第93話 そこかい
帰ってきてすぐに神崎さんが「山田さん、先にシャワーどうぞ」って言ってくれて、折角だからお言葉に甘えて先にシャワー浴びたのよ。んで上がって来たらさ、神崎さんネイビーのエプロンして、何か料理してんのよ。
「神崎さん、何作ってんの?」
「明日の下ごしらえを今のうちに少しやっておこうと思いまして」
「ふーん……下ごしらえかぁ。あ、ごめん、シャワーいいよ」
「ありがとうございます。山田さん、今日はお疲れでしょうから、早くお休みになってください」
「あ、うん、ありがとう」
神崎さんは刻んだ野菜を手早く耐熱容器に入れて冷蔵庫に片付けると、エプロンを外してお風呂に向かったんだよ。
「お休みなさい」
「うん、おやすみ~」
神崎さんがシャワーに行った後、キッチンに立ってみたんだよ。
お玉や菜箸なんかが手の届くところにセットされて、フライパンやお鍋がきちんと整列した機能的なキッチン。尋常じゃない数の小さな蓋付き耐熱容器。数種類のシリコンスチーマー。
お風呂上りに片付けるつもりだったのか、水戻ししたひじきと切り干し大根がそれぞれ小さなザルで水切り中みたい。
冷蔵庫を開けてみると、耐熱容器に小分けにされたたくさんのソースや刻み野菜たちがお行儀よく並んでる。ラップに包んで解凍中らしいカチコチの鶏のささ身や白身魚も出番を待ってる。この小っちゃいボトル、チアシードだよ。今からふやかしてるんだ。
こんな風にして毎晩寝る前にお弁当と朝ご飯の下準備してくれてたんだ。あたしは食べるだけだけど、神崎さんはこうやって前の晩から仕込んでくれて。
そう思ったら、なんか嬉しくなって、神崎さんが愛おしくて、すっごく大事に思えて、なんだろ……ああ、また涙が出てくる。
あたし、こんなに大切にされた事あったかな。家族ならまだしも、赤の他人だよ。血の繋がりも無くてさ、8日前まで顔も知らなくてさ。それがいきなりコンビニ弁当からこんなに凄いご飯に格上げだよ。栄養管理も行き届いててさ、カロリー計算もされててさ。
あたしには勿体無い同居人だよ。ヤバい、涙止まんなくなってきた。部屋に避難しよう。神崎さんが上がって来る前に。
そう思って2階の自室に避難したんだけどさ。結局喉が渇いちゃってさ。とりあえず神崎さんに遭遇するといけないから、涙が止まってから下りて来たんだよ。
何か薄暗くて静かだからさ、神崎さん居ないんだなって思って油断してたら、伊賀忍者め、音も立てずに座ってたんだよ、ダイニングテーブルんとこにさ。部屋の電気消えてんのに、キッチンの電気だけ点けて、中途半端に薄暗いんだよ。
それがさ、様子がなんかおかしくて、ちょっと階段のところからそ~っと盗み見ちゃったんだよ。
あの神崎さんが、上半身裸のまま首からタオル下げて、テーブルの上でアイスティーの入ったコップを両手で持ったまま、ぼんやりとしてるんだよ。あの神崎さんがぼんやりするなんて滅多に見られる光景じゃないよ。
てーか、身体綺麗だよ。中途半端に薄暗くて逆光だから陰影がガッツリついて、筋肉とかチョーはっきり見えちゃうんだよ。ゴリマッチョじゃないけど適度な筋肉がついててメッチャ綺麗なんだよ。美術室にある石膏像をちょっとスマートにした感じなんだよ。これならデッサンしたくなるよ。マジで見とれるよ。うはー……すっご綺麗。
って何だあたしは変態か! 何をジロジロ見てるんだか。どーしよ、あたしもお茶飲みに行っていいかなぁ?
「神崎さん……」
「あ、山田さん」
「お茶、飲みに来ちゃった」
おずおずとキッチンの方に向かったんだけど、なんだかまだぼんやりしてる神崎さんは、この前みたいに慌てたりしないで、スッと普通に立ったんだよ。
「緑茶と紅茶、どっちになさいますか?」
「あ、ううん、自分でやるから」
「いえ、僕が」
狭いキッチンに同時に入ろうとしてさ、ぶつかっちゃってさ。
「あ、すみません」
「ううん、こっちこそ」
デカい。あたしの目の高さが神崎さんの胸の位置だよ。顔上げたら、神崎さんが何か思いつめたような顔してあたしを見てんだよ。
「どうしたの? 何か悩んでんの?」
「……いえ、別に」
「あたしで良かったら相談乗るけど」
「いえ、大丈夫です。問題ありません」
「でも神崎さんがそんな恰好でぼんやりしてるなんて珍しいから」
ここでやっと神崎さん、気付いたみたいなんだよ。
「すみません、こんな姿で!」
「別にいいよ、見慣れてるし」
そしたらさ、急にパジャマを羽織りながら凄い勢いで戻って来たんだよ。
「見慣れてるとはどういう事ですか? 誰を見慣れてるんですか」
「え? そこ反応するとこ?」
「誰ですか」
え? 何? 凄い威圧感。
「お父さん……だけど」
「……あ、お父さん。ですか。……そうですよね」
「腹は出てるし、下はステテコだし、加齢臭してるし、胸毛もモシャモシャで、神崎さんみたいにカッコ良くないけど」
神崎さん、気まずそうに視線が落ち着かずにウロウロして、溜息つきながら俯いちゃったんだよ。
「すみません。僕は先に休みます」
「ねえ、大丈夫?」
「はい、問題ありません。お休みなさい」
「おやすみ……」
項垂れて階段を上ってく大きな背中を見送りながら、あたしはどんどん心配になってっちゃったんだよ……。
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