虜囚
竜吉公主は目を覚ました。寝台に仰臥した状態で天井を見ると、落ち着いた蒼い色で造られている。もっとよく観察しようと、上半身を起こして再び室内を眺める。
あまり大きくない部屋であった。華美な装飾は施されていない。それでいて、箪笥や机、椅子などの調度品は備え付けられており、実用性が感じられる。地方の城における高貴な身分の人間が使用する部屋だと一瞥して判断できる。
「お目覚めになられましたか」
声の主が入口扉の前に置かれていた丸椅子から立ち上がる。見た目から判断すると、かなり年配の女性だが、人を落ち着かせる品格がある。朱色の服は綿であろう。高級感こそないものの清潔感がある。
竜吉公主は寝台から降りようとして躊躇した。城に到着したときの服ではなく、寝間着が着せられている。昏倒してから着替えさせられたのだろう。
「少しお待ちくださいませ」
年配の女性は竜吉公主に言うと、扉を開き上半身を乗り出す。何やら廊下に向かって言葉を投げつけると、扉を閉じて丸椅子の横に立つ。
「失礼いたします」
百も数える間もなく、二人の童女が部屋に入ってくる。二人とも子供らしさが表情に残るものの、雰囲気は大人びている。二人は、一見して高価だと判断できる赤く金色の刺繍が縫い付けられた服を床につかないように持っている。
竜吉公主は年配の女性と童女に手伝われて着替えさせられる。気絶させられるまで着ていた服との比較はできないが、素材に絹が使われており、ひんやりとした優しい肌触りに上質な服であると確信させられる。
「わらわの服と宝貝は何処じゃ?」
竜吉公主は年配の女性に訊ねる。しかし、彼女は恭しく首を垂れるだけで答えようとしない。慇懃無礼な態度にも思えるが、竜吉公主は問いただすことなく扉に近づこうとする。与えられた服に不満があるわけではないが、気に入っている服の行方が気になる。
それだけではない。霧露乾坤網は鎧であり汚れた空気を清浄に整えることが可能な宝貝である。竜吉公主が下界の空気中に漂う粉塵を吸い込まないようにするためには必要な存在だ。
けれども、扉に近づいた竜吉公主に、童女が首を垂れたまま扉の前に立ちふさがり、部屋から出さない意思を見せる。
力づくで退かすことは簡単だ。霧露乾坤網が無いとは言え、竜吉公主は仙人である。燃燈道人と比較すれば見劣りするものの、多種多様な仙術を使うことができる。最適な仙術を選択すれば、童女を片手で放り投げる程度の力を行使することは困難なことではない。
しかし、竜吉公主は一つだけ大きくため息を吐くと、部屋の中央に置かれていた客用として用意されている椅子に座る。
「力づくで我らを排除されないのですか?」
年配の女性は頭を下げたまま挑発的に質問をしてくる。まるで、力づくで排除されることを望んでいるかの言い草だ。
「茶でも御馳走してくれないかのう」
年配の女性は童女たちに茶の準備を命令すると、入口の横に置かれていた丸椅子に座る。
「どうしてそのように落ち着かれているのですか?」
彼女の質問に竜吉公主は冷たい視線を投げつける。首を上げた年配の女性は面を被っているかのように表情を隠している。
「慌てても得られるものは無いからのう」
「公主様に私どもの血がかかることもあるかもしれませんと言うのにですか?」
彼女は暗に、自分が竜吉公主を殺すかもしれないと脅している。しかし、竜吉公主は凛とした表情を保ったまま返答をする。
「物騒なことを言うもんじゃ」
「お聞かせくださらないでしょうか?」
彼女の問いにしばらく沈黙を保っていた竜吉公主は、部屋に戻ってきた童女たちが用意したお茶に口をつける。
「わらわは話し合いに来たのじゃ。争いを起こすために来たのではない」
「しかし、私たちのことはご存じないのでございましょう? 何故、」
「当然じゃ。だがの、もし、そなたらがわらわを殺害せしめる意思があるならば、気絶しているうちに行われたであろう。未だにわらわの心臓が動いているのはその意思がないということじゃ」
「そのようなことは判らないではありませぬか」
「ならば訊くが、そなたらはわらわを殺すつもりなのか?」
竜吉公主に問われて、年配の女性は答えを失う。視線を逸らすと、今までの饒舌さが嘘のように消える。再び岩のように沈黙する。
まるで、秘密を知っているのに答えることが許されていない童子だ。竜吉公主は城下の子供を思い浮かべながら、お茶を飲み干す。
