第1話

 人類は崖っぷちに立たされていた、というのは少し不適切な表現だろう。


 人類はもう崖から落っこちてしまった。滅亡を回避できる可能性はほとんどない。

 先週、この町最後の人間が死んでしまったことが、その事実を私たちに突きつけていた。



 ***



「カナー、ボクだけど入っていいー?」


 ドア越しに声が聞こえた。抑揚のない平板な声に反して、口調はのんびりしている。


「どうぞ、開いてるよ」


 私の返事を聞いてガラガラと戸が引かれる。元々は自動で開いたのだけれど、今はもうその機能は停止しているのだ。そういやもうロック機能も働いてなかったっけ。

 入って来たのは栗色の癖毛が特徴的な小柄なロボット。ココロだ。


「どうしたの?」

「何か知らないけど、ハルがカナを呼んで来いって。ハルは居間にいるから」

「わかった、すぐいく」

「んじゃそゆことで。ボクは散歩に行ってくるから」


 私の言葉を聞くやいなや、ココロはそう答えてくるりと身を翻して駆けて行った。


 ココロは中性的な容姿をしたロボットだ。というか性別の設定がされていない。正確にはする暇がなかったので、どちらともとれるような容姿になった。そしてココロ自身はどちらでもいい、あるいはどちらでもないと考えている。

 あの子は新型ロボットの試作機として開発されていたのだが、そのころにはもう人類は存亡の瀬戸際に立っていた。

 ココロが完成するよりも人類が滅亡するのが先になりそうだったので、予定を大幅に繰り上げてロールアウトされたのだ。

 そのせいで性別も決まらなかったし、多くのロボットに比べて最初にインプットしている知識も少ない。それが原因かどうかは知らないけど、人間でいう子供っぽい言動をすることも多い。無邪気というべきか、純真というべきか。

 まあ本来ロボットに性別が必須かというとそういう訳でもないのだろうけど。私が女性型なのは、人間社会に組み込まれる上で性別があった方が便利だったからだろう。



 ***



 居間に行くと、ハルがしかめ面で腕組みしていた。何か考え事でもしているのだろうか。


「ハル、何か用?」

「ああ、カナか。悪いな、ちょっと調子がよくないんで診てもらいたいんだが」


 彼女、ハルはいささか口調が乱暴な女性型ロボットだ。それはおおむね彼女の生みの親に由来している、と私は信じている。

 ハルと、それからココロの設計を主導したのは三津木みつき航次こうじという人間で、控えめに言っても性格が悪かった。口を開けば嫌味しか言わなかった彼に比べれば、ハルのは大分マシと言えるだろう。

 そもそも彼なら私を呼びつけて「悪いな」などとは絶対に言わない。うん、ハルは彼とは違って良識あるロボットだ。


「調子がよくないって、具体的には?」

「胸のあたりだな。金属疲労でも起こしてんのか、違和感がある」

「ふむ。ちょっと見せてみ」


 私の言葉に頷いて、ハルは立ち上がった。女性型にしては長身の彼女は私より頭一つ分背が高い。長い黒髪はいつも通り無造作に後ろに束ねられていた。

 私はおもむろに彼女の胸に耳(正確には、人間で言えば耳にあたる装置)を当てる。彼女の胸の膨らみは控えめにデザインされていたので、内部の音を聞くのにもさほど支障はない。

 とはいえ、人工皮膚を通してくるのはごくわずかな駆動音だけだ。これで病状を断定できるかというと――。


「んー、よくわかんない」

「おいおい、専門家の癖に頼りにならんな」

「私はどっちかというと設計よりの技術者だからね」


 私はロボット工学を専門とする技術者として作られた。つまり、ロボットを作るロボットとして。私が生まれた頃にはそれほど珍しい存在ではなかったが、最初にロボットを作ったロボットは当然のように歴史に名を遺していたりする。


