第120話 ご馳走様

 やっぱ安心する。神崎さんのおっきな手。細長い指もひんやりした感触も。


「あの上に見える建物が庫裏ですね。この石段の左右にある竹垣は、独特の物らしいですよ。龍安寺垣と言うそうなんです。一度本物を見てみたかったんですよ」

「へー、ホントなんでも知ってるね」

「偶々ですよ」


 またかよ、あんたの『偶々』は無駄に多いよ。


「本なんかを読んでますと、よく出て来るんですよ。ここは世界遺産ですし、いろいろな物の舞台になる。『龍安寺垣』も何度も言葉だけは聞いた事があるんですが、見たことが無い。石庭も写真でしかお目にかかってませんでしたので、ぜひこの目で見たかったんですよ」

「じゃあ、こっちに長期出張が決まった時から来たかったの?」

「ええ、そうなんです。新緑の季節もこれだけ美しいんですから、きっと紅葉の季節も鮮やかなんでしょうね」


 うん、そう思うよ。でもあたしは息切れしてきたんだよ。


「山田さん、大丈夫ですか?」

「はぁ、うん、これでも少し痩せたんだけどな」

「もう体重計お使いになったんですか?」

「うん、折角神崎さんが仕入れて来てくれたんだもん。肥満度は聞かないで欲しいんだけど、昨夜の時点で82kgだった」

「4kgも落ちてるじゃないですか。大丈夫ですか?」

「元がデブだから4kgくらいじゃあんまり変わった気しないよ。40kg台だった頃にこれだけ1週間で落ちたら、しんどかったと思うけど」

「フラフラしたりするような事があれば、無理せず仰ってください」

「大丈夫。寧ろ身体が軽くなっていい感じだよ」

「それならいいんですが」


 ゴチャゴチャ言いながらも庫裏に入ったんだよ。ここは靴を脱ぐらしい。日本人だからね。でっかい屏風があるよ、なんか書いてあるけど達筆すぎて読めねーよ。屏風の前には雛飾りの柱付の提灯みたいな――あ、そう、雪洞ってのかな、あれがあるんだよ。で、こっちには石庭の石の配置がわかるミニチュアが置いてある。このミニチュア欲しいな。

 方丈の間ってやつはこれか。田舎のお婆ちゃんちのだだっ広い部屋と何がどう違うんだろう? んー、あたしにはよくわかんないよ。『梅龍図』って書いてあるけど、襖に梅が描いてあるだけだよ、どこに龍がいるんだ?


「石庭の方に行ってみましょうか」

「うん」


 わぁ、本物だ。石と石しかない。……って両方石か。デカい石と白い砂利。


「ねえねえ、この白い小っちゃい石、遠山の金さんとか大岡越前とかで裁判する時の裁判所の石だよね」

「お白洲のことですか?」

「あーそれ!」

「石庭からお白洲を発想するとは、山田さんらしいユニークな展開ですね」

「そーかなぁ? 面を上げい、って感じじゃん?」

「ここに筵を敷くんですか。随分ゴージャスなお白洲ですね」

「なんかシマシマ模様ついてるし、石も邪魔だけどね」

「こういう風に、池などの水を使わずに水を表現する庭園様式を枯山水と言うんですよ。水の流れを表現するために砂利の表面に文様を施すんです。東福寺や大徳寺、東寺の枯山水庭園も有名ですね」


 全然わかんねーよ。有名なのか。東寺の五重塔しか知らんし。


「ここには石が15個あるそうなんですが、どの角度から見ても必ず1個は他の石の陰に入って見えなくなるように配置されているらしいんですよ。方丈のある一点に全部が見渡せるポイントがあると聞いたこともあるんですが」

「面白いね、そのポイント探してみたくなるね」

「方丈の間は一般人が入れませんからね。ですから先程のミニチュアの写真を撮って来たんです。家に帰ってから、全部が見渡せるポイントを確定しようと思いまして」

「あははは、神崎さんらしいね」

「枯山水は良いですね。気持ちが落ち着きます。こんなに観光客が居なければ、一日中ここでのんびり庭を眺めていたいくらいです」


 なんかお爺ちゃんぽいよ。まだ31歳なのに。そんなところも神崎さんらしいけど。


「ねぇ、こういう庭ってさ、背景に木がいっぱい生えてたりとか部屋に囲まれてたりするもんじゃないの? これって、ただの壁だよね」

「山田さん、目の付け所が流石ですよ。この壁は只者じゃないんです」

「は?」

「油土塀と言って、独特のものなんだそうですよ。しかもこの庭は雨や雪が降った時の排水を考えて作られていまして、奥の方が少し低くなっているらしいんだそうです。それに合わせてこの油土塀も高低差があるそうなんですが、その最大幅が50cm近くになるとかならないとか。それによって遠近感を出しているという事なんですが、見た目には全然判りませんね」

「えー、そんなに違うの?」

「ええ、僕も本で読んだだけなんですが。目の錯覚を応用して、庭を広く見せているらしいんですよ」

「昔の人って凄い事考えるんだね」

「ええ、現代建築では考えられませんね」


 ふと見ると、周りの観光客らしいおばちゃんたちが、神崎さんの解説を聞きながら「へ~」とか「なるほどねぇ」とか言ってる。あんたガイドさんにされてるよ。


「お姉ちゃん、素敵な彼氏だねぇ。物知りで男前で。あたしもあと40歳若かったらねぇ」

「いえ、彼氏って訳じゃ」


 まで言いかけたら、神崎さんが被せるように笑顔で切り返したんだよ。


「折角ですが僕は彼女以外の女性は目に入りませんので」

「あらあら、いいわねぇ、ご馳走様」


 おばちゃんたち、ニコニコしながら行っちゃったけど。

 今のって新種のジョーク?


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る