春休み、コンクリート、エビ
駅前のドラッグストアを通り過ぎたき、同じアパートに住む康太君が、雑居ビルの壁を念入りに調べているのを見かけた。彼の右手には、ストラップのついたカメラが提げられてる。
「……何してるの?」
わたしが問いかけると、康太君はびくっと震えて振り返った。わたしの姿をみとめると、安心したように息をもらし、おどおどとした調子で答えた。
「ちょっと、探し物してて」
「コンクリートの中にあるものなの?」
「うん、エビ探してるの」
「コンクリートにあるものだよね?」
わたしが怪訝そうな顔をすると、康太君は目に見えてしゅんとして、うつむいてしまった。
「……あるって、さっちゃんが言ってた」
詳細を尋ねると、康太君は、たどたどしくゆっくりとしたペースではあったけれど、丁寧に何があったか教えてくれた。
康太君の友達の「さっちゃん」が、春休みの自由研究で絵日記を提出したらしい。そこにコンクリートの中に浮かぶエビのスケッチが描かれていたために、ちょっとした騒ぎが起きた。クラスの子たちは「コンクリートの中にエビなんているわけない」と、さっちゃんを嘘つきよばわりしたそうだ。康太君としては友達のさっちゃんを守りたかったが、クラスの独特の空気に押し流され、擁護に回ることができなかったのだという。
「だから、エビの写真を撮ろうと思って」
康太君はカメラをぎゅっと握りながら、泣き出しそうな顔をした。わたしは人指し指を顎に当て、軽く空を見げる。
――コンクリートの中のエビって、たぶん、あれのことだよね。
わたしは屈みこみ、康太君と目の高さを合わせて言った。
「安心して。おねーさんが、コンクリートの中のエビを撮らせてあげる」
*
「こうした真似は慎んでほしいものですな、お嬢様」
「ごめんなさいね。でも、開場までまだけっこう時間あるでしょ?」
わたしは康太君を連れ、ロイヤルホテルK**の最上階にあるパーティーホールへと赴いていた。このホテルのオーナーは、わたしの父が頭目を務める企業グループの一員であるらしい。フロントで父の名前を出すと、支配人はこころよく便宜を図ってくれた。
「あなた、お父様に普通の一人暮らしをしたいと仰ったご身分でしょう? 一般人がこんな貸切をしますか?」
一つ訂正。あんまりこころよくなかった。わたしは軽く後ろ髪をかきながら、支配人に愛想笑いを投げかける。
「友達を守りたい男の子のため、一肌脱ぐのもいいでしょう?」
「一肌脱ぐのは自分だけにしていただきたいのですがね。ところで、どうした事情なのです?」
「あの子の友達が『コンクリートの中にエビを見た』って言ってまして。それが嘘じゃないって証明したいんですよ」
支配人が眉をひそめた。
「それは嘘ではないのですか?」
「違うと思います」
支配人が顎に手をあて、少し困惑した顔を向けてくる。助け舟をだすつもりで、私は自身の推測を説明した。
「たぶん、
「……ああ、なるほど」
得心がいった様子で、支配人が顎を撫でた。
「大理石も、ということですね」
その瞬間、少し離れたところで、ホールの床を観察していた康太君が歓声を上げた。頬を上気させ、夢中になってカメラのシャッターを押している。ずっと不機嫌そうにしていた支配人でさえ、あどけない彼の喜びように少し顔をほころばせていた。
わたしは康太君に歩み寄り、彼の頭をなでながら、しゃがみこむ――大理石の床に手を伸ばし、6500万年前を生きた甲殻類の、冷たい死骸を指でなぞった。
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