「なんならもっと詳しく診ようか? しばらく眠ってもらうけど」

「あー、バラすの?」

「場合によってはそうなるかもね」


 ハルは少しばかり悩んだ後、ため息を吐く仕草をした。ロボットは空気を吸ったり吐いたりする必要はないが、ボディランゲージは人間のそれを真似ている。


「しょうがないな、よろしく頼むぜヤブ医者さん」

「ヤブ医者って……。まあ私に医療ロボットの繊細さは求めないことね」



 ***



 ベッドに横になったハルを前に、私は安堵していた。


「パーツを取り換える必要もなくてよかったよかった。妙な場所が歪んでたもんだけど」


 私の言葉に、ハルは無言で答えた。ぴくりとも動かない。


「おっと、起こすのを忘れてた」


 起動コマンドを入力すると、ハルはゆっくり瞼を開ける。


「おはよう、ハル」

「もう夕方だろ? で、どうだった」

「ちょっとフレームが歪んでただけ。処置はしといたから多分治ってるでしょ」

「お、言われてみれば確かに」


 実際のところ、今の状況で出来ることなんてたかが知れている。仮にパーツの交換が必要な状態だったとしても、交換用のパーツを手に入れる当てがない。

 私たちは定期的なメンテナンスを前提として設計されているので、まともな整備も出来ないこの状況は私たちの寿命を大いに縮めているに違いない。

 大した修理も必要なかったのは、幸運と言えるだろう。


「にしても、変なところが歪んでたんだけど、心当たりある?」

「あー、いや、どうだろうな」


 ベッドに腰掛けるハルの返答はどうも煮え切らないものだった。疑問に思ってさらに尋ねる。


「違和感を覚えたのはいつごろから?」


 その言葉に、ハルは少し黙った。言うか言わないか吟味しているようだ。

 じっくり悩んだ結果、言うことにしたらしい。おずおずと切り出す。


「……笑うなよ?」

「いや、笑いはしないけど」

「ちょうど一週間前からだ」


 一週間前、というと。

 この町の最後の人間が死んだ日であり、


「そう、三津木航次の死んだ日だ」



 私が何も言えずに黙っていると、ハルが口を開いた。


「どう思う?」

「どうって……」

「アタシの不調の原因は、何だと思う?」


 ハルはそう問いかけた。彼女にしては神妙に見えなくもない面持ちで。

 三津木航次。ハルとココロの製作者であり、一時は同じロボット工学の技術者である私の上司であったこともある。

 その縁もあって、私は彼の二体の遺児と彼の持ち家だったこの場所で暮らしているのだ。

 はっきりいって彼はろくでもない人間性の持ち主であり、周囲からは厄介者扱いされていて、多分一人も友人なんていなかったことだろう。

 春に完成したからハルだとか、試作機だからココロだとか、適当な名づけでも有名だった。そんなわけで、お世辞にも私は彼を尊敬していたとは言えない。一応元上司なので敬称で呼んではいたけど。

 それはハルも同じことで、彼とハルが皮肉を言わずに会話をしたところを見たことがないほどだ。彼に作られたロボットの半ば義務として、ハルは最期まで付き合ってやったようなものだし、私はそのハルに付き合っていただけだ。

 それでも一週間前のあの日、私は悲しかったのだ――もしもロボットに心があるとして、だけど。


 ハルが言外に仄めかしていることを否定するのは簡単だ。彼が死んだ日に胸に異常が起こった、それは単なる偶然。間違っても彼の死が引き金だったりするわけない。むしろハルならそっちの答えを歓迎するかもしれない。アイツの死がそうまでアタシを苦しめるなんて、あるはずがないとかいいながら。

 けれど、私は何も答えられなかった。そんな私を見て、ハルは質問を変えた。


「なあカナ、ロボットは心を持てると思うか?」


 ハルは、私の目をじっと見据えた。人間のみならず、ロボットにとっても苦難のこの時代。得難い友人に真剣に問われているならば、これ以上だんまりを決め込むわけにはいかない。

 私は私の考えを述べることにした。


「断っておくけど、これは可能性の話だからね。現状のロボットに心があるかどうかじゃなくてさ」

「ああ、それで構わんよ」

「では。ロボットは心を持てる可能性があると、私は思う。仮にもチューリングテストはクリアしているわけだし、少なくとも機能的には、私たちは人間同様に振る舞うことができるんだから」


