第4景 野方駅北口、桜の木

18歳の春に上京してから4年間、ずっと野方に住んでいた。


引っ越してきたときは一人だった。忘れもしない3月25日、品川駅に到着し、注意深く標識を見ながら山手線へ流れ込み、西武新宿線の黄色い電車に乗る。

不動産屋から渡された鍵でカチリと部屋に入り、何もない空間にギョっとした。まだ電気も、水道も通っておらず、荷物が届くのは夜。春と言えど3月、フローリングの床は氷のように冷たく、何もないぽっかりした部屋で座り込んだ。


日が暮れ、部屋が暗くなってきても荷物は届かない。部屋は寒い、暗い、水も電気もない、誰もいない。ここには知り合いも、友達も、家族もいない。いるのは、人見知りで頼りない、18歳の自分だけ。


19時半を過ぎたあたりでようやく荷物が届く。引っ越し屋のお兄さんが手伝ってくれて、なんとか部屋に灯りがつく。


迎えた朝は寒く、窓を開けると昨日は気が付かなかった桜が見えた。

確認すると、アパートの前にソメイヨシノが植わっていて、その花の部分がちょうど私の部屋から見えるようだった。部屋に戻る途中ポストをのぞくと、公共料金の紙が入っていた。


「中野区在住」


その響きにうっとりする。

何度も口の中でころがして確かめる。

なかのくざいじゅう、なかのくざいじゅう。


東京で新しい生活を始める。

知り合いが誰もいなくても、一人じゃ電気さえ取り付けられなくても、不安一つなかった。これからの生活への期待だけしかなかった。当時の私が強かったからなのか、何も知らないだけだったのかはわからないけれど。

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