第65話 ぽんぽん

 それから少ししたら帰って来たんだよ、水平対向エンジン(?)が。なんか音だけ聞いてるとポルシェっぽいよ。ほら、あのアマガエルみたいなクルマだよ。神崎さんのクルマはレガシィワゴンって言ったっけ? 真っ黒で長くてデカいからゴキブリっぽいよ。そんなこと言ったら張り倒されるかな? 案外ゴキブリ好きだったりして。

 鍵を開ける音がして、神崎さんの足音が玄関に入って来た。これは絶対神崎さん。ドロボーじゃない。……って、なんだ、あたし実は神崎さんの足音、聴き分けられるんじゃん。一昨日は深夜だったから、神崎さんが静かに入って来ただけだったんだ。

 玄関のドアを閉める音、スリッパに足を入れる音、全部神崎さんの動きが想像できて笑っちゃう。なんかもう、フツーに家族じゃん。


「山田さん? まだお休みになってますか?」


 神崎さんが遠慮がちに小声で話しかけて来るから、なんか天邪鬼になっちゃって、わざと寝たふりとかしてみるんだよ。

 神崎さんの足音があたしのすぐ側まで来て、床に膝を着くのがわかる。部屋が明るいから、あたしの上に大きな影が被さって来るのがわかる。フフッ、神崎さん、あたしが寝てるのか覗いてるんだ。笑っちゃいかん、タヌキ寝入りがバレる。でもなんだか可笑しい。


「ただいま」


 神崎さんがそっと囁いて、また立って行った。寝たふりしてたら可哀想かな?


「おかえり」


 目を閉じたまま返事してみた。けど返事がない。目を開けてみたらもういない。なんだ、もう行っちゃったんだ。つまんないの。

 と思って寝返りを打った。……ら。


「うわあぁ!」


 目の前に座ってた。


「寝たふりしてましたね。ですから僕も向こうに行ったふりをしてみました」

「びびびびっくりするやんっ!」

「具合は如何ですか? 少しは良くなられましたか?」

「うん。塩昆布のお茶が効いた」

「それは良かった。このままですと、明日もどこにも出かけられなくなるところでした。僕はクルマの荷物を運びますので、山田さんはゆっくりなさっててください。あ、お風呂入れますね」


 相変わらず神崎さんてば一方的にこれから自分のやる仕事を告げて、さっさと立って行っちゃったんだよ。もうちょっとお喋りしたかったのに。結構淋しかったのにさー。きっと冷凍食品とか買って来て、早く冷凍庫入れなきゃならないんだ。……ん? そう言えば出来合いの冷凍食品ってまだ食卓に上がってないよね。

 テラス窓を開けて目の前に鎮座しているゴキ……もとい、レガシィワゴンのお尻を開けてる。また随分と買いこんだね。

 何だかあたし、調子良くなってきたから布団から出てみたりする。


「神崎さーん。あたし治ったから手伝うー」


 トコトコ(実際はドスドス)近づいて行ったらさ、神崎さんてばギョッとした顔で振り返るんだよ。何その顔? そんなビックリしなくてもいいじゃん?


「ダメですよ。あんなに具合悪そうにしてたんですから、もう少し大人しくしててください。お茶淹れますから。ああ、そうか、先にお茶淹れます、荷物よりプライオリティが高かった……」


 ブツブツ言いながらあたしを押し戻そうとするから、あたしも神崎さんを押し戻したんだよ。心配し過ぎだって。


「大丈夫だよ、ホント、もう治ったから」

「山田さん、申し訳ありませんが、ズブの素人の意見は伺っておりません。大人しく僕の言う事を聞いてください」

「ほんとにもう大丈夫だってば~」

「お願いですからお利口さんにしててください」

「なにそれー、悪い子みたいじゃん」


 ってあたしが口を尖らせたんだよ。そしたらさ、あたしの肩に置いてた手をふっと離してさ、いきなりあたしを抱き上げたんだよ! お姫様抱っこだよ? カバを!


「聞き分けのない子ですね。ここで大人しくして居なさいと言ったでしょう?」


 神崎さん、86㎏のあたしを軽々と持ち上げて、ひょいひょい歩いてそのまま静かにお布団に下ろすと、噛んで含めるようにもう一度言いやがったんだよ。


「大人しくしていてください」


 あたしゃビックリしたもんだから、ヤダとは言えなくてさ。


「……はい」

「いい子だ」


 とか言って、頭ポンポンしやがんの! なにそれ! なんなんだよそれー! 癇に障るわーーー! むっちゃ癇に障るけど! だけど! あーもう! なんなんだよー!

 っていうあたしのこの、なんつーの? どこにも持って行きようのないこの……あああ~! な感じを無視して、神崎さんはあたしの為にお茶(梅干し入り)を淹れて、車の荷物を運び始めちゃったんだよ、涼しい顔で!


 あーもう!

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