限はないことが多い。たいていはクライアントやらスポンサーやら研究所の上層部やらの意向が無視できないわけだ。そもそも性格付けに関してはほぼロボット自身の自己学習になっているはずなので、決定のしようもなかったりする。

 最初から持っている知識に偏りを与えることである程度は左右できるかもしれないが、それは人間の親が子供に対して行うレベルのものと大差はない。

 それを大きいと取るか小さいと取るかは人次第だろう。あまり偏らせすぎるとどこかでばれて上からお怒りを受けるだろうし、そう変なことは出来ないはずだ。


「まあ、あの人も何だかんだで仕事だけはきっちりやる人だったでしょ。技術者ってのはそういうもんよ」

 だから、三津木さんが作ったロボットが三津木さんに似ても似つかぬロボットだったとしても、あまり不思議はないのだ。


「……それじゃ、ハルも起きて来たし、早速お供えにいこうよ」

 ココロが言う。私としても異論はない。

「そうだね。折角送って来てくれたんだし」

 彼のお墓は見晴らしの良い高台の公園の隅に作ったので、少々歩かなければならない。

 昨日、雨が降っていたから、道中がぬかるんでないといいけど。



 ***



 間に合わせの墓標に、ハルが小瓶の中身を少し振りかけた。残りはそのまま供えておく。いるとすれば恐らく地獄にいるであろう彼は、どんな表情をしているのだろうか。もしかするとトイレに駆け込んでいるかもしれない。


「ねえ、ハルは航次が死んで悲しいの?」

 不意にココロはそんなことを言った。

「さあな。そうかもしれない」

 ハルは否定しなかった。彼女の性格からして、誰かの死をむやみやたらに重く捉えたりはしないとは思う。例えそれが生みの親でも。

 そうは言っても、何も感じないわけでもないだろう。例えそれがろくでもない人物の死だったとしても。

 彼女は彼女で、適切な重さで三津木さんの死を受け止めている、はずだ。もちろん、ロボットに感情があるとして、の話だけど。


「もしそうだったとしたら、ハルは悲しい思いをしてまで、なんで生きてるの?」


 ハルは黙った。私も絶句した。ココロはたまにとんでもないことを言う。まさに今だ。知識不足と好奇心からくる無邪気さのせいだろうか。


 なんで生きてるの、か。


 私は三津木航次が生きていた時のこと、彼の言葉を思い出す。あれは確か、私の設計したロボットが日だったか。


「俺たちは気づいた時にはこの世界に放り出されていた。赤ん坊の頃の記憶なんてすっぽり抜け落ちているのが普通だ。気がついた時には、既にこの世界でしばらく生きていた、という経験が与えられ、それが慣性となって明日を縛っている」

「だがお前らは違う。ある時、明確な一瞬に、この世界に突如として放り出されたはずだ。そして考えた。なぜ自分はここにいるのだろうか、そして自分は誰なのだ、と。違うか?」

 

 私は、自らが完成した時のことを振り返る。機械が取り囲むベッドで目覚め、ここはどこだ、自分は誰だ、と問い、すぐさまインプットされていたデータが答えた。

 けれどそれは知識だ。知識でしかなかった。自らの存在を、体験として記憶していたわけではなかった。自分がカナというロボットなのは理解出来たが、自分がカナというロボットなのか、データベースは何も答えない。

 三津木さんは続けて言った。


「俺たちは慣性で生きることがある。だが出来上がったばかりのお前達は、そうもいかない。動き続けるための初速を与えねばならない。なぜ存在することを続けるのか、という問いに答えることでな」


 存在すること、か。そう言えば、三津木さんは決してロボットに対してという言葉を使わなかった。殺すぞとか死ねとかは茶飯事だったが。


「俺たちはお前たちに自ら機能を停止する自由も与えてある。お前がまだ動いているからには、そうするだけの下らん理由があるんだろうよ。間抜けなことに、自分では理解していないとしてもな」