 会話能力において、私は人間と比べても遜色はない。もちろんだからと言って心を持っている、とはすぐには言えないのだけど。


「ははっ、本気で言ってんのか? 金属の塊に心が宿るかもって? 超能力が存在するかもしれないと言っているようなもんだぜ?」

「ロボットが金属の塊だって言うんなら、人間だってタンパク質の塊でしょうが」

「違いねえな。まあ、心が物理的なものだとすれば、ロボットでも心は持てるかもな」

「理論的にはそうじゃないの? 人間の脳と私たちの電子頭脳が同じ役割を果たしてるなら」


 人間が私たちを作ったとき、彼らは人間の脳や、心や意識、あるいは知能について完璧な理解を持っていたわけじゃない。

 ただ、人間の脳を模した電子回路を作ってみたら、それが高性能だっただけの話だ。

 経験的に私たちの電子頭脳が人間の頭脳とほとんど変わりない機能を有しているのだろうとは言えるけれど、本当にそうなのかは疑問の余地があると言えばある。


「けどまあ、やっぱりアタシの不調は経年劣化のせいだな」

「なんで?」

「考えてもみろよ、三津木の死がどうやってアタシに影響を与えるんだ? 三津木の死がアタシに直接物理的な影響を与えられるようには思えないぞ?」


 むぐ。私は黙った。物理領域は因果的に閉じている、とかいう奴だったか。物理現象の原因として考えるべきは物理的なものだけだ、という考え方。

 今回のケースでハルが言いたいのはこういうことだ。ハルの不調は物理的な金属疲労や経年劣化で説明できる。それ以上の原因は必要としない。物理的な意味では存在しない、つまりモノとして存在しない心というものの不調が、物理的に存在する体に影響を与えているならば、物理法則に正面から喧嘩を売っていることになる。超能力が存在しない以上、そんなわけがない、ということだ。


 しかし、病は気から、という言葉がある。人間はどうも心の不調が物理的な身体に影響を与えていたらしい。それはどういうことか?

 それを解決するのは簡単な話だ。という前提があればいい。

 心の状態の変化はすなわち脳の状態の変化であり、脳の状態の変化は物理現象だ。ゆえに心も物理的だから、物理的な体に影響を与えうるのだ。

 物理法則を破らずに、病は気から、を説明するにはこう考えるのが一番自然だろう。


「……一般的な人間の話として、親しい人の死が心に不調を与えて、それが原因で体を壊すことだってあると思うんだけど?」

「確かにそういう話はよく聞くな。で、具体的にどう人の死が心に不調を与えるんだ?」


 意地の悪い。経験則や一般論では納得しなさそうだ。しょうがない、少し考えてみるか。

 ……人の死は一面では物理的な現象だ、と言えるだろう。その物理的な現象が原因となって、物理的な心(つまり脳)に影響を与えること自体は何の問題もない、と思う。

 けれど、どうやって、と言われると困る。なにせその過程は完璧には解明されていない。だから答えに困るのだが、それなりの意見は述べておこう。


「……まあ、人の死を何らかの形で知覚するとするでしょ? 分かりやすく人の死を目撃したとして、その情景が網膜や視神経を通して脳に伝わるじゃない? すると脳内の状態に変化が起こるわけでしょ? となれば、脳と関連する心にも何かしらの変化が起きてもおかしくはないと思うけど」

