第3話 可哀想な男

体力が低下している中でも、練習の成果が出ていた。

サトルは両手の親指だけで、バランスを崩すことなく虫を避けながら進み続け、クシャミが出そうになると歯を食いしばって我慢し、ウチワサボテンのもとに辿り着く。

いざ切り取ろうとすると、サトルは重大なミスを犯したことに気付く。親指だけで移動することに気をとられすぎ、袋から槍を持ってくることを忘れていたのだ。


素手で裂いて手に入れようとも思ったが、欲しかったトゲに邪魔されてケガをすることは明白だった。サトルは苛立ちを瞬間的に抑え、これも練習の一環だと自分に言い聞かせると、冷静に引き返すことにした。少しでもバランスを崩して倒れてしまうと、この冒険があっという間に終わってしまう。サトルは虫を避けながら慎重に進み、ワイヤーのもとまでもどって来ると、虫がいない場所に足をつけ、ジャンプしてワイヤーに登る。


袋から槍を取り出し、腰に巻きつけると、サトルは息を整える。緊張感が余計に体力を消耗させていた。アリが300匹ほど通りすぎる間休むと、サトルは再びワイヤーを足で掴んでぶら下がると、そのまま降りて両手の指だけで地面に着地する。そして、逆立ちしたまま、両手の親指だけを使ってウチワサボテンに向かって進んで行く。

今度こそ切り取ることができると思ったが、ウチワサボテンの裏からガラガラヘビが出てくる。この冒険のどこかでヘビが出てくることは想定していたが、こんなに最悪のタイミングで出てくるとは思ってもいなかった。たくさんの虫がいるこの場所で立ち上がって闘うことはできない。さすがに片手で逆立ちしたまま槍で闘う練習はしてはいない。


この場から生き延びる手段はただ一つ。ガラガラヘビが襲いかかってきた瞬間に、噛まれないように頭を掴むしかなかった。しかし、不運ばかりが訪れるわけではない。ヘビクイワシが歩いてくると、ガラガラヘビの頭を蹴って弱らせ、あっという間に捕食する。

サトルはその間に、指を伝って腕まで登って来たアリにそっと息を吹きかけて地上に落とすと、ウチワサボテンのもとまで移動する。幸いなことにウチワサボテンに虫はついていなかった。

サトルは右手だけで逆立ちすると、左手に持った槍でウチワサボテンの上半分を切り取り、さらにそれを半分に分けて、再生できるように一つは置いていき、もう一方のトゲのない部分を口でくわえると、ワイヤーのもとへ戻って行く。

ようやくの思いでワイヤーに登ると、ウチワサボテンの皮を剥いで、みずみずしい果肉をすばやく食した。


いつどんな相手に襲われるかわからないので、ゆっくり味わうことはできない。その為、サトルは食事の回数は極限まで減らすつもりでいた。欲しかったトゲは袋に刺して持って行くことにした。

そして、ウチワサボテンを食べて免疫力が高まったことにより、大きなクシャミを3回すると、それ以降クシャミはピタッと止まった。


サトルはワイヤーを伝って進み、森の入口に辿り着く。そこにはサトルの身長よりも遥かに大きな蜘蛛の巣があった。

サトルは蜘蛛の巣には近づかず、ワイヤーに腰掛けて思案した。巣に蜘蛛はおらず、獲物もかかっていなかった。しばらく誰もここを通っていないのだろうか?昨日、風が強く吹いていたのにもかかわらず、蜘蛛の巣に葉っぱ一枚ついていないのは妙である。

この蜘蛛の巣は今日つくられたものに違いない。それならば主の蜘蛛はどこへ行ったのか?外敵に食べられてしまったのだろうか?それとも造網性と徘徊性を兼ね備えた蜘蛛で、他にも巣をつくっていて、順番に回っているのだろうか?或いは、この近くに隠れているのだろうか?


サトルは袋からハイエナの骨を一本取り出し、蜘蛛の巣に向かって強く投げてみる。ハイエナの骨は蜘蛛の巣にベタッとくっついた。粘着性が強く、簡単に破れないことが見てわかる。

サトルはワイヤーを足で掴んでぶら下がり、地面の様子を確認する。虫たちが無数に行き交っており、蜘蛛に襲われた場合、地面で闘うことは不可能であった。

やはり地面ではなく、ワイヤーを伝って移動するしかない。サトルは再びワイヤーに腰掛けて思案する。

そもそも蜘蛛は人間を食べるだろうか?鳥を食べる蜘蛛がいることは聞いたことがあるが、人間は大きすぎて食べないのではないだろうか?

