第5景 いつかはかっぱ橋道具街
「東京はすごい街だ」
そう言っていたのは、確か札幌生まれの人。
「地名それ自体が意味を持っている」
なるほど、「高円寺に行った」と言えば古着屋で買い物したのだと想像できるし、「新橋」なら仕事かな、「六本木」ならお酒を飲んでいたのかもしれない、と思う。
地方都市において、遊ぶ、仕事をする、お酒を飲む、買い物をする、映画をみる、といったことができる場所は一つだ。そこに老若男女集まり、それぞれがそれぞれの目的を果たすため、常にごちゃまぜな印象がある。しかし東京は、それぞれの土地にそれぞれの目的を持った人が集まるため、ひどく整然としている。
浅草から乗り換えて一駅、田原町駅下車徒歩五分。人々がかっぱ橋にいく理由はほぼ一つ、道具街だ。
11月の初旬、私は時間に追われ一人小走りで乗り換えをしていた。大学のすぐそばの喫茶店で働いていた私は、翌日の文化祭に備えてテイクアウト用ドリンクのスリーブの買い出しを頼まれていた。明日の準備はまだ終わっていない。かっぱ橋での買い出しが終われば、マグカップを買い足しに新宿へ行かねばならないし、お店ではスタッフが焼き菓子の補充をしている。 初めて自分達が主体となって迎える文化祭を控え、不安と興奮が入り混じった感覚が続いていた。
かっぱ橋の大きな人形のオブジェを目印に、携帯を握りしめ現在地を確認しながら急いで移動する。
ふと目線を携帯から逸らすと、道具街に到着していた。川端康成『雪国』の一節が浮かんで消えた。右も左も、アーケードの中に所せましと商品が並んでいる。埃かぶった青い陶器、信じられないほど大きい業務用食品、「セール品」と段ボールに無造作に置かれたコップ、香りが充満する珈琲器具専門店、古びた食品サンプルの山、などなど。濃度の高い空間に頭がぼーっとした。
珈琲の豆袋と古い湯沸かし器に後ろ髪ひかれながら、その日はスリーブだけ買って早々にかっぱ橋を抜け出した。
それ以来かっぱ橋には行っていないが、あの日の不安と興奮が入り混じった感覚と、ぐらぐらするような道具街が忘れられない。
願わくば今度は誰かとゆっくり歩きたい。そのときは、珈琲の豆袋と古い湯沸かし器にまた会えるといい。
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