第199話 レジェンド
「山田さん、おはようございます。久しぶりですね~!」
「あ~ミユキ、おはよー。こないだサンキュー」
鞄を椅子にドンと置いて、ジャケットを脱ぐ。今日はちょっと暑い。
びっくりしたんだけど、スーツのスカートが全部ユルユルで穿けなくなってたんだよ。それで今日はワンピースなんだよ。
「恐怖の神崎さんと同居だったそうですね~? 痩せたんじゃないですか?」
「痩せた痩せた、10kg落ちたよ」
「えーマジですか! あたしも神崎さんと同居しようかな」
「ダメダメ。あの人婚約者いるから」
「ええええっ! うっそーーー!」
あたしだけど。……って言葉を呑み込んでニヤニヤしちゃう。
「あ、そーだミユキにお土産。天橋立行ったの。『かさぼう』ってゆーんだよ、傘松公園のマスコットキャラ」
「何これ可愛い。山田さんそっくりじゃないですか~」
「それどーゆー意味よ」
「あはは、チョー可愛い、ありがとうございまーす」
ミユキが『かさぼう』のぶら下がったボールペンを胸ポケットに突っ込むと、ポケットから覗いた『かさぼう』が揺れて可愛い。
いつものように、パソコンのメールフォルダーを確認する。ああ、懐かしいな、一カ月ぶりだよこの感じ。来てる来てる『神崎メール』。でも今までみたいに「あちゃー」じゃないし「恐怖」でもない。『業務連絡』っていう素っ気ない件名と発信元の『機械設計G 神崎』っていうこの文字だけでも愛おしくて仕方ない。
『6月1日付で異動になる事が決まりました。異動先は京丹波試験場、設計部車体設計グループ(新設)、役職は主任です。当面は『けんきんぐ』の設計開発のみになりますが、FB80の方も引き続き主担当として開発サイドを牽引しますのでよろしくお願いします。機械設計G 神崎』
え……どういう事? 戻って来たばっかりなのに半月後にまた京丹波? って事は、また神崎さんと離れ離れになるの?
嘘でしょ。京丹波と東京じゃ離れすぎだよ……。
「山田さ~ん、コーヒー買って来ますけど、カフェオレ買って来ましょうか?」
「いい」
「? あれ? 山田さん? どーしたんですか?」
「何でもない……」
「あ、そうですか、じゃ、行ってきますね~」
やっぱり神崎さん向こうに呼ばれたんだ。親父さんと城代主任ってこんなに力あるんだ。それとも『けんきんぐ』が大きかったんだろうか。
あの日、「あたしを『けんきんぐ』開発のパートナーにして下さい」って勇気を振り絞って頼んだ日、神崎さんは言ってた。「僕に決定権があるならそうしたいところですが、僕には希望を述べる程度の権限しかありません」って。
結局のところ、こうして能力のある人だけが引き抜かれて行くんだ。あたしが置いてきぼり食らっても、それは自分の無能を嘆くしかないんだ。
仕方ないよね、今までの生き方が違いすぎる。日々問題意識を持って高みを目指してきた人と、時の流れるままに過ごしてきた人間との違いだよ。そこを恨んでも仕方ない。それよりは少しでも神崎さんに近付く努力をしないと……。
「山田さん、おはよう」
あ、バーコード……。存在するだけで四季を通じて暑苦しい男。
「おはようございます。戻りました」
「どうだった、向こう」
「いいところですよ。タヌキ出るし。自然がいっぱいって感じで、ワイルドなあたしにはピッタリの環境でした」
バーコードがすぐ後ろの作業机の椅子をあたしの机の横に持って来て座ってるよ。世間話でもする気かよ。
「そりゃよかった。神崎君とは上手くやってたようだね」
「ええ、まあ」
「彼とペアでいろいろな改善案を提出して来たって、本部長が愚痴ってたよ。神崎君を味方につけて本部長に『ウン』と言わせるとは、山田さんも侮れないね」
って耳に小指突っ込んでグリグリすんな、オッサンくせー。もう、神崎さんとは大違い!
「本部長そんな事言ってたんですかー? まったくあの頑固ジジイ」
「神崎君どころかとんでもない大物を味方につけたんだって?」
「はー? 誰ですか、そんな人知りませんけど」
「製造部長」
「あ、おやっさん」
「山田さん、製造部長を『おやっさん』って呼んでたの? 本部長もそう呼んでたけどさ」
「あの人そんな大物なんですか?」
「あの人、某業界では『レジェンド』なんだよ」
「へー、そうなんですか」
「ま、いいや。じゃ、報告書、10時までに上げといてくれる?」
「了解でーす」
バーコードは耳に小指突っ込んだまま行っちゃった。椅子くらい片付けろ。
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