しかし、アリが何匹も集まってバッタなど大きな昆虫を食べるように、蜘蛛も複数集まって大きな単体を食べるかもしれない。

そうだ、この大きな巣をつくった蜘蛛は一匹とは限らない。サトルは袋から槍を取り出して周囲を警戒する。


ハイエナとの闘いの時に、慎重になりすぎたことを強く後悔したが、何の策もなくこの大きな蜘蛛の巣に近づくことはあまりにも危険すぎる。安全にこの蜘蛛の巣を突破できる案が見つからないまま時間はすぎていき、日没が迫っていた。

ここの主は夜行性の蜘蛛で、日中は木陰で休んでいるのかもしれない。それなら、日没までに強引に蜘蛛の巣を突破したほうがいい。しかし、それを裏付ける根拠が見つからない。サトルは退化した爪を噛みながら考えを巡らせた。思えば、先ほどハゲワシにあげたハイエナの肉を少しだけ残して持ってくればよかったのだ。

そうすれば、巣に向かってハイエナの肉を投げて、どんな蜘蛛が出てくるのか様子を見ることができた。ハイエナの肉を持って移動すると、他の猛獣に襲われるリスクが高くなると思い、ハゲワシにあげたのだが、何も全部をあげることはなかったと後悔した。


結局、サトルは決断できないまま夜を迎えた。そして、32回目のコヨーテの遠吠えが聞こえた時に、巣の主たちが姿を現した。1匹はサトルの頭ほどの大きさで、もう1匹はサトルの腰くらいの大きさだった。やはり夜行性だったのだ。サトルはとっさに槍を袋にしまった。敵意を見せることが危険だと感じたのだ。なぜ暗くなる前に突破しておかなかったのだとサトルは自分を責め、激しく頭をかいた。

幸いなことにつがいと思われる2匹の蜘蛛は、巣を離れてサトルのほうへ向かってくる様子は見せなかった。これなら朝まで待ってから、この巣を突破すればいいだけのことだ。自分の決断は間違っていなかったのだと思い直し、サトルは機嫌をよくした。


改めて数え直して122回目のコヨーテの遠吠えが聞こえた後、しばらくしてフクロウが飛んできて、体の小さなオスの蜘蛛を脚で掴んで捕獲しようとする。メスの蜘蛛がすぐさま歩脚の先端にある爪でフクロウを攻撃して撃退する。サトルが思っていたよりも、ずっと俊敏な動きだった。闘って勝てる相手ではないことは目に見えていたが、標的にされると逃げることさえできないことがわかる。

メスの蜘蛛はフクロウを追い払うと、オスの蜘蛛に襲いかかった。蜘蛛は1ヶ月絶食しても餓死しない生き物だが、2日間続いた雨と強風の影響で餌を捕獲することができず、お腹を空かせていたことと、他の動物に横取りされそうになった為に、非常食としてつがいになっていたオスの蜘蛛を今食べることにしたのである。


メスの蜘蛛に襲われ、オスの蜘蛛は脚を1本千切られてしまうが、何とか巣から降りると、ワイヤーを伝いサトルのほうへ向かって行く。メスの蜘蛛が巣から降りる気配はない。サトルはオスの蜘蛛が相手なら闘って勝てるかもしれないと思い、袋から槍を取り出して身構えた。攻撃の気配を感じたのか、オスの蜘蛛は歩みを止める。

こう着状態が続き、次第に夜が明け始め、カラスの鳴き声が41回聞こえた後に、メスの蜘蛛は森へ消えて行った。さらにカラスの鳴き声が26回聞こえた後、オスの蜘蛛がワイヤーを伝って巣へ戻って行く。オスの蜘蛛は巣を取り集めると、それを食べてから森へ入って行く。今なら、メスの蜘蛛がまだ近くにいても、狙われるのはオスの蜘蛛である。

サトルはこのチャンスを逃さず、ワイヤーを伝って森へ入る。動物たちの鳴き声がそこらじゅうから聞こえてくる。ここから先は、いつ殺生をしてしまうかわからない危険地帯だ。サトルは1秒でも長く、この冒険を楽しめるように神に祈りかけたが、すんでのところで抑えた。球体ロボットがまだサトルを追尾していた。

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