帝都の騒乱
「りゅー様、何やら地上が騒がしいようですっ!」
碧雲女が部屋に飛び込んでくるのを竜吉公主は目を細めて見やる。
「きいて、聞いてください。どうやら地上で怪異現象が起こっているそうです。後宮に大蛇が現れたとか、斉天大聖が暴れたとかで、天変地異の前触れではないかと大変なことになっているようなんです。もしかして、伝説の……」
碧雲女は言葉を切ると、四角い机の片隅に置かれていた湯飲みを取る。急須からお湯を注ぎ一気に飲み干す。
「不思議だと思いませんか? りゅー様が禁城を離れたからこのようなことが起こったに違いありません。絶対にそうだと断言できます」
力強く解説する碧雲女の対面で、竜吉公主は頬杖をついた。
優しい目つきで碧雲女のことを見つめいている。言葉に出さずとも、愛おしさが感じられる。同時に、人によっては、単純さを羨むような哀れむような視線と判断したかもしれないが。
竜吉公主は立ち上がると、戸を開けて外の空気を部屋に入れる。霞のせいで昼過ぎだというのに日差しは弱い。初夏は過ぎたというのに、肌寒いくらいだ。赤を基調とした服の袖を擦り合わせてから、澄んだ空気を存分に吸い込む。
「楊戩が地上に行ったじゃろぅ」
振り返った竜吉公主は軽い口調で言う。勿論、楊戩が仙術を使って好き放題
さすがにそこまで言われれば鈍い碧雲女でも気づく。言われてみれば確かに、と、口に手を当てて驚きを隠そうとする。しかし、碧雲女にもそこそこのプライドがある。何事も無かったかのように頬を撫でると、腕組みをする。
「それにしても楊戩様もお人が悪い。確かにりゅー様は殺生を行わないように言われました。でもですよ。殺生をしない代わりに仙術を使って民を混乱させる。そんなのは良くありませんよ、ね」
碧雲女が竜吉公主に同意を求めるが、竜吉公主は安易に返答をしない。目を閉じると眠るように考え込む。
「楊戩様は、我らの恥辱を晴らしてくださっている。そんなことを解らない仙人がいたら見てみたいものですわ」
碧雲女の後ろから部屋に入ってきた赤雲女が竜吉公主に話しかける。
「せ、赤雲女、あんた、ねぇ」
「確かに楊戩様は強引過ぎる悪癖があります。もっとも、それが魅力的って女仙も多いのですが」
赤雲女は碧雲女の視線を軽く躱す。
「あらあら、もしかして朴念仁と思っていた赤雲女さんも? 楊戩さんに惚れていると。これは驚きですね、りゅー様」
「なっ、だ、誰が……、え、んん」
反射的に声を荒げた赤雲女は落ち着きを取り戻そうとする。握り締めた手を口元に当てて空咳をする。その場を自分の支配下に置こうとするが、日常、厭味を散々言われている碧雲女はこの機会を逃さない。
碧雲女は顎を突き出しながら、衛星のように赤雲女を一周ぐるりと回り観察する精神力の弱いものなら動揺する場面だ。それでも、赤雲女は一瞬だけ崩しかけた表情を戻している。顔の皮を厚くして自分の感情を隠す。
「まあ、楊戩様と結婚された日には浮気の心配が大変になること間違いありませんから。りゅー様も悩みますよね」
「どこぞの尻軽女仙と一緒にされては……」
「あら、楊戩様の名前をお聞きしただけで顔を赤らめたのは誰だったかしら?」
「私が、顔を、あ、いや、ところで、楊戩様が下界で騒動を起こすのをそろそろ止めさせた方がよろしいかもしれません」
赤雲女は話を逸らそうとする。しかし、碧雲女は無視をして、竜吉公主の対面に座る。頬杖をついている竜吉公主の小さめの耳に唇が重なりそうなくらい顔を近づけてくる。
「どう思います? りゅー様。ああ、見えて、油断なりませんよ彼女」
「知っておったか? こんな調子じゃが、結構、男受けがいいんじゃぞ赤雲女は」
「そうなんですか? 私、男に興味ありませんみたいな態度をしていてですか?」
「実は、満更じゃないようなんじゃ。時々、物陰で溜息を吐いていたりするしのう」
「生涯独身を貫きますみたいな顔でですか?」
