第138話 貴重なんです

 美味しいんだよ。ほんとに。もう、文句の付け所が無い。あんなにササッと作ったとは思えない美味しさなんだよ。

 ナイフを入れた瞬間に溢れ出す肉汁。そこに流れてきて混ざるソース、生クリーム。食卓で削る黒胡椒の香り。

 スープから立ち昇る湯気は、ベーコンの香ばしさと玉葱の甘さを含んでる。

 サラダもパリパリのレタスとシャキシャキのキュウリ、鮮やかなトマトの赤に人参のオレンジ。そこにかかるオニオン醤油ドレッシングの爽やかな香り。


 何もかもが完璧で、あたしの胃袋と唾液腺と、何故か涙腺さえも刺激する。


「如何ですか? お気に召しましたか?」

「……美味しい」

「どうされました? 泣いてらっしゃるのですか?」


 だって。美味しすぎるんだもん。


「このメニューはやはり避けるべきでしたか? 僕はこのメニューで過去を乗り越えて欲しかったんですが」

「わざと……」

「は?」

「このメニューを選んだんだね」

「そうです」

「美味しいよ。あたしこれ作るよ。見てたもん。覚えてるもん。神崎さんがどんなふうにして切ったか。どんなふうにして炒めたか。どの順番で何をしたか。全部覚えてる」

「素晴らしい記憶力です」


 あたしは涙を拭って、猛烈に食べ始めたんだよ。これが冷めたら勿体無いじゃん。


「いい食べっぷりです。ボリュームが欲しい時は、ハンバーグの中にチーズを入れて焼いてもいいですよ。パンの代わりにおからを使ってもいい。僕が山田さん用に作ったハンバーグはパンでは無くておからで作りました。豆腐を入れる時は木綿豆腐を良く水切りして、裏ごしするといい」

「うん。ありがと」

「生理の後は鉄分が不足しがちになりますから、ひじきを入れるといいですよ」

「そんなことまで?」

「僕には妹が居ますから、そういう事には敏感です。先週はひじきとほうれん草が多かったでしょう?」


 コイツ……とんでもねーな!


「山田さんの事なら何でも知ってるつもりですよ。黒子の位置以外はね」

「黒子の位置、知りたい?」

「それはあなたの大事な方にお譲りします」


 だからっ! もう! あんただって言ってんでしょーがっ! 


「サラダ、パリパリだね」

「先に作って、冷蔵庫に入れておくといいんですよ。直前に作るとへちゃっとなりますし、先に作っても冷蔵庫に入れておかないと益々へちゃっとなる。直前にやるのはドレッシングをかける事だけです」

「魚焼きグリル、あんな風に使うの、初めて見たよ。魚だけじゃないんだね」

「僕はよく野菜を焼くのに使いますよ。ああやって野菜を豪快に焼いて、アツアツのところにオリーブオイルをかけるだけでも美味しい。バーニャカウダにしてもいいですね」


 ああ~。神崎さん、お箸も上品に使うけど、ナイフとフォークの使い方も上品だ。料理を上手に作る人って、料理を上手に食べるんだ……。

 ってゆーか、エプロンしたままってとこが可愛い。ほんとよく似合うな、エプロン。ああ、どうしよ、また涙腺崩壊しそうだ。


「何でコンソメスープが給食味にならないのよっ」

「給食味ってどんな味ですか」

「チープな味!」


 先に食べ終わっちゃった神崎さん、それ聞いて笑いながらテーブルの上で手を組んで、あたしをじっと見てるよ。


「僕のは良く言えばダイナミックな味ですよ。悪く言えばアバウト」

「繊細だよ」

「繊細にプチトマトを丸ごと放り込みました」


 思わず吹き出しちゃったら、神崎さんまで一緒になって吹き出してる。最近よく笑う。神崎さんの笑顔、出血大サービス。あたしの前ではこんなにたくさん笑うようになってくれたのに。これからもっと笑ってくれるかも知れないのに。

 ……この生活がずっとずっと続くような錯覚に酔ってたのに。


「山田さん、そんなに泣いてばかりじゃご飯が進みませんよ。モリモリ食べて下さるのではありませんでしたか? あと10日しかないんです。僕には1回1回がとても貴重なんです。毎回僕にモリモリ食べるところを見せて下さい」

「……うん」


 って言ったけど。自分の意志に反して涙腺が大崩壊しちゃったんだよ。

 神崎さん、静かに立ち上がるとあたしの頭を軽くポンポンってやってキッチンに向かったんだ。


「コーヒー、淹れて来ますね」

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