第161話 明日はただの

 夕方、恵美に送って貰って家に帰って来たんだけど……神崎さんどうしたかな?

 静かに家に入ってリビングを見渡すけど、しーんとしてる。きっと自室で寝てるんだ。とりあえず手を洗って、うがいして、バイキン持ち込まないようにしてから、そ~っと2階に上がってみる。

 自分の部屋に荷物置いて、帰りに買って来た熱さまシートだったか冷えピタだったかを持って、またそーっと出て神崎さんの部屋のドアを静かにノックする。


「神崎さん? 入るよ?」


 寝てたらそーっと出て来よう。そう思って静かに入ってみる。

 ベッドに人の形で布団が盛り上がってる。やっぱり寝てたんだ。大丈夫かな? 熱下がってないのかな?

 そっと覗いてみると、相変わらず『気を付け』の姿勢で寝てる神崎さんがいる。起こさないように前髪を避けて、おでこをくっつけてみるけど、う~ん、まだ熱あるみたいだよ。

 

「ただいま」

 

 って、小さい声で言って、こっそりほっぺにチュッてキスしてみた。


「おかえりなさい」


 え? 起きてたの?


「やだ、起きてたなら言ってよ」

「ただいまのキスをして欲しかったので。寝たふりをしていて正解でした」

「なにそれー」

「お帰りのキスもしたいところですが、何かうつしてしまうといけませんので、不本意ながら今回は断念します」

「訳の分かんない事言わないの」


 あたしがベッドの側で膝立ちして神崎さんを覗き込むと、彼は側にあった眼鏡をかけたんだよ。それであたしの顔を見るなり驚いたように起き上がったんだよ。


「えっ……山田さん、ですよね? どうされたんですか、その髪」


 うぅ、やっぱりそーゆー反応だよね。慣れない事はするもんじゃないか。


「あの、これ、似合わないかな? ストレートパーマかけてきたの。あの……変かな? やっぱ変だよね。あのね、あの、初めてストレートにしたからね、自分でも何か変かなって思ってはいるんだけど、やっぱ変だよね」


 って、自分でも笑っちゃうくらいしどろもどろだよ。だってさ、あんまり似合ってないってゆーか、別人なんだもん。あんた誰よって感じで。

 だけど神崎さん、なんだか嬉しそうな顔してんの。だからますます訳わかんなくて。


「変なんかじゃないですよ。とても可愛い。天然パーマの髪も可愛かったですが、その……ストレートも、とても似合ってます」

「え、ほんと? 実はさ、神崎さんをびっくりさせようと思って」

「僕の為にですか? 嬉しい事を言って下さるんですね。女性がヘアスタイルを変えるのはちょっとやそっとのことでは無いと妹が言ってましたが」

「……うん。まあ、そう、かな」


 ヤバい、なんかあたし顔から火が出そう。だけど神崎さんも何だか嬉しそうで、あたしの顔にかかってた髪をそっとよけて耳にかけてくれたんだよ。


「可愛いですよ。デートしたくなります」

「じゃあ、早く治してよ。熱あったらデートできないじゃん」

「そうですね。山田さんのキスで治るかもしれません。もう一度していただけませんか?」

「んなわけないでしょっ。冷えピタ貼ってあげるからおでこ出して」


 神崎さんが両手で前髪をよけて待ってる。それが何だか可愛くてニヤニヤしちゃう。両手で冷えピタ持って、そーっとおでこに貼ってあげた瞬間、神崎さんが押さえてた前髪を放してあたしの背中に手を回したんだ。


「ちょっと……何?」

「山田さんが可愛すぎるのがいけないんです。僕のせいではありません」


 うう~、耳元で囁かないで~。


「責任転嫁甚だしいし」

「今日で……」

「ほえ?」

「終わりでしょうか」

「何が?」

「一昨日は結婚式しましたね。昨日は新婚旅行。今日は新婚さんです」

「明日は……」

「ただの神崎と、ただの山田さん」

「……そう、だね」


 うん、明日はただの神崎さんとあたし。会社の同僚。先輩と後輩。上司と部下。その関係に戻っておかないと、明後日からまた仕事なんだもん。それにいつまでも新婚さんごっこしていられないし。


「明日までに熱が下がるといいね」

「ええ」

「あたし、下に行ってるね。ここに居たら神崎さん、治んない」

「新婚なのに、淋しいです」


 って神崎さんがその長い腕を放して、あたしのプニプニのほっぺたを撫でるんだよ。彼の大きな手が愛おしくて、つい両手で大事に大事に抱いてしまうんだ。


「我儘言わないの」


 心にもないこと言って、あたしは神崎さんの部屋を出たんだよ。

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