「油断しておるといつの間にか結婚していて、子供が三人くらい出来ておるかも知れんぞ?」
「それは、油断なりませんね」
「そうじゃの。世の中、予想の斜め上をいくものくらいに捉えていたほうが下手な気苦労も無くて済むというものじゃ」
竜吉公主と碧雲女がひそひそ話を続けていると、赤雲女が机を右手で軽く叩く。
「竜吉公主様まで御戯れが過ぎます」
両目を吊り上げた赤雲女に窘められて、竜吉公主は視線を正す。
「すまんのう」
申し訳無さそうに言うと、赤雲女は、「いえ」と言いながら袖で口元を隠す。
「ところで、話があってきたんじゃろ?」
竜吉公主が話を促すと、赤雲女は報告を始める。
***
下界では竜吉公主が蓬莱山へ戻ってから混乱が続いているとのことだ。当然のことである。政治・行政を執り行なう最高責任者である皇帝が後宮に隠れているのである。上皇や大臣が重要な案件を処理しているとは言え、決定しきれるものではない。
役人や地方行政官たちは、中央の動向を察知している。十分な監視が行き届かない今が好機と判断し、自らの権益・利益を得ようと賄賂などの不正を蔓延らせている。
その上、天変地異の前触れとなる幻獣や妖仙が現出したのだ。
慌てふためいた民衆を見て、地方の豪族や義士の類だけではなく、山賊や強盗団まで政府に対して叛旗を翻したのだ。
百年にも及ぶ威光があるため一日で滅ぶことは無い。それでも、巨木が害虫に蝕まれるように根元から弱ってきている。強風が吹けば思いのほか容易に倒れることがあるかもしれない。
「もし、国が強固であれば、天変地異が起きたとしても、国が滅ぶことはあるまい。そう言うに違いないのう」
竜吉公主は楊戩を思い浮かべる。美男子仙人は、直接の殺生は行わないとの約束を守っている。それでいて、十分な復讐を加えようとしている。
気持ちはありがたく感じたが、方法は迷惑であった。このまま国が滅ぶことがあれば、竜吉公主の呪いが国を滅ぼしたと数百年に亘って誹謗中傷を浴びそうである。
「今からでも私が下界に降りて楊戩様を止めましょうか?」
赤雲女の言葉に、竜吉公主は首を縦に振らない。止めさせたい意思が無いわけではない。ただ、楊戩が赤雲女の意見を聞くか判らないし、既に十分に下界に満足して仙界に戻ってきているかもしれない。遠距離の仙人と通話可能な宝貝が手元に無いことを頭の片隅に追いやりながら、現状の分析と考察を始める。
「またまた。楊戩様に逢いに行きたいのがあ、か、ら、さ、ま」
碧雲女が赤雲女の腕を突っつくと、赤雲女は腕を上下に振って苛立ちを示す。
悪い娘ではないのだが、場を読まないことがあるのが碧雲女の悪い癖だ。竜吉公主は微笑みながら頬杖を解き姿勢を正す。
「二人とも、情報は何処から入手したのじゃ?」
竜吉公主が問うと、碧雲女と赤雲女はお互いの顔を見合わせる。
二人とも情報源は同じようで、屋敷に出入りしている商人からの話とのことだった。ただ、聞いた相手が違ったためか、若干の相違が見られる。聞き比べると話が大げさになっている箇所がある。だから、お互いの話の過度な部分を消去するとようやく概要が見えてきた。
「りゅー様、どうされましたか?」
碧雲女が訊ねてくる。
竜吉公主は、碧雲女の勘が時々だが鋭いことがあると気づいている。論理的な赤雲女と真逆の碧雲女は、感性で物事を考えるその分、失敗も多いが予想以上の結果を出すこともある。
けれども、今回はその勘は働いていないようだ。もし、働いていたのならば気づいているはずだ。明日にでも起こる出来事のことを予想できていたはずだ。
竜吉公主は、自分がある一つの問題が起こることを察知してウンザリとした。それでも、もしかしたら、平穏な日常が続くかもしれないと考えて気持ちを軽く持とうとする。無駄なことと知りながらも。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます