第198話 お部屋さんありがとう

 今日でいよいよ神崎さんとの生活もおしまい。一緒にできる共同作業もこのお引っ越しが最後だよ。

 今日は昨日立てた予定表に従って、どんどん仕事をこなしていくだけだ。

 着替えて顔洗って、ご飯の前に布団を干そうって二人で2階に上がって、布団カバーを外してたら、神崎さんが「おはようのキスがまだでした。今しましょうか」とか澄ました顔で言ってくれちゃって、朝っぱらからベッドに押し倒されてキスされちゃったんだよ。もう、仕事する気失くしちゃうじゃない! 

 あたしがブーブー文句言ったら「暫く会えなくなるんですから、今のうちにあなたを堪能しておきたいんです」とかさも当たり前のように言ってのけて、もう大キス大会だよ、ほっぺとか鼻の頭とかおでことか耳たぶとか瞼とか顎とか訳わかんないとこまでキスされて「いい加減離れろ変態」って言うまで顔中キスされまくったし……。


 うーん、これ、本当に『あの』神崎さんだろうか? 偽物なんじゃないだろうなぁ?

 だけど、いざ仕事がスタートしたらどうやら本物の神崎さんのよーな気もするんだよね。手際いいし、5~6個の仕事、同時進行しながらあたしに指示出すし。


 もうすぐお昼。段ボールには食器棚の中にあったチャコールグレイとオフホワイトのお揃いの食器たちが収納されて、お揃いの布団カバーやカーテンも箱詰めされて、どんどん『あたしたちのお家』だったものが片付いて行ったんだ。

 あんなにたくさんあったキッチンツールも来た時同様に凄くコンパクトに梱包されてしまって、キッチンはスッカラカンになっちゃった。

 今はもう紅茶の入った冷茶ポットもない。だからペットボトルのお茶を飲みながらの作業。神崎さんの淹れた紅茶の方が一万倍美味しいけど、そんな事言ってられない、ペットボトルのお茶に感謝だよ。


 2階の自室の荷物もあらかた整理が終わって、スーツケースに服やら何やら詰め込んだところにちょうどレンタル屋さんが引き取りに来てくれたんだ。

 あたしたちは冷蔵庫や洗濯機に「お世話になりました」って頭下げて送り出したんだ。ベッドやお布団や食器棚にも。あたしの巨体を支え続けてくれた自転車にもね。


 レンタル屋さんが帰ったら、入れ替わりで引っ越し屋さんが来てくれた。二人で買ったものは一旦神崎さんの部屋に送って貰って、神崎さんの方でカーテンや布団カバーは洗濯してくれることになったんだ。あたしんちは狭いけど、神崎さんちはそこそこの広さがあるって言ってたから。

 自分で運ぶ荷物を神崎さんのレガシィに積んだら、部屋の中完全に空っぽになって本当にスッカラカンになっちゃったよ。


 部屋を見渡してみた。広い。こんなに広かったっけ?


「空っぽになってしまいましたね」

「うん。二人の思い出の部屋」

「一緒に料理もしましたね」

「洗濯物も干したね」

「ご飯も食べて」

「お酒も飲んだねー」

「あなたが二日酔いになって」

「神崎さんが介抱してくれたね」

「雨の日にトレーニングもしました」

「ワラビの下処理だってしたよ」

「気持ちもすれ違った」

「ヤキモチ妬いて」

「あなたを泣かせて」

「だけど……」


 神崎さんの手を取ると、彼がしっかり握ってくれる。


「山田さんをこの世で一番愛してますよ」

「あたしも」


 見上げると、彼があたしの方を見て微笑んでくれる。あたしを一発KOにするあの微笑みだよ。


「行きましょうか」

「うん」


「お部屋さん、お世話になりました。いままでどうもありがとう」


 あたしたちは2人揃って頭を下げ、この部屋を出た。

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