交渉

 反乱する人間には力がある。体内から湧き上がってくる抑えきれない反骨心で満たされているからだ。ある一定数の人間は、より巨大な存在に対して強固に反発する。思想・信念・信条など関係なく、ただ、理不尽な権力の横暴に対して感覚的に闘争心をもたげられるのだ。


 竜吉公主が乗っている麒麟は、周囲を警戒しながら地表に降りた。真正面から飛来した矢ならば、軽く躱すほどの敏捷性を持つ麒麟だが、死角から放たれた矢を避けることは困難だ。一矢程度ならばと甘く見ることはできない。頭部に突き刺されば、最悪、致命傷は免れない。


 地面を感じた竜吉公主は人の気配に注意を払いながら、霧露乾坤網を即時展開できる準備を行う。麒麟が地表の方が速く動けるとは言え、重力の加護は存在しない。空に向かって放たれる矢より、水平に放たれた矢の方が危険なのだ。


 それだけではない。護衛役を兼ね備えている侍女の赤雲女と碧雲女はいない。二人は、普通の馬に騎乗したため、到着が遅れているのだ。


 だからと言って、のんびりと行幸するわけにもいかない。反乱軍が国軍が戦火を交える前に真偽を確かめる必要がある。仙人が関係していることがあれば、死傷者の増え方は飛躍的に増大する。それだけではない。仙界を巻き込む大きな騒動に発展する可能性もある。


 折角、喧騒から逃れて安穏とした暮らしに戻れたのに、再び、自分らが発端となった戦火が燃え広がることになっては、いたたまれない。


 それだけではない。西王母や燃燈道人が騒動に関与することは時間の問題であるし、二人が動けば竜吉公主だけ座視しているわけにもいかなくなる。


 もしかして、西王母の策略ではなかろうか? 竜吉公主は一瞬だけ考えてから否定する。母親が策士であることは認めるが、策士であるが故に考えは読みやすい。このような争いごとを今の時点で行う利点は見当たらない。得にならないことは行わないのが西王母の行動指針だ。


 西王母が動いていなければ燃燈道人が関与している可能性も下がる。降りかかる火の粉を炎の渦で薙ぎ払うことが趣味の燃燈道人であるが、自ら火をつけて歩く趣味はない。怒れば鬼ですら真っ裸で逃げ出すほどの恐ろしさなのだが、いつもは穏やかな性格なのだ。時々、自分にかかわってくる争いごとを待ち構えているような雰囲気はあるが……。


 深く考え込もうとして、竜吉公主は我に返る。戦場特有の神経質な空気を感じ取った。干戈を交えたわけではないのに、苛立ちが目に見えるかのようだ。



 竜吉公主は夕暮れの空に棚引く多数の煙を認めた。夕食の準備でもしているのだろうか。夏だというのに冷たさの残る固い大地に、一つのむらを取り囲むような城がそびえ立っている。レンガ造りの城壁は、容易に攻略できそうにない。


 せめて、食事を終えてから陣を訪れた方が良いだろうか? 人間の心は腹が膨れていた方が落ち着きがある。生理的に満腹状態の方が交渉は容易になるのだ。ただ、その場合は夜になる。往来があり開かれている城門は、日が落ちれば閉ざされてしまうかもしれない。


 竜吉公主は、いつもならば普段、口やかましく意見を述べてくる赤雲女と碧雲女がいないことに不満を感じた。困っているときに頼れないのが世の中じゃ。心の中で愚痴を言いながら、城門に向かって麒麟を歩かせ見張りらしき兵士数人に近づいていく。


 あからさまな警戒を向けられることに得心がいかない。それでも、心の中の動きを見せないように無表情を装う。


「何者だ?」


 人の背丈の倍はあろうかという長さの槍を構えた兵士が二人近づいてくる。その背後には複数の兵士が警戒心をあらわにした表情をしている。


「ちょっと尋ねたいことがあるのじゃ」


「帰れ! お前のような女子が来る場所ではない」


「困ったのう。ここまで来て話もできずに帰るわけにはいかんのじゃ」


 竜吉公主が兵士を睨み付けると、兵士たちは態度を硬化させる。麒麟の上に姿勢正しく座っている竜吉公主を一突きで殺せそうなほど槍の穂先を近づけてくる。


 竜吉公主は、穂先に触れることなく麒麟から降りる。軽く麒麟の腹を叩いて中空に走っていくのを見送る。


「もしかして、お前、仙人か?」


「まさか、竜吉公主か?」


 竜吉公主は兵士たちが口々に訊いてくる言葉に反応せず、


「この城に楊戩は来ておらぬか?」


 と尋ねる。


「秘密事項だ」


「会わせてもらえぬかの?」


「無理だ。誰も通すことはできない」


 兵士は強気な態度を崩していないが、槍を構え直し一歩下がる。竜吉公主が本気になれば兵士が勝てるはずがないことを知っているからか、表情を強張らせている。


 このまま強行突破することも可能だ。しかし、出来ることならば力づくでの解決は避けたい。ここで争うことに意味はないし、そもそも、無理に入るのであれば、麒麟で上空から夜陰に紛れて砦に侵入するべきだ。仙人さえいなければ、見咎められることはまずないはずだ。


