第9話 分かれ道

サトルは難しい選択を迫られていた。森の中腹にさしかかり、ワイヤーが二方向に分かれていたのである。

標識には『右→チンパンジーのバー』『左→ニホンザルの温泉』と書かれてあった。

お酒を飲むことは不殺生国でも禁止されていなかったが、酔っ払うと生き物をうっかり殺してしまうリスクが高くなる為、サトルはお酒を飲む人間を見たことがなかった。


チンパンジーたちとお酒を飲んでみたいとも思ったが、サトルは体にいいことがあると聞いていた温泉に入ってみることにした。サトルは左方向に延びるワイヤーに手を伸ばす。

すると、右方向に延びていたワイヤーが一瞬歪むと空間から消えて行った。

戻って来てチンパンジーのバーにも立ち寄ろうとしていたサトルの計画は青写真で終わる。こうなってしまうと、やっぱりチンパンジーのバーに向かっておけばよかったかなと、サトルは少し後悔したが、気を取り直してニホンザルの温泉を目指して進むことにする。


徐々に傾斜がきつくなってきたが、サトルはワイヤーを伝って力強く登って行く。しばらくすると、岩肌から煙が出るようになり、嗅いだことのない臭い匂いがした。

ワイヤーの上に屈んで煙を眺めていると、有毒ガスの影響で意識がもうろうとしてきたので、ワイヤーから落ちないように慎重に進んで行った。

そして、遺跡近くの駅と同じように、ワイヤー沿いに無人駅がつくられており、その奥にドーム型の建物があった。ここにも虫一匹いる気配はなかった。


サトルは駅のホームに降りると、出入り口にある赤い膜を通って、ドーム型の建物に入って行く。

建物に中には、千人は入れそうな大きな温泉風呂があり、30頭ほどのニホンザルが温泉に浸かりながら、日本酒を飲んでいた。

サトルは水筒を置くと、雨で濡れていた衣服を脱いで、温泉に入ろうとする。

「キッキッキッキー」

とニホンザルたちがサトルを見て大笑いする。

「なんて小さなイチモツなんだ。やっぱり人間だなー」

とサトルの股間を指さして、お腹を抱えて笑いだすニホンザルもいる。サトルたち人間の生殖器は、使用する機会がないので著しく退化していた。

両手で股間を隠すと、サトルは温泉に飛び込む。

「あちちっ!」

サトルはあまりの熱さに驚き、慌てて温泉から出る。


「人間は本当に弱っちいな」

と言いながら、3頭のニホンザルがサトルを温泉に突き落とす。

「うわ、あちちちっ!」

たまらずサトルは温泉から出ようとするが、ニホンザルたちに囲まれてしまい出ることができない。仕方なく温泉に浸かっていると、だんだんと気持ちよさそうな表情になる。そして、ニホンザルがお盆にのせていた日本酒を、サトルに渡す。

サトルは温泉が熱いから、お水をくれたのだと思い、クイッと飲み干した。

「ゴホッゴホッ」

初めてお酒を飲んだサトルは思わずむせる。

「人間は酒も飲めないのか」

とニホンザルたちはまた大笑いする。ニホンザルたちに歓迎されているのはよかったが、サトルはクラクラしてきたので、ジャンプして温泉から飛び出た。

「オオーッ」

これにはニホンザルたちも驚きを見せる。


サトルは体を震って水滴をしっかり飛ばしてから衣服を着ようとするが、先ほどまでびしょ濡れだった衣服がすっかり乾いていた。

「湯気の熱で乾かしておいたわ」

と赤ちゃんを抱っこしたニホンザルが教えてくれる。

さらにニホンザルたちは、

「頑張ってね」

と言って、サトルに温泉でゆでた大豆をご馳走した。


サトルはニホンザルたちに深くお辞儀をして、温泉施設から出て行く。

駅のホームに戻ると、まだ酔いが少し残っていたので、慎重にワイヤーに飛び移る。そして、また山頂に向かって登って行くと、体が軽くなっていることに気付く。言い伝えは本当だったのだと、サトルは温泉の効力に感心した。

やがて日暮れになっても、早く山頂に行きたかったので、サトルはこのまま進もうかと思ったが、レインボーに会って自慢したいことがあったので、やはり木の上で眠ることにした。

ブナの木を見つけると、ワイヤーから一気に10mを越える高さまで飛び移る。そして、手足の親指だけを使って、瞬く間に30mほどの高さまで登ると、ブナの木の枝を折って水筒に水を溜めながら、レインボーがやって来るのを待った。


しかし、この夜、レインボーが姿を見せることはなかった。何者かに襲われてしまったのだろうか?ここが遠すぎて来られないだけだろうか?サトルはレインボーのことが心配で一睡もできなかった。

