第190話 パートナーに
午後からは机の私物を片付けてたんだ。段ボールに詰めて社内メールで送ればいいから、そんなに面倒じゃない。すぐに終わっちゃったし、神崎さんの方を手伝ってもいいんだけど……とても声かけられる雰囲気じゃない。
「で、現在はどちらまで追跡できてるんでしょうか」
神崎さん、自分のスマホで喋ってるからきっと韋駄天急便だよ。
「こちらへの到着予定時刻は判りますか?……はい……ええ、そうですね……そうですか。それではこちらに間に合いませんので届け先を変更してください。もうこちらに来る事はありませんので。届け先を申し上げます、メモの準備を」
ああ、指輪、間に合わなかったんだ。でも最高セキュリティの韋駄天急便なら安全だしなぁ、保険も掛けられるしなぁ。頼むよなぁ。モノがモノだし。
「はい、そうです。『居酒屋さくら』です。大至急お願いします。必ず21時までに」
そうそう、あの居酒屋、医務室のリョウさんの御主人がやってるんだ。リョウさん、桜川さんって言うらしい。それで『居酒屋さくら』。今日はリョウさんも定時で帰って顔出してくれるって言ってたんだ。
でも……神崎さん、すこぶる機嫌悪そう。多分みんなにはわからないと思う。普段からあんまり笑わないし、イライラしてても殆ど顔に出さないし。だけどあたしにはわかる。さっきから何度も前髪をかき上げてる。
「あの……神崎さん、何かあたしに手伝えることある? 本社に送る荷物の箱詰めくらいならできるけど」
あたしが恐る恐る声をかけると、神崎さん一瞬あたしを氷のように冷たい目で一瞥して……あたしがビクッとしたら、ハッとしたように肩の力を抜いたんだ。
「あ、すみません。そうですね、お願いしてもいいでしょうか。机の中のものを適当に箱詰めしていただければそれで」
「はい」
もうその時は優しい目になってて、あたしもホッとしたんだけど……。だけど余程イライラしてたんだろうな。まあ、気持ちもわからなくはない。今日正式に発表して行きたいだろうに、モノが来ないんだもんね。うん、わかるよ。
この短い間にいろんな神崎さんを見たなぁ。初日は「なんでこの人こんなに無表情なのよ!」って思ったけど、今あの日に戻ったら全部の表情がわかると思う。ほんのちょっとの眉の動きとか、視線の動かし方とか、口元だって口角ちょっと上げるだけとか、そんな動きでも全部伝わってくる。
だけどさ、感情は伝わって来るのに何を考えてるのかが伝わって来ないんだよ。だから凄く不安で、どうしたらいいのか判らなくなる。聞いても「いえ、何でもありません」だし。
ちゃんと言葉にして伝えて欲しいよ。「好き」とか「嫌い」とか「楽しい」とか「腹立つ」とか「嬉しい」とか。
あ……だけど、待って?
言ってたかも。言ってた……のかも?
『僕が側に居たいんです』
『今がどうしようもなく楽しいからですよ』
『僕に逃げ場を求めて下さい』
『山田さんが可愛くて仕方がないんですよ』
『その拗ねた顔が見たくて、つい、意地悪してしまいます』
『僕のパートナーはあなたしかいない』
何だろう、今頃になっていろんな神崎さんの言葉が蘇ってくる。その時は「何を訳わかんない事言ってんのよ」って思ったけど、本当にそう思ってた訳じゃない。凄く恥ずかしくて、嬉しくて、照れちゃって、素直に額面通りに受け取れなかった。
……もしあの時に、言葉通りに受け取っていたら?
もしかしてあたし、すっごく可愛くない態度取ってたんじゃないだろうか。「側に居たい」って言われたら「側に居て」って言えば良かった。「可愛くて仕方ない」って言われたら「ありがとう」って言えば良かった。「僕のパートナーはあなたしかいない」って言われたら「パートナーにして下さい」って言えば良かった。
何故言わなかったんだ? 何故素直になれなかったんだ? もう遅いじゃん、今更気づいたって。今更もうどうやったって神崎さんと一緒に仕事なんてできないよ。だって神崎さんはこれからFB80を離れて『けんきんぐ』の担当になってしまうんだから。
……待て花子、諦めるのは早い。まだ間に合う。かも知れない。今、勇気を出せば。でも今を逃したらチャンスはもう無い。
あたしは立ち上がって、神崎さんのところへまっすぐ行ったんだ。
「神崎さん」
神崎さんが作業の手を止めて顔を上げたんだ。
「終わられましたか」
「お願いがあります」
「は? 何でしょう」
逃げちゃダメだ。ここでちゃんと神崎さんの目を見て言うんだ。
「あたしを『けんきんぐ』開発のパートナーにして下さい!」
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