第78話 船、乗りませんか?

 再びリフトで麓まで下りたところで、急に神崎さんが「船、乗りませんか?」と言い出したんだよ。なんでも、モーターボートやら遊覧船やらがあるらしいんだよ。そう言えばさっき自転車返す時にいろいろ見えたよね。

 神崎さん曰く「ここでモーターボートなんて有り得ない」のだそうで。遊覧船ならではの楽しみがあるんだそうな。そんで、そのお楽しみの為にちょっと確認する事があるとか言ってさ、遊覧船乗り場で何かを訊いてるんだよ。


「山田さん、グッドタイミングです。次の便は2階オープンデッキだそうです」

「あ~、2階に上がりたかったのね?」

「そうなんですよ。ここに来たらどうしてもこの遊覧船に乗りたかったんです」


 なんだか神崎さんが子供みたいに嬉しそうに言うからおかしくって。この人がこんなに自分の感情を表に出す事なんて珍しい。実はかなり可愛い人なんだな。


「もしかして神崎さん、普段意識して、思ったことを顔に出さないようにしてる?」

「は?」

「いつもポーカーフェイスだから」

「そんなことはありませんよ。あれで普通ですが」

「でも、今なんてゆーか……子供みたいにはしゃいでる」


 そしたら神崎さんてばあの悪魔の微笑みでクスッと笑うんだよ。


「それは今がどうしようもなく楽しいからですよ」

「え、そうなの?」

「ええ、そりゃあもう。バーンスタイン指揮のニューヨークフィルでショスタコーヴィチの『交響曲第5番』第4楽章のクライマックスくらい盛り上がってますよ」

「……どれくらい凄い事なのかは全く伝わんなかったけど、何となくエライ騒ぎになってる事だけはわかった」

「ふふふ……」


 上機嫌な神崎さんと一緒に遊覧船の2階に上がってさ、手すりにつかまって景色を眺めて出港を待ってたんだよ。遊覧船なんて久しぶりだよ。ネズミーランドのマークトウェイン号が最後だよ。


「山田さん、さっきの傘松公園が見えますよ」

「あ~ほんとだ。あそこからこの船見えたよね」

「今頃タイタニックしている人が居るかも知れませんよ」


 う……今考えるとチョー恥ずかしい。ジャックの方は神崎さんの方が絶対イケメンだから誰に見せても恥ずかしくないけど、ローズがカバだよ? これ、絵的にNGだろ。映画会社から苦情来るよ。てか日本中から苦情殺到だよ。やっぱあたしその場で銃殺だ。


「あ、動き出しましたね。それでは最終兵器を出しますか」

「へ? 最終兵器? テポドンとか持ち歩いてる?」

「ふふふ……」


 神崎さん、帆布のボディバッグからお菓子の小袋を取り出したんだよ。こんなもの持ち歩いてたんかい! おやつは300円以内、バナナはおやつに含みません! を実践してたんかい!


「どしたのそれ? えびせん?」

「これが最終兵器です」

「?」


 神崎さんのやる事はイマイチ意味不明だ。完璧で隙がないと思わせておいて、いきなりの珍獣回帰か。と思っていた矢先……今度は変身ヒーローアクション!?

 小袋から取り出した1本のえびせんを、高々と天を貫くように大空に向かって差し出したんだよっ! 何考えてんだこの珍獣は!


 そしたらさ。来たんだよ。カモメが。

 次々と集まって来るんだよ。船と並走するようにさ。同じスピードで横を飛んでるんだよ。あたしの頭の上を掠めて、神崎さんの長い指先からヒョイってえびせん咥えて行くんだよ。凄い! 手から持ってくなんてアリ?


「上手く持って行ってくれましたね。山田さんもやってみませんか? 可愛いですよ、カモメ」

「やるやるっ!」


 あたしもえびせん持って、頭上に高く腕を伸ばしてみたんだよ。神崎さんがちょっと屈んで、カモメの邪魔にならないようにしてくれたんだよ。そしたらさ、来るんだよカモメ!


「あっ、食べた! 可愛い~!」

「でしょう?」


 周りを見ると、親子連れの中に食パンを持った人なんかもいる。知ってる人は知ってるんだ。


「楽し~! カモメ可愛い~。きゃああ~、面白ーい!」


 あんまりカモメが可愛くってさ、もう周りの事なんか忘れてカモメの餌付けに夢中になっちゃったんだよ。神崎さんはカモメの写真を至近距離で撮って満足そうにしてるんだよ。面白がってカモメにえびせんあげてたら、あっという間にえびせん無くなっちゃった。


「ごめん、全部カモメにあげちゃった」

「いいんですよ、最初からそのつもりでしたから」

「神崎さんも餌付けしたかったんでしょ?」

「僕も最初にしましたよ。それにですね、僕は飛んでいるカモメを近くで観察してみたかったんです。山田さんのお陰でじっくりと観察する事ができました。もう今日という日は最高の日ですよ」


 心底嬉しそうだから、社交辞令ではないみたい。


「それに実はもう一つ、小袋にしておいたのには理由があるんですよ」

「何?」

「大袋だと、餌付けに夢中になって景色を見損ねてしまうので。飛龍観側は橋もあって景観がいいんですよ。海の方から見ることができるのは遊覧船ならではでしょうからね」

「すっご。計算ずくだ……」

「当然です、山田さんとお出かけなんですから」

「ほえ?」

「あ、いえ、何でもありません。あ、噂をすれば橋が見えて来ましたよ。さっき大きな魚とクラゲの見えた橋です」

「ほんとだー。海から見ると綺麗だね~。あそこ通ったんだ」

「もう着いちゃいますね。着いたらお昼ご飯にしますか?」

「うん! 宮津のトリ貝!」


 神崎さんは涼しい目であたしに視線を投げかけると、耳元に顔を寄せてそっと囁いたんだよ。


「今日はダイエットの事は忘れましょう。ローズさんの脇腹、ぷにぷにで気持ち良かったですよ」


 ……神崎マジ宮津湾に沈めてやる。




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