第60話 くんくん
「山田さん、すみませんがちょっと打ち合わせをしたいんですが」
ほえ? ああ、神崎さんか。
「いいですよ~」
「あっちのパーティションの奥でいいですか?」
「はーい」
「メインパネルの仕様を持ってお願いします」
「はーい」
ついに来たよ個別指導。あたしが蛍光ペンと仕様書、付箋とメモを持って行くと、神崎さんが資料を持って現れた。作業机の正面に座るかと思ったら、並んで右隣に座った。
「まずメインパネルの色からなんですが」
説明する神崎さんの手元を見てぶったまげた。シフトチェンジしてる手を見ても気づかなかったんだよ、何度も見てる筈なのにさ、こうやって至近距離でボールペンを持ってるのを見たら、神崎さんの手ってすんごくデカいんだよ。指も細くて長いんだよ。いえね、デカいのは知ってたよ? 引っ越した日に『でけー』って思ったからさ。でもこんなにデカかったか? あたしの手が赤ちゃんの手に見えるよ。ただでさえ小っちゃいしムニムニしてるし。太いし短いし。見てて凹むわ。
「でっか……」
「は?」
「神崎さんの手」
「ああ……」
神崎さんが左手をひっくり返して掌を見せてきた。デケー! 思わずあたしはその手の上に自分の右手を乗っけてみた。小っちぇー! 神崎さんの手の第一関節まで届かんし!
「でっかい手だねー」
「可愛らしい手ですね」
一瞬神崎さんがあたしの手を軽く握って、はっとしたように手を引っ込めた。
「すみません。話を続けましょう」
「あ、ごめん。脱線させちゃって」
「いえ。あの、このエコゲージなんですが、どうせ修正入れるなら色も変えませんか? ブルーもとても綺麗なんですが、折角のエコゲージですからイメージとしてはグリーンが合っているような気がするんですよ。それにですね、フルカラーパネルなのにフルカラー使わない手はありませんよ」
何だか分厚い色見本を出してきたよ。なんでこんなもん持ってんだよ。
「これって神崎さんの私物?」
「勿論です。僕は設計屋ですからデザイン関係も一通り」
「色見本まで?」
「カラーコーディネイターの資格も持ってます」
さいでっかー。……あ、だからカーテンの色を選ぶ時になんだかややこしい話をしてたんだ。
「赤からオレンジ黄色と来て、黄緑あたりからちょっとエコな感じで、緑になるとかなりエコ、ブルーになるとチャージくらいの感じにしたらわかりやすいと思いませんか? こちらの色相環を参考に……山田さん、聞いてます?」
「あ、はい、聞いてます」
こんなに近くにくっついて座った事無いから気付かなかった。神崎さんの匂い。くんくん。くんくん。犬かあたしは! そのうちマーキングとかしそうだ。いや、マーキングするのはオスだけか。てか、しねーよ!
「どう思われます?」
「うん、いいと思う。それで行こう」
「発電機モータのエンジンアシストや発電状況のモニタありましたよね」
「エネルギーモニタのこと?」
「それです。上部旋回体モータからの発電によるプラスサイクルとエンジンアシストのマイナスサイクルも色を変えた方がいいでしょう。この流れと……こっちの流れですね」
あたしの前に並べた資料に、横からあーだこーだとペンのお尻で線をなぞって説明してくれるんだけどさ、右に座った神崎さんが右手に持ったペンで説明するもんだからさ、なんつーの、凄いこう、接近してるっつーかさ、チョー至近距離なのよ顔が! Mr.ミドリ安全、超どアップでもやっぱイケメンなんだよ。なんかさ、鬼の個別指導教官だとわかっていてもさ、伊賀忍者とわかっていてもさ……ドキドキすんだよ!
「そね。これも緑と赤……いや、赤は警告色だからオレンジか、いっそピンクとかにしちゃおっか」
「ピンクですか。思いがけない発想ですが、なかなかいいですね……それとですね、山田さん」
「んー?」
「土日は先程の予告通り僕に付き合っていただきますので、予定を入れないでください」
「……は?」
「明日と明後日です。付き合っていただきます。予定を入れないでください」
「あ、はい」
なんか神崎さんの逆らえないような雰囲気に、ついうっかり返事しちゃったよ。てか、それって今の話と全くかんけー無いじゃん。勢いに乗せられちゃったよ。コイツとんでもねーよ。勤務時間中だよ。仕事しろよ。
次の瞬間から神崎さんは完璧に仕事の話に戻ったんだよ。……とんでもねーよ、この人。
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