 ただ、もし、仙人が関与しているならば話は複雑になる。城に不法に侵入すれば暗殺者と疑われたとき言い訳が困難だ。下手をすれば、申し開きをする機会すら与えられずに討たれてしまうだろう。そこまで行かなくても、大立ち回りをすることになるだろうし、暗殺されようとした矛先を国王に向けて、未だ城に留めている兵士たちを進軍させることになるだろう。


 不本意ではあるが、兵士たちに納得をさせて通るしかない。そう判断した竜吉公主は忍耐強く説得を試みる。


「お主らは、反乱軍なのか?」


「お前こそ何をしに来たのだ? 国王の命令で偵察に来たのか?」


 竜吉公主は、話が通じないことに苛立ちを感じながらも微笑みを作る。


「わらわはもう国王とは関係ない存在じゃ」


「信じられるか。証拠を見せろ」


 兵士に言われてうんざりとした。この場に出せる明確な証拠などあるはずがない。たとえあったとしても、真偽を判断できる人間すらいない。つまり、兵士の要求に応えることは不可能だ。そのことを理解していながらも説得を続ける必要がある。


「もし、お主らの中に仙界のものがいれば大変なことになるのじゃ」


 竜吉公主が脅すように言うと、兵士たちは顔を見合わせてから発言する。


「どう、大変なことになる」


「大丈夫だ。お前に心配されるようなことではない」


 兵士たちは徐々に喧嘩口調になっている。それに対して、同じように返答するべきではない。竜吉公主は解ってはいたものの、ついつい売り言葉に買い言葉で反論してしまう。


「お主ら、構わないのじゃな?」


「何がだ!」


「ここに仙人たちが押し寄せることになってもじゃ」


「なぜそうなる!」


「お主らが隠すということは、仙人がいると言っているに等しいことじゃ。仙界には殺戒という掟がある。仙術を行使して大量殺人が行われないか監視する必要がある。それ故、暴走を阻止するための仙人を派遣してくる必要があるのじゃ。最悪の場合、この地で仙人たちが争うことになり、見渡す限りの土地が焼け野が原になってしまうかもしれぬのじゃ」


「それは困る。ここには仙人などいない」


「ならば、中に入れてくれるかの?」


 竜吉公主が笑顔を見せると、兵士たちは槍の穂先を引っ込める。お互いに顔を見合わせてから、門の横にいる兵士たちに槍を奇妙に動かして合図を送る。


 門の横にいた兵士たちが中に同じような合図を送り、しばらくして少しだけ異なった合図が戻ってくる。


 どうやら、何らかの許諾を取っていたものだろうと竜吉公主は解釈し、見張り兵に続いて歩く。


 城の中は想像していたより広そうである。ただ、普通の馬、二頭引きの戦車が二台ほど並んで通れるほどの道幅しかない。その両脇は、レンガ造りの建物で塞がっている。入口が見当たらないことから、攻め入られた時の防御場の機能も有しているのだろうと推測する。


「武器は持ってないよな?」


「無粋なことじゃ」


 兵士の質問に竜吉公主は曖昧な返答をする。あからさまな武器は持っていない。けれども、武器として使用可能な霧露乾坤網を渡すわけにはいかないし、もし、霧露乾坤網を渡したとしても、仙人はその存在自体が普通の人とは異なるほどの脅威である。


 要するに、仙人は生きている限り仙術を使える。つまり、安全な仙人とは死んだ仙人だけだから、武器がないかと仙人に問うことは、死んでいるか? と質問しているようなものだ。


 竜吉公主は一悶着あるかと危惧したが、兵士たちはそれ以上のことは訊いてこず、奥に向かって歩いていく。


 城の防御のためか、道は真っ直ぐに延びていない。門を潜り抜けすぐ曲がり角になっている。道は外壁と同じレンガの建物でできており一本道だ。空を飛翔できない身ならば、必ず通らねばならない通路となっている。


 襲撃された場合、麒麟は城には近づけないように合図をしたから、背後の門に向かって逃走する必要がある。不意打ちを受けなければ、霧露乾坤網の護りは絶対的だ。竜吉公主は自分の実力を過信していた。突然、襲われる理由などないし、襲われたとしても簡単に対処できる。と甘く考えていたのもある。


 それ故、道を曲がった瞬間に景色を失い混乱に陥った。瞬きをするほどの僅かな時間であったが、霧露乾坤網で身を護ることを忘れていた。


 その時間が命取りだった。


 竜吉公主は後頭部に強い衝撃を受けた。反射的に霧露乾坤網を広げようとした。しかし、思ったように力が使えない。それだけではない。体が意思と無関係に動かなくなる。意識が薄れていく。何事が起ったのか、自分が何処にいるのかを把握することすらできずに、竜吉公主は暗闇の中に思考が閉ざされていった。

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