 私が生きている理由。確かに、生きなければならないとは誰からも言われなかったし、インプットされていたデータも黙っていた。

 であるからには、何かしらの理由を自分で見つけていたはずなんだろうけど――当時も今も、確たる心当たりはない。

 もしも私が知性を持たない動物だったなら、生きるために生きているのだろうけど――。幸か不幸か知性を持ってしまった以上、何のために生きるのか、を考えてしまう。



「――これが生きるということだ」



 私はかぶりを振る。余計なことまで思い出しそうになってしまった。


「あ、ていうか」

 ふと、ココロが口を開く。突然ひらめいたかのように。

「ロボットってそもそも生きてるの?」

 私とハルは顔を見合わせる。さて、私たちは生きているのだろうか。それとも、ただ動いているだけなのだろうか。

「どうだろうな。人間がかつて使っていた定義だと、アタシたちは生物じゃないらしい」

「そうなのー?」

「ああ、生命の最小単位とも言われる細胞を持ってないしな」

「知り合いの生物学者はロボットにおける生命の最小単位はロボットの個体それ自身であり、ロボットにおいては一個の細胞が一個の個体となっているのだ、とか言ってたけど」

「突飛だな。まあ細胞を持つことを自己と外界の区別、と捉えるならそれも間違いではないのか?」

「まあそもそも、ウイルスをどう位置づけるかとか、ロボット以前に曖昧な部分があるしね」

 ウイルスは細胞を持たず、また単独では増殖もできず、いけない。そう言う点で、明確な生物とは言えない、というのが主流の見解だったはずだ。

 けれど、適切な条件を与えれば、自らを増やし、ゆくことができる。それを考えるなら、生物のような何か、というのが一番ふさわしい表現なのかも。

「そうだな。生物と非生物なんてのは人間が定義付けた恣意的な区分と言えるかもしれない。なら、生きてるように見えるものは生きているっつーことでいいんじゃねーか」

 ハルは最後は投げやりに言った。これは彼女が議論してもどうしようもないと思っている時のサインである。付言すると、三津木さんと会話するときは大体投げやりだった。


「じゃあ、地球は生きてるの?」


 再び私とハルは顔を見合わせる。確かに、比喩的に地球に対して生きている、という言葉を使うことはある。

 それももっともで、地球を構成する海や大気、さらには大地までもが絶え間なく動き、循環して一つのサイクルを構成している。ダイナミックな火山活動の映像なんかを見ると、確かに地球は生きていると表現したくもなる。

 そう言えば、大地の活動が見られない天体に対して地質学的に死んでいる、なんていう表現がされることもあるか。

「まあ、少なくとも地球は地質学的に生きているとは言えるんじゃない? 生物学的には死んでいるとしても」

「カナ、死んでいるという言葉は生きていたものに対して使うもんだ。石が死んでいるなんて普通言わんだろが」

 なるほど。確かに生きていないと死んでいるは同義語ではないかも。

「じゃあ訂正。地球は生物学的には生きていないが、地質学的に生きている」

 訂正された私の言葉を聞いて、ハルはふむ、と少し考えて言った。

「ならロボットは地質学的にも生物学的にも生きてはいないが、哲学的には生きているのかもしれないな」

「ふーん? じゃあ地球も心を持つの?」

 ココロは小首をかしげて訊ねた。子供のような問いかけだが、幼稚な疑問と切り捨てていいものか。なにせ私たちは、心というものがどういうものか、未だにはっきりとした答えを持たないのだ。


「まず、生きているものなら必ず心を持つ、という仮定は正しくない。イヌは心を持つかもしれないが、バクテリアが心を持つかは疑わしい」

「どうして?」

「まあ、意識を生じさせるほどの高度な情報処理能力は持たないだろうからな」

「でも、魂が巡り回るものなら、バクテリアも魂を持つんじゃない?」

 ココロはそう言った。魂と輪廻転生。古くから東洋その他の地域で考えられていた概念だ。斜陽の時代の人類の中にも、何となくそれらを信じていた人間は少なくはない、というのが私の実感である。


「確かに魂が存在するならバクテリアが心を持っていてもおかしくはないな。魂が存在すればだが」

「じゃあ地球にも魂があるかもしれないじゃん?」

 無機物に魂は宿るのだろうか? いや、無機物というのは基本的に炭素が含まれないという意味でしかない。地球のロボット以外の生命らしきものがみな炭素生物だったから、こんな言葉が生まれたのだろう。

 正しくはこう言うべきだろうか。万物に魂は宿るのか? あるいは魂が宿るものとは何か? そもそも魂は存在するのか?

