春休み、コンクリート、エビ

 駅前のドラッグストアを通り過ぎたき、同じアパートに住む康太君が、雑居ビルの壁を念入りに調べているのを見かけた。彼の右手には、ストラップのついたカメラが提げられてる。


「……何してるの?」


 わたしが問いかけると、康太君はびくっと震えて振り返った。わたしの姿をみとめると、安心したように息をもらし、おどおどとした調子で答えた。


「ちょっと、探し物してて」

「コンクリートの中にあるものなの?」

「うん、エビ探してるの」

「コンクリートにあるものだよね?」


 わたしが怪訝そうな顔をすると、康太君は目に見えてしゅんとして、うつむいてしまった。


「……あるって、さっちゃんが言ってた」


 詳細を尋ねると、康太君は、たどたどしくゆっくりとしたペースではあったけれど、丁寧に何があったか教えてくれた。

 康太君の友達の「さっちゃん」が、春休みの自由研究で絵日記を提出したらしい。そこにコンクリートの中に浮かぶエビのスケッチが描かれていたために、ちょっとした騒ぎが起きた。クラスの子たちは「コンクリートの中にエビなんているわけない」と、さっちゃんを嘘つきよばわりしたそうだ。康太君としては友達のさっちゃんを守りたかったが、クラスの独特の空気に押し流され、擁護に回ることができなかったのだという。


「だから、エビの写真を撮ろうと思って」


 康太君はカメラをぎゅっと握りながら、泣き出しそうな顔をした。わたしは人指し指を顎に当て、軽く空を見げる。

 ――コンクリートの中のエビって、たぶん、のことだよね。

 わたしは屈みこみ、康太君と目の高さを合わせて言った。


「安心して。おねーさんが、コンクリートの中のエビを撮らせてあげる」



「こうした真似は慎んでほしいものですな、お嬢様」

「ごめんなさいね。でも、開場までまだけっこう時間あるでしょ?」


 わたしは康太君を連れ、ロイヤルホテルK**の最上階にあるパーティーホールへと赴いていた。このホテルのオーナーは、わたしの父が頭目を務める企業グループの一員であるらしい。フロントで父の名前を出すと、支配人はこころよく便宜を図ってくれた。


「あなた、お父様に普通の一人暮らしをしたいと仰ったご身分でしょう? 一般人がこんな貸切をしますか?」


 一つ訂正。あんまりこころよくなかった。わたしは軽く後ろ髪をかきながら、支配人に愛想笑いを投げかける。


「友達を守りたい男の子のため、一肌脱ぐのもいいでしょう?」

「一肌脱ぐのは自分だけにしていただきたいのですがね。ところで、どうした事情なのです?」

「あの子の友達が『コンクリートの中にエビを見た』って言ってまして。それが嘘じゃないって証明したいんですよ」


 支配人が眉をひそめた。


「それは嘘ではないのですか?」

「違うと思います」


 支配人が顎に手をあて、少し困惑した顔を向けてくる。助け舟をだすつもりで、私は自身の推測を説明した。


「たぶん、語彙ボキャブラリーの問題なんだと思います。まだ2年生のさっちゃんはきっと、漆喰も煉瓦もミカゲ石も、『建物に使われる硬いもの』は何でも全部『コンクリート』と呼んでたんじゃないかと」

「……ああ、なるほど」


 得心がいった様子で、支配人が顎を撫でた。


、ということですね」


 その瞬間、少し離れたところで、ホールの床を観察していた康太君が歓声を上げた。頬を上気させ、夢中になってカメラのシャッターを押している。ずっと不機嫌そうにしていた支配人でさえ、あどけない彼の喜びように少し顔をほころばせていた。

 わたしは康太君に歩み寄り、彼の頭をなでながら、しゃがみこむ――大理石の床に手を伸ばし、6500万年前を生きた甲殻類の、冷たい死骸を指でなぞった。

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