第8話 オーデル川

「ふははははははは! 生き残ったぞ!」

 車内にアハッツの声が響く。

 鉄か血の臭い。酷い臭い。暗い車内。一言も喋らない、新米の装填手。腕から血を滴らせる操縦手。通信士の席には誰もいない。それどころか、足元には大きな穴が開いている。


「ブロォォォン! 起きろ! 」

「くっ、はい……」

 右腕には布が巻かれ、止血してある。それでも血は出てくる。その為、顔面蒼白。

「シュゥゥゥゥゥライヒッ! 生きてるかー?」

「……い、生きでまず」

 俯いていて、頭から血が出ているが、生きている。

「新米どもぉぉぉぉぉ! 通信士!」

「……いません、戦車長」

「装填ーーーーーーッ手っ!」

「……即死でしたよ」

「…………」

 アハッツの口角は上がりきっている。


「車長こそ、大丈夫ですか?」

 アハッツの腿からは、血が流れている。

「IV号戦車に乗っている限り私は死なない!」

「そうですか……」

 戦地からはなんとか離れている。部隊は勿論、見捨てていた。IV号戦車の前面下部には穴があり、右側の追加装甲シュルツェンは接続するための、金具しか残っていない。至る所に、小銃の弾痕がある。


「こっからどうする?」

「ひとまず傷の治療と、戦車の整備を」

 ブロンが言う。まずは乗員の傷を回復させるべきだった。

「ふふふっ……ここがどこか、わかる者は?」

「…………」

「…………」

「…………ふっ」

 鼻で笑うが、アハッツもわからない。

「兎に角、南西へ!」

「了解……!」

 車内は、血の池のようになっている。きっと彼等はアドレナリン等のホルモンで、感覚がおかしくなっているのだ。そうでなければ、正気でいられるはずがない……。アハッツは元からだそういう男だが。



 移動していると、補給用のトラックと出会った。

「おーーーーーーーい」

 負傷した歩兵を乗せている。物資も満載していた。燃料も載せていそうだ。

「中尉殿!」

 たとえ名さえ聴いたことがなくても、階級によって上下が決まるのが軍隊だ。

「軍曹、燃料はあるか? IV号のだ」

「ありますけど……届ける所があるので」

「ドラム缶一個ぐらいいいだろう」


「まぁ、届ける所なんて部隊がいるかもわかりませんし、それに……迷いました」

 仲間が増えた。なんとも、心もとない。

 給油の為に、トラックの連中は降りた。ドラム缶を転がして、IV号戦車に近づいた。軍曹と、頭を負傷した兵士が作業にあたる。

「手伝っていただけませんか?」

「ふふっ、勿論…………」

 アハッツは腕の力で、ハッチから出ようとした。足は使えない。腿に破片が当たったから。

「中尉……本当に人間ですか? 亡霊ゲシュペンストではないですよね?」

 震えた声で、軍曹は言った。遠くからでわからなかったが、アハッツ中尉は顔中血まみれで、IV号戦車からも血が流れ出ているようにも見える。

 亡霊と言われても仕方がなかった。

「勿論人間さ!だからこうして血も出てるじゃないか……あれ?」

 手を滑らせて、車内に転げおちる。血の池に落ち、全身が血まみれになった所で失神した。他の2人も失神していた。


「ち、中尉ー?」

 軍曹がゆっくりと、IV号の車内を覗く。

「うおっ⁉︎」

 臭いと光景に驚き、足を滑らせて地面に背中から落ちた。唯、かなり頑丈な軍曹らしく無傷であった。

「すぐに人を出すんだ! 早く!」

 ドラム缶にもたれかかっていた負傷兵に命じた。

 前方に向かった負傷兵は絶句した。IV号戦車の前面下部に空いた穴から、血が流れていた。軍曹の見立ては当たっていたらしい。



 生き残った3人は助け出された。

「ちゅーうーいーー」

「黙れ、ブロン……じゃない」

 例の軍曹が、アハッツの頬をペチペチ叩いていた。

「給油と弾薬の補給はしておきました! 応急手当もしましたし、前面下部の穴にも布を被せておきました!」

「ふふふふふっ、気が効く」

 何処か痛む所があったが、全員IV号戦車から離れようとはしなかった。操縦手はブロンからシュライヒに交代した。ブロンは腕の傷が深く、ぐったりとしていた。かなり無理をしていたらしい。

 新米の遺体は、その場に遺棄した。



 その後、直ぐに移動を開始した。結局、2日間は車中泊になった。睡眠時間は2時間も無かったが。

 移動している間、常に何処かで爆発が起こっていた。そういう所は大抵、ドイツ軍がボコボコにされているので助けに行く事はなかった。夜は敵と味方の曳光弾で空が覆われた。


 街道をいっても部隊とは合わず、敗残兵かソ連兵と出会った。空はなんとか独逸空軍ルフトバッフェが敵を撹乱し、爆撃する隙を作っていた。それも微力である事はアハッツ達の目にも見えていた。


「川だ……ふふっ、目印だ!」

 3日目で遂に川についた。この程度の大きさの川なら地図にも載っている。周りの地形と地図を見比べて、アハッツは自らの位置を見出した。

「オーデル川か……!」

 ようやく希望の光が見えた。

「橋は落とされていない……ふっ」

『イワン共に占領されてなければ いいですけどねぇ〜』

 アハッツは軍曹の一言で気づく。

「急げ! 全速前進!」

「了解!」

 傷の痛みは減って、体力も戻ってきたらしい。


「なんで橋に行くときは、いつも急がないといけないんです⁉︎」

「ふはははははは! しるか!」

 アハッツの4.0の視力で見えた。東から来るソ連兵が。トラックに乗っている。


「ぬあぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 若干、ドリフト気味になりながら橋を渡り始めた。ソ連兵より先に渡ることができる。

 まもなく、ドイツだ。

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