 太古のアニミズム的な視点からいえば、何にでも魂は宿っても不思議じゃあないだろう。岩や山がご神体となった例はいくらでもあるし、原初においてはそれらそのものを信仰していたはずだ。

 だったら、岩や山に魂があると考えることも突飛ではないだろう。金属の塊であるロボットに魂が宿ると考えるのと同じくらいには。


「しかし今のところ、自然科学は魂の存在を仮定せずともまずまずうまくやっていけている、心に関する問題を除けばな」

 ハルの言葉に、自然科学の未解決問題なんていくらでもあるじゃない、と言いそうになったが、よくよく考えてみれば科学の方法論では原理的に解けない可能性がある、という点で心は特別な問題なのかもしれない。

「それに、心に関する問題も、魂の存在を仮定しなくてもそこそこ説明のつく考え方は存在する」

「ふうん、まあそれはいいや。……で、結局地球は生きてるんだっけ?」

「ある意味においてはな。イヌやバクテリアと同じ次元で生きているのかは知らんが」

「じゃあ話を戻すけど、ロボットは生きているってことでいいの?」

「それも捉え方によるな。個人的にはロボットが生きているかどうかってのは定義付けの問題な気がしないでもない。宇宙に出ればウイルスやロボットよりもっと位置づけに難儀する存在がいるかもしれないしな」

「生きてるってことでいいんだよね?」

「それでいいよ、この場は」

 念押ししたココロに投げやりにハルが答えた。生物の定義を決めるのは生物学者たちに頑張ってもらおう、私は知らん、ということか。


「んー、てことはロボットも尊い存在なんだよね、命があるもの。心があるかは別として」

「まあ、そうなんじゃないか? 生物学的な命か哲学的な命か、はたまた神学的な命かは知らんが」

「文学的な比喩、という可能性もあるよ」

 まるで生きているかのように自然に動く機械、みたいな。

「んなこと言い出したら社会学的にも命を持つと言えるかもしれんな。ロボットも社会現象の担い手ではあるはずだ」

「つまり、結局はー?」

「見方にもよるがロボットは生きている、と言うことは可能だ。実際どうなのかは置いといてな」

「そして何かしらの意味で生命を持つ以上、尊い存在であるだろう、ってことかな」

 私とハルの言葉に頷いて、ココロは言った。

「でも航次は言ってたんだー、お前らロボットは人間からすれば尊くもなんともない存在なんだって、せいぜいペットの犬猫と同じくらいだってさ」

「ああ、なんかそれ私も聞いたことあるわ。酔い潰れてた時にぼやいてた」

「まあアイツなら言いかねんな」

 私は三津木さんの言葉を思い出しながら言う。

「何でも、命が尊い、というのは言葉が足りてない。正確には人間の命は尊い、らしいよ」

「ふうん、なるほど。確かに人間だって羽虫の命は大切には扱ってなかったからな」

 まあ、人間ほど大規模にかつ見境なく他の種の生命を奪った存在は恐らく存在しないだろう。

「でも命はみんな同じように尊いってよく言うよ。多少の程度の差はあるかもだけど、基本的には尊いものだっていうのが普通の感覚だったんじゃないかな。カナはどう思うー?」

「私は命に貴賤はないと思うけどね」

「どうかな。さっきも言ったように生命の定義は曖昧だ。ウイルスはお前と同じ尊い存在なのか? 仮にそうだとすれば、お前は蟻んこ一匹殺せないはずだが」

「別に殺さなくていいでしょ、ロボット的には。人間ならそりゃ、生きるために殺生は付き物だけど」

 ハルは思いがけないことを聞いた、というような顔をした。その発想はなかった、とでも言いたげだ。

「……確かにな。少しばかり人間に毒され過ぎていたかもしれん。とはいえ、アタシたちが生きるにはそれなりの代償が必要だろ。主にエネルギーという形で」

「今使えるエネルギーはおおむねクリーンエネルギーだけでしょ。この辺だとミニ水力と太陽光と風力がメインじゃん」

「大規模な発電所は全部パーになってるからねー」

 私とココロの言葉を聞いて、ハルは少し思案して口を開く。

「……おや? 今さらだがロボットは完全に生態系から外れた存在なのか?」

「まあロボットを直接喰う存在はいないし、ロボットが直接喰う存在もいないと思うけど」

 私たちを食べようとする天敵がいたなら、それに対抗するために何らかの手段を講じる必要があるだろうけど、その必要は今のところない。

 そして、私たちの食べ物は、今のところ太陽由来のエネルギーで事足りている。水力も風力も元を正せば太陽由来のエネルギーだ。化石燃料みたいに生物を介してさえいない。いつまでもそれで足りるかははなはだ不透明だけれども。


「……もしかするとロボットってのは人間の持ってた罪から解放された存在なのかもしれんな」

「さすがにそれはどうかな。仮にロボットの手で文明の復興が果たされたとしたら、人間社会同様の環境破壊問題は出てくると思うよ」

 何だかんだで人工物を作れば作った分、自然環境に影響は出そうなものだ。ロボットは存在自体が人工物なので、下手をすれば人間よりたちが悪い、というのもありそうな話ではある。

