皇帝の叱責

 竜吉公主は予想が的中したことに呆れていた。そして、うんざりしていた。唯一の救いが、判っていただけに覚悟が出来ていたこと。言葉を紡ぐ気にもなれず、目の前に座っている皇帝を観察する。


 皇帝は金の刺繍が鏤められた真紅の服を纏っていた。細い指先には幾つ物指輪が飾られ、小指ほどの大きさの翡翠で作られた腕輪を見せ付けるように烏龍茶を飲む。後宮から立て籠もっていたせいか、紙のように肌が白い。痩せ型の体型でスラリとした顔立ちは、目の下に出来た黒い隈を除けば誰もが褒めるであろう美男子だ。


「何故、朕の元から許可なく立ち去ったのだ」


 皇帝は尊大に言い放ったが、竜吉公主は歯牙にもかけない。


「聴いているのか?!」


 怒鳴りつけられてようやく視線を向ける。だが、弱気ではない。相手を打ちのめすほどの眼力で皇帝を威圧し、冬を感じさせる冷気を周囲にばら撒く。


「何をしにここまで来たのじゃ?」


「何をだと。そんなことも判らぬほど愚かなのか?」


 皇帝が尊大に発言すると、碧雲女の嗤うような鼻息が聞こえた。瞬時に眉を顰める皇帝であったが、視線は竜吉公主に向かったままで、


「お前が帰ったから、国が乱れたのだ。どう責任を取るつもりだ」


 と文句を口にする。


「恐れながら申し上げます」


 横から返答をしない竜吉公主の代わりに、赤雲女が口を挟む。


「なんだ」


「国家が乱れたのは、竜吉公主様の責任ではございません」


「痴れ者が何を言うか。巨大な猿を後宮で大暴れさせたり、聖獣を駆け巡らせたのは貴様らが行ったことだろうが」


 皇帝に言われて、赤雲女の反論は止まる。


 斉天大聖が帝都で暴れたり、大蛇が後宮を荒らしまわった責任は竜吉公主に無い。それらの天変地異の前触れと呼ばれる異変を現出させたのは楊戩だからだ。だが、全く無関係とも言いづらい。事実を調べられれば、楊戩が蓬莱山に立ち寄ってから帝都に向かったことが判るだろう。口裏を合わせれば隠し通せるかもしれないが、彼の性格がそれを良しとするか疑問だ。


「認めるのだな。貴様らが朕に嫉妬を抱き国を破滅させようとしていたことを」


「認めるも何も、そのような戯言、私たちに関係はございません」


「はっ、よく言う。あのような出来事、仙界が絡んでいるに決まっているわ。この期に及んで往生際が悪い。おや、待て。死にたくないから仙人になったのか、ははは」


 放言する皇帝に対し、赤雲女は言い返さない。下手な言質を取られてはたまらないと考えを纏めているだけに言葉が出てこない。もう、言葉で皇帝を丸め込むことは不可能と誰もが感じる場面で、


「わらわの責任じゃ」


 赤雲女が上手い論法を考えていることに気づきながらも、竜吉公主は自分の責任をあっさりと認めた。あまりにも淡白に言ったため、皇帝は目の前の出来事を把握できずに目を大きく見開くと、やたらと瞬きを繰り返す。


「じゃが、責任は異変のことだけじゃ。後は、知らぬ」


「異変に責任があるのならば、国を悪化させたことと同じである」


「異変があってから、国が悪くなったのか?」


 竜吉公主の言葉に、何を言っているのだ? と言わんばかりの態度を皇帝は見せる。怒ると言うより頭の悪い子供に教育を施すかの傲慢ごうまんさで、


「貴様らが帰ってから、問題がいくつも発生したのだ」


 と不満を口にする。


 だが、竜吉公主らにとって、この言動は理解しがたい。皇帝が後宮から出てこなくなったから政治が悪化し、政治が悪化したから経済が悪化したのだ。経済が悪化したから、生活に困り犯罪に走る人間が増え、金持ちは貧乏人から不当に金銭を搾取したのだ。その結果、皇帝の権威が失われ、役人たちの要求する賄賂の金額で地位が売られ刑罰が行われている。


 全ての元凶は、皇帝が政治を放り出したことにある。城下に住んでいる人間であれば、幼子でさえ知っている道理だ。


 だから、当然、自らの責任を皇帝は理解し、その上で反省した態度を見せるだろう。そう、竜吉公主は予想していたが、皇帝はそんな思惑とかけ離れたことを言い始める。


「貴様らが国を腐敗させたのだ」


 皇帝の物言いは本末転倒である。いや、違う。竜吉公主に非は全く無い。濡れ衣を着せられているのである。


「何故じゃ?」


「貴様らが禁城にいた頃には問題は起きていなかった。貴様らが全てを放り出したのが悪い」


「それはおかしいと言うものじゃ。皇帝そなたが政治を行わず後宮に閉じこもったのが原因じゃろ」


「何を言う。貴様にはあいつの素晴らしさが理解できないのか?」


「あいつとは誰じゃ?」


「玉環のことに決まっているだろ」


 そんな簡単なことも判らないならば、これまでの罪科を理解できずとも仕方がない。やれやれと言わんばかりに首を振ってから、


「貴様らの罪を許さなくも無い」


 と、皇帝は自らの権威を示す物言いをする。


「今ならばまだ間に合う。竜吉公主よ。朕に詫びて禁城に戻れ。それだけが貴様らの生き延びる唯一の道だ」


「戻らぬ。恥辱を受けたわらわが何故に更に恥の上乗りをせねばならぬのじゃ」


「どうしてもか?」


「そうじゃ」


「仕方がない。不本意だが力づくでも連れ戻すぞ」


 皇帝は立ち上がると、入り口ではなく廊下から屋敷を出る。門に向かって駆け出す。


 皇帝が連れていた軍隊は、上皇が軍隊を連れて来た時と同様、門をくぐることを認められていなかった。だから、屋敷を包囲しながら待機している。だが、上皇の時とは違う。皇帝の命令を受けて攻撃を仕掛ける準備をしていたのだ。


「朕の兵たちよ。竜吉公主を掴まえろッ!」


 皇帝は大声を上げながら攻撃命令を下す。屋敷を護る背丈より高い白壁が破壊されようとする音であろうか、騒乱を感じ取りながら、大股で門を跨ぐ。全てを支配するべく暴力を行使しようとしている。

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