「よくできました。ただしそれは人間の場合だ。ロボットの場合はどうなる?」

「同じじゃない? 網膜がカメラアイになって、脳が電子頭脳になるだけでしょ」

「そこから先だよ。心に変化が起きた後は?」

「えっと、電子頭脳の変化が……」


 そこで私の言葉が詰まった。人間なら脳の状態の変化が脳内麻薬の分泌だか自律神経だかに変調を与えて体の不調を呼び起こした、とか説明がつくけれど。

 どう考えても電子頭脳の変化が胸部の金属フレームを歪ませる結果に繋がるとは思えない。人間の場合だって、親しい人間の死が直接の原因となって骨折を起こしたりはしない。

 少なくとも、物理法則を尊重する限りは。


「わかったか? 今回の件は単なる間の悪い偶然に過ぎないのさ」


 ハルは彼女の当初の問いに、あっさり自分で答えてしまった。自分の中で答えが決まっているのに、私に尋ねた理由。

 それは、私に否定してほしかった問いだったからではないのだろうか。

 とはいえ、私はハルじゃない。彼女が本当に何を考えていたのかはわからない。

 それでももう少し、抗ってみるとしよう。


「いや、まだわからないじゃない。としたら?」


 むしろ、心が物理的だ、というよりは非物理的だ、とした方が一般的な感覚に近いだろう。なにせ心は眼に見えず、触れることもできず、物理法則に従っているかも怪しい。

 仮に心が非物理的な形で実在するとすれば、何も物理法則に縛られる必要はないはず。物理領域が閉じていようが、超能力はお構いなしにスプーンを曲げる。

 超能力は存在しないかもしれないけど、超能力染みた心は存在するかもしれない。


「そりゃ、それなら説明はつくかもしれんが。性質二元論ならともかくロボットが実体二元論を持ち出すのはどうなんだ?」


 ややこしい言葉が出て来た。確か哲学で使われる用語だ。


「いきなり専門用語を持ち出して来ないでよ」

「忘れたのか? アタシは元哲学者だぞ?」


 そうだった。三津木航次は自らの処女作を世界で最初の哲学専攻のロボットとして設計したんだった。ハルが三津木さんに反発してすぐ勉強を止めたらしいけど。

 大学の研究室に配属されたにも関わらず三日で辞めたという逸話は語り草になっている。その後、笛を吹いたり山に登ったり絵を描いたりしているうちにここに戻って来たとかなんとか。


「仮に心が魂のような形で実在するとするなら、魂が物理領域に影響を与えていることになりかねないがいいのか?」

「そんなオカルトありえません、って言いたいんでしょ?」


 心が魂というような非物理的な形で実在し、それが物理的な人間やロボットの身体に影響を与えているとすると、物理領域が因果的に閉じている、という物理学の暗黙の前提を破ってしまうことになる。それを認めてしまうと、確かに何でもありになってしまいかねない。例えていうなら、幽霊が物質に触れることができるということだ。ポルターガイストを認めるのと大差はない。