そして、もう一つの心配ごとも的中してしまった。夜が明けても、ヒロシが姿を現さなかったのだ。

サトルはブナの木から降りると、ワイヤーを伝って引き返して行く。ヒロシとレインボーのことが心配で前に進めなかったのだ。


しかし、硫黄の匂いに混じって、あの人間たちの嫌な匂いがした。サトルは進むのをやめてワイヤーの上に立つと、擬態して茂みに隠れているE58型の兵士たちの熱を感知する。そして、十数人のE58型の兵士たちが一斉に銃撃してくる。

サトルは思いきりジャンプして銃弾を避けると、擬態をして姿を消す。球体ロボットもサトルに合わせて擬態をする。

「どこだ?どこに消えた?」

戸惑うE58型の兵士たちは、辺り構わず撃ちまくる。

「ウワーーーー!」

E58型の兵士たちが、次々に足を握り潰され倒れていく。


またあの宇宙船で木々を倒し、多くの命を奪ったのだろう。サトルは怒りの余り、E58型の兵士の首を握り潰して、殺してしまいそうになるが思いとどまる。

球体ロボットが追尾していることもあったが、それ以前にサトルは殺生に抵抗があった。戦いの中で、身を守るために相手に大怪我をさせてしまうことはあったが、相手が誰であれ、殺すということが怖かった。


どういう理由かわからないが、サトルは自分がE58型の兵士に狙われていることを悟る。自分と一緒にいるとヒロシとレインボーにも危害が及ぶと思ったサトルは、擬態したまま再び山頂を目指してワイヤーを伝い登って行く。


一方、2078年の日本政府の司令室では、その映像を見ていた総司令官のカワカミが激高していた。

「たった一人相手に何をやっているんだ!」

カワカミは拳銃を抜くと、大将のキクチに銃口を向ける。

「閣下、お待ちください。まさか、あの未来人に擬態能力があるとは…」

キクチが必死になって弁解をする。

「2度目の失敗は許さぬ」

カワカミはそう言うと、躊躇なくキクチの眉間を撃つ。

「こうなったら、ワシ自らあの未来人を殺してくれるわ。ササキ、急ぎ準備を整えよ」

「かしこまりました」

カワカミに頭を下げる参謀長のササキは、不敵な笑みを浮かべていた。


サトルは夜になっても、ワイヤーを伝って山頂を目指していた。ヒロシとレインボーに遭遇するかもしれないので擬態は解除していた。それ、に木に潜んでいるヒョウやジャガーも、サトルが近づいて来ると逃げて行くようになっていた。

サトルは今、この山の生態系のトップに君臨していた。順調に登り続け、夜が明け始める頃に、遂に山頂に辿り着く。


サトルは山頂にある大きな岩に飛び移り、日の出を待つことにした。できればヒロシとレインボーと一緒に見たかったが、彼らの身の安全のためには仕方がないと諦めることにした。それに、球体ロボットが一緒だったので、一人ぼっちというわけでもなかった。サトルは森の中でもずっとついてくる球体ロボットに愛着がわき始めていた。


どんな景色が広がっているのだろうと、ワクワクしていると、ふらつきながらヒロシとレインボーがやって来た。

サトルは飛び跳ねて喜んだが、

「お前はバカか!お前だけは他の人間と違うと思っていたのに!」

とヒロシは怒っている。なぜヒロシが怒っているのか、サトルはまったく見当がつかない。

「俺とレインボーが温泉に入れると思うか?煮えちまうだろうが!チンパンジーのバーに行くに決まっているだろ!お前も来ると思ってずっと待っていたんだぞ!」

二日酔いも相まってヒロシは機嫌が悪かった。心なしかレインボーもプイッとサトルから視線を外しているように見える。サトルは自分のことしか考えていなかったと猛省した。こんな自分にはここからの景色を見る資格がないように思えてきた。


サトルは日の出を待たずに立ち去ろうとする。

「おい、いいのかよ、ここの景色を楽しみにしていたんだろ?俺もちょっと言い過ぎたよ」

とヒロシがサトルを呼び止める。

「いいんだ。勝手な行動をとって本当にごめん」

サトルはヒロシとレインボーの目を見て謝ると、

「それから、ここから先は危ないからタロウと二人で行って来る」

と別れを告げる。

「タロウって誰だよ?」

そうヒロシに聞かれると、サトルは球体ロボットに視線をやる。

「自分を捕まえるロボットに名前をつけるなんて、やっぱり人間は変わった生き物だな。気を付けて行ってこいよ」

サトルはゆっくり頷くと、

「ヒロシ、レインボー、ありがとう」

ここまで一緒に来てくれた仲間にお礼を告げ、晴れやかな表情でワイヤーを伝って山の向こう側へ降りて行く。

それに、サトルが山頂からの景色を見なかったのは、この先に何があるのか知らないほうが冒険をより楽しめるという思いもあった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る