第27話 わからんわ
お風呂から上がると、あたしの胃を猛烈に刺激する匂いが部屋中に充満してた。そして、あたしは見てしまった。『あの』神崎さんが鼻歌まじりに料理をしているのを! ちょっと、鼻歌だよ、鼻歌、あの神崎さんが鼻歌だよ?
そしてあたしが出てきたのを見つけると、楽しげに(笑顔は無いけど)「おかえりなさい、もうすぐご飯ができますよ」ってゆーのよ。あたし、思わず訊いちゃったよ。
「神崎さん、その歌、なんですか?」
興味があったんだよ、この人がついうっかり口ずさんでしまう歌。サザン? 小田和正? 三輪明宏? まさかの東海林太郎? だけどさ、どれもこれも完全に外したんだよ、いえね、確かに神崎さんらしいよ、らしかったよ。でもそれって鼻歌で歌うよーな歌ですかね?
「シベリウスの『交響曲第2番第1楽章』です。山田さん、クラシックはお好きですか?」
「嫌いじゃないけど、すぐに寝ちゃいます」
「……そうでしたか」
「あ、ごめんなさい」
「いえ、割とその反応は一般的ですので」
「あの、あたし何したらいいですか?」
「そうですね、僕がカウンターに作った物を置いていきますから、テーブルの方に出して貰えれば」
「はい、わかりました」
って言ったのはいいんだけどさ、なんか神崎さんそのカウンターの中にいるのが絵的にすんごい自然なんだよ。「マスター、いつもの」って言いたくなるよ。言ったことは無いんだけどさ。
つーかさ。なんか凄いよ? なんか魚あるしさ。サラダあるしさ。煮物っぽいのあるしさ。あ、お茶碗。うわっ! これも間違えないように? お茶碗もお箸もオフホワイトとチャコールグレイだよ。お箸は竹だけど、持つところがこの色になってる。
「すいません、あまり時間が無かったので、簡単な物しか作れませんでしたが」
「いえ、十分凄いです。寧ろ凄まじいと言った方がいいです」
「じゃ、食べましょうか」
「はい、いただきます」
「いただきます」
またきちんと手を合わせてる。
「神崎さん、実家お寺さんですか?」
「いえ? どうしてですか?」
「や、別に」
「はあ……」
「ね、ね、このお魚なんですか?でっかい金魚みたいですけど」
「赤魚の煮付けです」
「んまーーー! おいひーーー!」
神崎さんが嬉しそうに笑った。嬉しそうにだよ? 笑ったんだよ?
あたしゃードキドキしちゃったよ。だってその笑顔の神崎さんが、なんてゆーか、すんごく素敵だったんだもん。一歩間違ったら恋に落ちちゃうよ。でもこの人はあたしを野生のカバだと思ってるんだよ。あたしは女性じゃなくてメス扱いなんだよ。
「これは?」
「ああ、がんもどきと春菊を煮浸しにしたんです。この辺では『飛竜頭と菊菜の炊いたん』と言うらしいです」
「がんもどきが飛竜頭ですか?」
「そうです、春菊は菊菜、煮物は炊いたん」
「へ~え! 神崎さんて何でも知ってますね」
「おばんざいのお店で教えて貰ったんです」
「うはー! ひりょーずときくなのたいたん、めっちゃおいひー!!」
「お口に合いましたか。良かった良かった」
神崎さんは薀蓄を垂れながらも上品に食事をしてる。ホントにこの人の食べ方って『食事をする』って感じなんだよ。あたしが『メシがっついてる』前で『食事』してんだよ。
「うわっ、これ美味しいよ、マジ美味しい。大根だよねっ! このそぼろのお肉の餡かけがたまらん! 何これ、どーやって作んの? これ一般家庭で作れんの?」
「山田さん」
「はひ?」
「あ……いえ……」
珍しく神崎さんが口籠ってる。
「どーしたんですか?」
「何と申しますかその……あの……」
「はひ?」
突然神崎さんが箸をきちんと揃えて手元に置いた。
「あなた、本当に美味しそうに食べますね」
「だって本っっっ当に美味しいんだもん! 神崎さん何なの? プロの料理人?」
「そんな訳ないでしょう。誰だって作れます」
「あたし作れません」
「作った事が無いだけでしょう?」
「あ、そうかも。だけどさ、だけど美味しいよ、ほんとに。神崎さんの料理。もーマジで美味ひー。ボキャ貧でごめん、おいひーしか出て来ないわ。おいひー!」
「山田さん」
「ふにゃ?」
「今のいいですね」
「はい?」
「いえ、はいじゃなくていいんです。だけどさ、でいいんです。丁寧語使わなくて結構です、普段通りのあなたで」
「え、今度そっち?」
「ああ、いいですね。そのままの山田さんの方がいいです」
何だかなー、ホントこの人わからんわ……。
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