三杯目を飲み干したところで、竜吉公主は良い案が思い浮かばないことに気付いた。このまま軟禁されていては面白くない。赤雲女と碧雲女より先に到着した意味が無くなる。とは言え、力づくで部屋から出ることは生命の危機が訪れない限りは避けたい。暴力の報復は暴力になるに違いない。だから、話し合いで説得したいのだが、一度口を閉ざした女性は竜吉公主の問いに反応を見せない。
不本意であるが、しばらくは状況が好転するのを待つしかない。もし、数日経っても変化が無いようならば、その時には強行突破をしよう。竜吉公主が覚悟を決めると、その時期を知っていたかのように扉が開かれた。
部屋に入ってきたのは三人の女性だった。手前に若いと老いているとも判らない妙齢の女性。その背後に二人の女性が控えて立っている。名乗りもせずに、近づいてきて竜吉公主の対面に置かれた椅子に座る。挑発的な視線をぶつけてくる女性から竜吉公主は視線を逸らすことはしない。お互いに無口なまま時間だけ過ぎていく。このまま夜になるまで続くかと思われた根競べだが、先に耐え切れなかったのは妙齢の女性であった。
「どう責任を取られるのですか?」
妙齢の女性は不躾な質問を投げつけてくるが、竜吉公主は湯呑茶碗を観察している。手に取った湯呑茶碗にかけられた緑色、紫色、赤褐色の釉薬(うわぐすり)の混ざり具合について感心している。
「竜吉公主様は無責任な方ですね」
「何故じゃ?」
女性の発言に、視線を合わせることもせずに竜吉公主が即答する。穏やかな表情で、湯呑茶碗を机の上に置く。
「そうではありませんか。皇帝は外戚を近づけ地位を専横し横暴な税の取り立てを行い地方の領主たちを蔑にしているではありませんか」
「困ったものじゃ」
「竜吉公主様の責任でございます。どうして斯様な事態に」
竜吉公主は腕を組む。表情は先ほどとあまり変化はないが、謂れのない文句を言われてゆっくりとした呼吸を繰り返す。
「わらわの責任と?」
「勿論でございます。竜吉公主様は皇后ではございませぬか」
「何やら勘違いされているようじゃ。わらわは既に禁城を去り蓬莱山へ戻っている。この国とは無関係の人間じゃ」
「いいえ、そんなはずはございません。竜吉公主様が人道に悖(もと)る楊氏一族を台頭させたことは間違いございません。もし、身体を捧げるおつもりで人事を尽くしたならば、斯様な事態を引き起こしていたはずがございません」
「わらわは皇后ではない。それに、たとえ皇后であったとしても、皇帝が下した命令を覆すことなどできるはずが無かろう」
「そうでしょうか? 竜吉公主様が皇帝の手綱を取っていれば、外戚どもがこれほどまでに権力を持つことが無かったはずです。竜吉公主様の魅力が足りなかったのではございませんか?」
竜吉公主は筋違いの批判にさらされる。だが、疲れた表情を見せているだけで、怒りなどの感情は全く見せていない。
「もし、わらわの責任で皇帝が乱心したとしても、反乱を起こす理由にならぬのじゃ」
「そんなはずありません」
「考えてみよ。そなたらはこの地域を預かっている皇帝の部下であろう? ならば、まずは皇帝を諌める必要があるはずじゃ。それが、どうじゃ。諫言するそなたら自身の義務を放り投げ、国家に対して礼節を欠いた態度を取り続け、責任を転嫁する。これが正しい在り方か?」
「それは……」
「そなたらの言う批判は的を射ておらぬ。臣下たる者、兵を挙げてよいのは二つのみ。一つは三度の諫言が聞き入れられず民に対して圧政が行われ続けるとき、二つ目は讒言され、咎が無いのに命が危うくなったときじゃ。この度の挙兵は、どちらにも当てはまらないようじゃが」
「いえ、私たちは……」
「それともどちらかに当て嵌まるのかの?」
竜吉公主に反論されて妙齢の女性は言葉を失う。唇を強く結び、体を僅かに震わせている。
「まだ、兵を動かしたわけでは無いようじゃ。今なら大過なく済ますこともできよう。誤りを認め矛を収めてはどうじゃ」
妙齢の女性が沈黙したのを見て、竜吉公主は少しばかり言い過ぎたかと考えていると、彼女は徐に立ち上がり、充血した眼で竜吉公主のことを睨みつけてくる。背後の女性が落ち着かせようと、声をかけるのを無視して竜吉公主に近づいた。
その時――
扉が開かれた。武装をしている男性が入ってきた。腰に剣をぶら下げ、皮の鎧を着ている。三十歳前後に見える男は鋭い視線をしている。いつでも腰の剣を躊躇いなく使用する気配が感じられる。そして、事実、男は戦う準備ができていたことを示すように、室内にいる全ての人間を威圧した。
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