 もし魂が身体に影響を与えているのが事実ならば、少なくとも既存の物理学に何らかの修正が必要になるだろう。


「そう、そんなオカルトは認め難い。そもそも心というのは――」


「呼んだー?」


 突然の声に驚いて振り返ると、ココロだった。散歩という名前の水車と風車の点検から帰って来たらしい。


「あ、もう終わってたんだー。ハル、大丈夫だった?」

「ああ。大したことなかったよ。ピンピンしてるぜ?」

「そうなの?」


 小首をかしげてココロは言ったが、すぐにまあいいやと言って話を切り替える。


「そういえばなんかボクを呼ぶ声が聞こえた気がしたけど、何?」

「ああ、あれはココロを呼んでたわけじゃなくてね」

「マインドの方の心の話だ。心が物理的なものかどうかとか、そういう話」

「ふーん? 難しい話をしてるんだね」


 さして興味もなさそうに言うココロに対して、ハルが聞いた。


「お前はどう思う? 心とは、どんなものだと考える?」

「えーと、心は心でしょ?」


 確かに心は心だ。それは間違ってはいない。間違ってはいないが答えになっていない。

 そんなココロの答えに、ハルは笑った。


「ココロの反応は、人間としては正しいがロボットとして間違ってるな」

「何それ、褒めてんの? バカにしてんのー?」

「人間らしいロボットだって褒めてるのさ」


 そこでココロは少し考える。それからにこりとほほ笑んで言った。


「ごめん、それのどこが褒め言葉なのか全然わかんないや」


 ココロの笑顔が皮肉か本心かは、ココロでない私にはわからない。

 まあ、勝手に想像するなら無意識の皮肉というところだろうか。ココロは皮肉を使えるようなタイプじゃないと、これまでの経験からそう判断する。

 ロボットに無意識があるか、もまた妙な問題なので、意図しない皮肉、としておこうか。


 ココロの言葉を聞いて、ひゅう、とハルが口笛を吹いた。


「いいねえ、ココロのそういうとこ、大好きだぜ」


 そういうとこ、とはどういうところだろう。率直な意見を述べるところだろうか。それはそうなんだけど、ハルは一つ、ココロに関する前提条件を忘れている。


「まあ、ココロは一般的な人間をあまり知らないからね。ハルだって三津木さんそっくりだ、なんて言われたらイヤでしょ」

「……そうだな、イヤというかそう言った奴の正気を疑うな」


 私の言葉に、ハルは一瞬で真顔、あるいは不機嫌な顔になった。口笛の代わりに舌打ちが聞こえそうだ。


「確かに私も正気を疑いたくなるかな。アレに似てる奴なんてそうはいないよ。あ、人間には一人いたか」


「それでー」


 私の言葉にハルが返答しそうになる寸前に、ココロが間延びした口調で言う。

 のんびりした口調の割には、この子は言いたいことをはっきり言うタイプだ。会話をぶった切ってでもである。あるいは空気が読めないと言うのだろうか。


「心は心だっていう言葉の、どこがロボットとして間違ってるの?」


 ほんの少し不満が混じったような声だった。


 ロボットにはおおむね二通りの思考パターンがある、ような気がする。

 親人間派と反人間派、というのは言い過ぎか。要するにロボットであることに誇りを持つタイプと、そうでないタイプ。

 あるいは、人間に憧れるタイプと、そうでないタイプ、と言ったところ。

 ココロはロボットであることに誇りを持つ、とまではいかないにしても、人間になりたいとは全く思わないタイプなのだろう。

 だから、人間として正しい、よりもロボットとして間違っている、という言葉に反応するわけだ。

 ちなみに私もさほど人間に憧れを抱いているわけではないが、生みの親である人類には――生みの親その人ではなくて、種としての人類には――親愛の情を覚えている(まあ、もし私に感情が本当にあれば、の話だけど)。


「ああ、そのことか。簡単な話だ。多くの人間は自分が心を持っていることに疑問を抱かない、とまあそれだけの話」

「えっとー」


 ココロはちょっと考えたが、首を横に振った。


「わかんない。もっとわかりやすく説明してよ」

「ふむ。そうだな、人間にとって心というものは当たり前の存在で、心とは何か、深く疑問を抱く機会が少ないのさ。だから、心は心だ、と答えるのはとても人間っぽいと思っただけ」

「ロボットは違うの?」

「ま、一般的なロボットにとっちゃ自分が心を持つかどうかは中々確信できないもんだろ」

「そうなの? カナも?」


 不意にお鉢が回って来た。私が心を持つか、どうかか。


「……まあ確かに。自信を持って私は心を持つロボットです、とは言えないかな」


 これが感情というものなのか、と思うような経験はいくらでもある。我思う、を実行している気もする。けれどそれが本当に感情なのか、あるいは人間と同じ思考をしているのか、と言われると、自分では判断に困るのだ。


「ふうん?」


 ココロは不思議そうな顔をした。彼女にとっては自分が心を持つことに疑いはないのかもしれない。いいことだ。羨ましい、と言うべきか。


「納得いかないみたいだな、ココロ。だが考えてもみろ。アタシたちロボットは確かにこれが心だ、というものを直接知らない。そりゃあ人間たちは心を持つのかもしれないが、アタシたちは人間にはなれない。人間が考える、あるいは感じている心と、アタシたちが考える心の間に隔たりがあったとしても、確かめることさえできない」


 一応、その説明でココロは納得したみたいだった。しかしそれは次の疑問を呼んだらしい。


「じゃあ、確かに心を持つはずの人間たちから見て、ロボットは心を持つ存在だったの?」

「それは微妙なところだな。機械に本当の心は持てないと言う奴もいたし、お前は確かに心を持つ、と言った奴もいたよ」

「えー、なんでそこで反応が分かれるわけ?」

「簡単な話だね。人間も心とは何か、きちんと理解していなかったっつーことだ」

「自分が心を持つのに?」

「だからこそ、さ。いやいや、あるいは人間も心なんて持っていなかった、という 能性も考えられるな」

「まあ、人間が心を持つかどうか、私たちには確かめる手段がないんだよねえ」


 仮に私が心を持つとして、直接経験できるのは自分の心だけだ。他者、ましてや人間の心は経験できない。人間が心を持っているか、外部から判断しようとしても、そもそも私の心は本当に心と呼べるものかどうかわからない。だから人間が心を持っているかどうかの判断基準がないのだ。