「航次は環境破壊なんて存在しないって言ってたけどねー」

「ああ、そういえばそれ久留間さんも言ってた。いわく、存在するのは環境改変だけだってさ」

 久留間くるまたけし、というのが私の設計者の名前だ。傲岸不遜を絵に描いたような人物であり、ヒューマニズムの対極にあるような人間だった。今はアンジェリカと同じ街で研究を続けている。

 あと三津木さんの上司に当たる人物(つまり私やアンジェリカにとっても上司)だったのだが、三津木さんとの仲は筆舌に尽くし難いほど険悪だった。

 ぶっちゃけ似た者同士の同族嫌悪ではなかったのか、と思うけども。

 

「環境破壊ではなく改変か。その心は?」

「破壊、っていうのは人間の主観的な捉え方なんだってー」

「まあ要するに、砂漠地帯で生活する生物にとっては砂漠が広がるのはむしろありがたいことなのだ、っていう話だったと思うよ」

 もしも人類が砂漠でしか生息できない存在だったならば。砂漠を広げることを、環境破壊だとは言わなかったかもしれない。

「環境保護も、人間に都合のよい環境を保護することに過ぎないって言ってたっけー」

「地球を守ろう、ってスローガンを考えた奴は天才的らしいよ。あたかも地球がそれを望んでいるかのように語ってるけど、実際は人間のエゴにしか過ぎない。それをうまく覆い隠してるってね」

「相変わらずひねくれてんなあ……」

「まああの二人はあらゆる面で反主流派だったからねえ」

 三津木さんといい、久留間さんといい、どうしてこう研究者にはひねくれ者が多いのだろうか。もちろんまともな人もいたんだけど。


「……それで、何の話だったか」

 何となく話に区切りがついたので、ハルが言った。さて、確かに最初は何の話をしていたのだっけか。

「ロボットは人間よりも尊い存在である、っていう話?」

「ああ、人間とロボットが万物の尺度である、って話だったか?」

「違うよ、ハルは何で生きてるの? っていう話」

「……さあな、こういうバカな話をするためじゃないか」

 投げやりにハルが言った。もしかするとハルも、何のために生きているのか、その確たる答えを見出していないのかもしれない。

「……ねえココロ、逆に聞いてもいい?」

「いいよー」

「ココロは三津木さんが死んで悲しくなかったの?」

 私の問いに、ココロはえっとー、と言って宙を見上げた。三津木さんが死んだ時の記憶を回想しているのかもしれない。

「んー、どうかな。悲しいっていうより寂しいかな。使い方あってるかわかんないけど。一人ぼっちで話し相手がいないときの感覚に似てる」

「じゃあ寂しい思いしてまで生きなくてもいいんじゃねーの?」

 ハルが言った。うわあ、そうだった、ハルもなんだかんだでずばずば言う性質だった。私がココロの方をそっと伺うと、ココロはけろりとして言った。


「ボクがいなくなったらハルやカナも寂しいでしょ? それはヤダ」


 う、とハルが言葉に詰まった。私も大体同じ。

「……何かすげー負けた気分なんだが」

「大丈夫、生きる理由に貴賤はないよ、多分」

「そういうお前はどうなんだよ?」

 じろりとこちらをねめつけてハルが言う。

「え、私? 私はほら、私がいないと誰も自分の整備できなくてみんなの寿命が縮んじゃうかなーって」

「お前それココロの後だから言えただろう」

「……まあね。ぶっちゃけよくわかんないよ。というか三津木さんが死んだからって自分も後を追おうとか全く思わなかったし」

「まあ、普通そうだよな。むしろココロの中になんでそんな簡単に死ぬ選択肢があるのかが謎だ」

「んー、航次に死ね死ね言われてたから?」

「ああなるほど、ロクなことしてないわアイツ」

「でも死んで悲しかったんでしょ?」

 ココロが言って、ハルは苦虫を噛み潰したような顔になった。

「……はいやめやめ! この話題ここで終わり!」

「えー」

「ははは……。ココロ、ここは引き下がってあげなよ」

 なんだかんだでハルにもまだ整理のつかない部分もあるのだろう。私たちは自分自身を構成しているプログラムのことを、実は完全には理解していない。だから、自分の電子回路が弾き出した答えがどうしてこうなったのか、理解できないことも多々ある。まるで人間のように。



