第61話 ワイングラス

 目の前にはどっから見ても「酒の肴」というようなものが並んでるんだよ。どう考えても「ご飯のおかず」じゃないんだよ。

 今日は先にお風呂に入った神崎さんが、あたしが入浴してる間に何故か「酒の肴」をたっくさん作ってたんだよ。


「ねー、これ、ご飯って感じじゃないよね?」

「そうですね。今夜は金曜日ですのでご褒美の日なんです」

「何それ?」


 神崎さんはフンフンと鼻歌まじりで楽しそうだけど。


「一週間頑張ったご褒美として、僕は毎週金曜日の夜にお酒を飲む事にしているんです。ランニングもお休みです。山田さんの分はちゃんと食事を作りますからご心配なく」

「え? いいよ、一緒に飲むから」

「それじゃ足りないでしょう? 飲んでも食べるでしょう?」

「それもそーだよね」


 そっか、今日、会社帰りにチラッと酒屋さんに立ち寄ったのはこの為だったのか。


「山田さんの為にロゼも仕入れてありますからね。コート・ダジュールの微発泡です。僕のはまた別ですが」

「はぁ……」


 何だか楽しそうだよ。いつもの無地のシルバーグレイのパジャマにチャコールグレイのエプロンして、両手にでっかいミトンしてる。ガラスの四角いお皿みたいなのをミトンをした両手で持ってテーブルの方に来ると、中でチーズとホワイトソースがボコボコしながらジュージュー言ってる。いきなり視覚と聴覚に訴えて来るか!う・・・消化器官の活動がスタートした。いきなり唾液腺がフル稼働だ。


「こっ・・・れ。むっちゃ美味しそーなんですけど」

「ラザーニエですよ、お好きですか? パスタならお腹が膨れるでしょう?」

「これ以上デブったら困るんだけど」

「そうではなくて、満腹になるという意味で」

「ああ、そっちか。うん、まあ」

「温野菜のサラダも作りましたし、今日は揚げ物もありますよ、ご褒美ですから」

「えっ? 鶏唐?」

「いえ、木綿豆腐のフリッターですが。鶏が良かったですか?」

「ううん、それ食べてみたい! 美味しそう!」

「ワインにも日本酒にも合うようなものがなかなか思いつかなくて。ラープムーも作りましたが鶏ささ身なんです」

「飲も飲も!」


 嬉しくなってテーブルに着いたら、神崎さんが笑うんだよ。


「山田さん、本当に食事の時は楽しそうですね」

「神崎さんだって料理してる時楽しそうだよ」

「そうですか?」

「うん、可愛いくらい」

「食べてる時の山田さんも可愛いですよ」


 メシがっついてるカバが?


「グラス買ったんですよ。1種類しか買えませんから、テイスティンググラスにしましたが」


 なんのこっちゃわかんねーよ。なんでもいいよ。


「ほら、ワイングラスにするだけで全然違うでしょう? 流石にいつものグラスでお酒を飲む気にはなれなかったので」

「火曜日これで飲んだじゃん」

「今日は僕は本気で飲むんです」


 本気で飲むって何だ? 今までは冗談か?


「どうぞ、ピンクのがお好きなんですよね? 甘口ロゼのスパークリングですよ」


 ってあんた、パジャマの癖にソムリエに見えるよ。なんでだよ?


「神崎さんは?」

「僕は日本酒ですよ。久保田です」


 久保田とな。


「僕もね、テイスティンググラスで日本酒飲むのは割と好きなんです」

「何に乾杯?」

「一週間頑張った二人に乾杯」

「アハハハ、そーだよねー」


 あたしたちはグラスを合わせた。なんだか妙に幸せな気分になった。

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