 それは人間にとっても実は同じこと。彼らが直接経験できるのは自分自身の心だけだ。自分自身の心を判断基準として、他者に心があるかどうかを推論によって判断している。

 例えていうなら、自分が本物の通貨を持っていれば、それを元にして他人が持っている通貨が本物か偽物か判断できるけれども、自分の持っている通貨が本物かどうかわからないのでは、他人の通貨についても偽造されている疑いを拭えない、というわけだ。

 自分に心があると確信できるから、それを元にして誰か別の存在にも心があると判断できるのだ。私たちにはその確信がないか、あっても人間のそれと比べれば弱い。


「つまり、アタシたちロボットにわかることは一つだけ。『人間は心を持っている、と主張していた』ということだけなんだよ」

「えー、あんな不機嫌そうな顔作れるんだから、心も持ってるでしょー?」


 ココロはきっと一番長い付き合いだった三津木さん、つまり自らの生みの親を思い出して言ったに違いない。彼は皮肉や嘲笑以外で笑わなかったし、泣いているところも見たことがない。彼の一番人間らしい表情は不機嫌な顔だった。


「そりゃどうかな。カナ」

「ん?」

「特定の言葉や状況に反応して不機嫌そうな顔をするだけの、知能を持たないロボットを作れるか?」

「材料と設備さえあれば作れるよ。人間が見て『あ、コイツ不機嫌だな』っていうのがすぐわかるくらいの表情ならね。三津木さん並みに芸術的な不機嫌顔は難しいかもしれないけど」


 まあ、私たちのような自律型ロボットを作るよりは遥かに簡単だろう。

 ただ実際のところ、私たちは特定の状況に反応して表情を変える、ということを高度にやっているだけなのではないか、という恐ろしい可能性もあったりするのだけど……。

 まあそれは言わないことにしよう。


「らしいぞココロ。不機嫌そうな顔ができるだけじゃあ心を持つとは言えないんじゃないか」

「むう。でもさあ、心を持たない人間が小説とか音楽とか絵とか作れるかなあ」

「じゃあ思考実験だ。一匹の猿にタイプライターを叩かせたとしよう。するとたまたまできた文字列がシェイクスピアの『ハムレット』と一言一句違わず同じになった。猿は心を持つか?」