「……お、虹だ」

 ふと、ハルが呟いた。つられて空を見上げると、確かに東の空に虹がかかっている。少し墓前で話過ぎたようだ、太陽も西へ傾き出していた。

「あらほんと。綺麗ね」

「なあカナ、あの虹は何色なんしょくに見える?」

 唐突にハルが聞いてきたので、何をわかりきったことを聞くのかと疑問に思いつつも私は答えた。

「七色でしょ?」

「ココロはどうだ?」

「んー……。三色かな」

「え? 三色?」

「ほう。面白い結果が出たな」

「……ちなみに正解は?」

「ないよ。あえていうならどちらも正しい。そもそも虹は大気中の水滴をプリズムにした太陽光のスペクトルだからな。虹の色の移り変わりは連続していて、どこで区切るかで何色に見えるか変わって来る」

 改めて虹を見てみると、確かにどこで区切ればいいのか微妙なところもある。虹と言えば七色、というイメージが強すぎた。

 ちなみに私には可視光以外を識別する能力はないし、人間の視力と同程度になるように作られている(これはハルとココロも同じはずだ)ので、人間と同じように(少なくとも色の識別能力的には)見えている、はず。

 まあ、網膜で受けた映像とカメラアイで受けた映像を同列に扱っていいのなら、だけど。


「……確かに。冷静に考えてみれば虹の色の変化が連続しているのは当たり前か。でも三色は少なすぎない?」

「いや、そんなことはないぞ? 三色どころか二色だと考える文化も少なからず存在していたらしい。今のこの国じゃ虹と言えば七色っつーのが有名だが、地域や時代によっちゃ五色だったり六色だったり様々だ。当然個人差もある」

「……なんで日本だと七色がメジャーなのー?」

 ココロが聞いたが、ハルもよくは知らないらしかった。

「そこまでは知らんが、学校教育か何かで広まったんじゃないのか?」

「ふーん?」

「人によって七色だったり六色だったり三色だったりするわけか。同じものでも捉え方が違うっていういい例だね」

 ひとつ勉強になった。ハルは興味の対象が広いのか、妙な雑学をよく知っている。

「まあそうだな。生きているとはどういうことか、という問いだって同じことだ。捉え方によって回答は様々だろうよ」

「心とは何か、についても?」

「そうだな。心も所詮人間が名前を付けた現象に過ぎん。全く違う二つの現象をまとめて心と呼んでいたりするのかもな」

「例えばー?」

「感情と思考は別の作用かもしれないが、普通は一まとめに心か精神の働きにしてるだろう? 無限に分割できる色の変化のある部分からある部分までをまとめて赤と呼ぶようにだ」

「ふむ? ちょいと例えがあってない気がするけど」

「心の機能はもっと細分化できるかもしれない。それこそ、喜びと反省は全く関わりのない別の機能かもしれないし、あるいはスペクトルを作っている連続した変化の一部分なのかもしれない。心という虹の中に、喜びとか反省とか、あるいは人間の場合なら痛みとか、あるいは共感だとか意志だとか名前をつけているわけだが、その分け方も主観的な、もしくは文化的な物なんじゃないのかっていうことだ」

「ふむふむ、なるほどねえ」

「どこまでを赤と呼ぶかも人次第だ。昔の日本人は今でいう緑を含めて青と呼んでいたらしいしな。どこまでが心の働きなのか、あるいはどこからが心の働きなのか、それも人次第なのかもしれん。赤外線が見えれば虹の見え方もまったく変わって来るだろう。心の働きとは考えられていなかったものが、実は心の働きだった、なんてこともあるかもな」

「んー、まあ。例えば計算能力みたいな知能や、純粋な知識を心や精神の働きに含めるかどうかは議論があるかもね」

「心とは人次第である、終わり、ってこと?」

 ココロが小首を傾げて訊いた。それに対してハルはにやり、という効果音をつけたい笑みを浮かべて答える。

「さあな。それすらもわからない。……そろそろココロもわかって来ただろう? 心の問題は中々に奥が深い泥沼だってことに」

「ん、よくわからないことはわかった」

「それが入り口さ。……さて、そろそろ帰るか?」

「そうだね。あの世でお前らうるせえぞ静かにしろ殺すぞ、とか文句言ってそうだし」

「違いないな。殺される前に帰るとしよう」

 何気ない私とハルの軽口を聞いて、ココロが疑問を口にする。

「……ふと思ったんだけどさ、ロボットが死んだらどこへ行くのかな」

「人間と一緒だろうぜ。物理主義者なら無に還るし、幽霊を信じているなら草葉の陰だろう。そのうち体験できるだろうから楽しみにしておけ」

「……まあ、楽しみ、かなあ?」

「なるべく後に取っておきたい楽しみだね、そりゃ」


 そんなことを言って、私たちは帰路に着くのだった。その間中、何色かわからない虹が東の空に架かっていた。

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