「……ねえ、カナ。タイプライターってなに?」


 ココロの言葉に、私は記憶を探る。すぐには見つからないので、さらに深く潜る。


「……ごめん、私もわかんない」

「…………まあそうだよな、タイプライターなんて時代遅れの遺物だよな。えーと、あれだ、キーボード。パソコンのキーボードなら知ってるだろ」

「あー、それはもちろんわかるよ。航次とかカナとかが使ってたやつだね」


 ココロはキーボードを打つ仕草を真似ながら言うが、あまり様になっていなかった。


「昔はみんな使ってたんだけどね。ネットが機能しなくなってからも使ってるのは技術者くらいになったかな」


 たぶんココロはキーボードに触れたことすらないはずだ。ハルは多少経験があるのだと思うけれど、私は使ったところを見たことがない。


「それで本題に戻るが、猿が偶然文学作品を作り上げたとして、猿は心を持つのかどうか、ということだ」

「猿は持つんじゃない? 頭いいんでしょ?」


 あっけらかんにココロは言った。人間の祖先は猿だというし、多少なり心はあると考えるのが自然だろうか。もしかしたら立派な心を持っている可能性も十分ある。


「まあ少なくとも仲間内でコミュニケーション取ってるくらいだしねえ、一概にないとは言えないんじゃないの」

「……例えが悪かったな」


 私の言葉にハルはそう言って頭を掻いたが、ほかに良い例えが思いつかないらしい。しょうがないので口を挟む。


「言いたいことはわかるよ。ランダムでできた事象がたまたま芸術作品みたくなったとして、それを作り上げたものが必ずしも心を持つとは言えないってことでしょ」

「うん、ボクも何となく理解した。芸術作品を作れるからと言って芸術を理解しているとは限らないし、心を持つとも限らないってことだね」

「わかってもらえたようで何よりだ」

「じゃあさ、どんな状態なら心を持つって言えるの?」


 そのココロの問いかけに、ハルはふむ、と頷き少し考えてから返事をした。


「なかなかいい質問だよ、ココロ」

「そう?」

「ああ。その質問に余すことなく答えられたとすれば、偉大な賢者として歴史に名を遺すことになるだろうな」

「えー? どゆこと?」


 はぐらかすようなハルの答え。まあ未解決問題というところなのだろう。


「要するにわかりません、ってことでしょ?」

「そりゃそうだ。それがわかりゃロボットに心があるかどうかなんて一発でわかるだろが」

「……確かに」


 言われてみれば。私が自分に心があるのかないのかはっきりしないのは、心とはどういうものか、よくわからないからだ。心とはこういうものだ、と示してくれれば、自分に心があるかないかはすぐわかるだろう。


「人間もわかってなかったの?」

「まあ、学問的な領域では最後まで統一見解は出なかったみたいだな」

「学問的じゃない領域だとー?」

「言ったろ。多くの人間にとって心は心だったはずだ。心とは何か、と問われて心だ、と返すんじゃ、答えにならない。まあもしかしたら、心とは心だ、としか答えられんのかもしれないが」

「じゃあそうなんじゃない? みんな何となくそう思ってたんなら、それなりの理由があるでしょ」


 ココロの言葉にハルは再び少し考える。なるほどな、と呟いてから言った。


「一理ある。一理あるが……、本当に考え尽くしてそうなった結果ならともかく、何となくそう思う、だとちと弱いだろ」

「むう。じゃあ、本当に考え尽くしてそうなればいいんだね?」

「簡単に言ってくれるじゃないか。考え尽くす、なんて三日やそこらでできる芸当じゃねぇんだぞ?」

「大丈夫だよ。だって、別に自分だけでやる必要はないでしょ?」

「む、まあな」

「だよね? なら、ハルもカナも一緒に考えてくれるよね?」


 ココロは私とハルを交互に見比べた。ハルはしてやられた、とでも言いたげに肩をすくめる。


「……まあたまにはいいか。暇だしな」

「私は言うほど暇じゃないんだけど……。この町のロボットのメンテと修理はほぼ全部私がやってるんだよ?」

「修理っつったって大したことできねえだろが」


 まあそれはおっしゃる通りなんだけどね……。


「じゃあそういうことで! ……あ、そうだ」


 そこで突然、ココロは何かを思い出したように言った。


「ねえ、何か書くものない?」

「書くもの? 確か三津木が万年筆か何か持ってたはずだが」


 彼は懐古趣味の持ち主でもあったのか、このご時世でも紙を愛用していた。恐らくこの家はこの町で最も紙媒体の本が多い場所だ。


「そっか。じゃあ探してみるね!」


 そんなものを持ち出して何をするのか、と尋ねると、「手紙を書くんだ」と返って来た。


「手紙? 誰にだ?」


 ハルの疑問に、ココロは答える。


「アンジェリカだよ。三津木が死んだこと、伝えとかなきゃ」


 アンジェリカ・ノーノ。彼女は優秀なロボット工学の研究者であり、そして自身もロボットだ。初めてロボットを作ったロボットとして歴史に名を遺してもいる。多くの人間が死んでしまった今となってはロボット工学の権威、といえるだろう。

 三津木さんと共に私の上司であったこともある。つまりアンジェリカは三津木さんとも同僚だったわけで、確かに彼の死を知る権利があるだろう。

 今は少し離れた街で暮らしているはずだ。この困難な状況を好転させようと色々頑張っているらしい。

 そう、人類は崖から転落してしまったが、ロボットたちはまさに崖っぷちにいる状況なのだ。いつ転落してもおかしくはないし、少しずつ崖の方へ追いやられていると言ってもいい。


「あ、そうだ。アンジェリカにも心について考えてもらおっと。こういうの好きそうだしね!」


 まあ、私たちはそういう悲壮感とは割合無縁なんだけど。無邪気なココロのおかげだろうか。

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