第三十話「舞い降りる〈絶望〉」

 僕、ユーリ・エールは、ごく普通で一般的な家庭に生まれ、優しい両親と可愛い妹に囲まれ、なに不自由ない毎日を過ごしていた。生活は充実してたし……文句もなかった。この時代に、なに不自由なく暮らせるというのは、とてもすごいことだったから。

 幸せの絶頂……そう、まさにその時が、僕の幸せの絶頂だった。

 ある日、僕はいつものように町の広場へ遊びに行って、友達と遊び、夕方になって、家に帰った。

 そんな僕を待っていたのは、毎日のように笑顔で出迎えてくれる家族じゃなくて、壁に血で文字が書かれ、壁のそばでぐったりとしていた、家族のだったもの。壁には、『異端者へ裁きを!』と、書いてあった。

 その日、両親を失った僕は、天涯孤独の身となった。

 それから月日は流れ、成長した僕は、統合政府直属の組織、リクリエイトへと入隊する。僕を拾い、僕を育て、僕の願いを叶えてくれると言ったあの人のために、この命を捧げると誓って。

 なのに……なのに……!












 僕の目の前には、地獄絵図が広がっていた。それは、四面楚歌というにはあまりに残酷で……生温い光景だ。

 正面にはアルマさんの機体と、黒く染まってしまったグランデルフィン。その周囲を取り囲むようにして、人狼ワーフェンリルが六体並んでいる。


『……しかし、封印を二つ解いた程度では、器を乗っ取るくらいしかできないか』


 グランデルフィンから聞こえてくるレンスケの声。でも、喋り方も雰囲気も、レンスケのそれじゃない。

 フィン・ラストゴッド。あれは、そう言った。

 そして、世界を終焉へ導く魔神とも……。


『まあいいさ。ちょうど三つ目の封印もここで解ける』

「――っ!」


 グランデルフィンの赤く輝く双眸が、僕を……アンタレスを見つめる。東占領区の遺跡で聞いた、魔神の話……機神という存在におる仕掛けが施されていて、魔神を封印していると、言っていた。

 つまり、二つの封印が解けたということは……二機の機神が倒されたということ。

 シエルフィードとファントム。レッテさんとハヤトさんが倒されたっていうのも、本当のことらしいね。

 このまま、僕は殺されるのか……?

 ……いや、違う。


「……殺される、ものか」

『どうした? 何か言ったか?』


 嘲笑を浮かべるアルマさん。いや、アルマ。僕は、ありったけの声量でアルマに叫ぶ。


「殺されるものか! アルマ・カレント……あなたは僕を騙していた! 僕を拾ってくれたあの日から……ずっと!」

『それが、どうかしたのかい?』

「僕の願いを……僕の想いを踏みにじったあなたを、絶対に許さない!」


 許せるものか、ああ、許せるものかよ!


『許さない! 許さないか! ならばどうする、ユーリ・エール!』

「決まってる! 僕の機神……アンタレスで、あなたを、倒す!」

『ほう、この状況で随分と大きい口を叩くな。この絶望的状況を、一人で打開できるとでも?』

「そ、それは――」

『――一人が無理なら、二人です!』


 アルマの問いに言い淀んだ僕の声を遮った若い男の子の声。そしてその声とともに爆発音が響き渡る。

 爆煙の中から現れたのは、全身が黄緑色で塗装された機体。その両手には、巨大な片刃の剣が握られていた。


『アンタレスのパイロット、聞こえますか!』

「聞こえてるけど……」

『僕は機神、オービタルクリーガーの適性者アプティテュード、アルタ・レシフェスです! これだけの人狼ワーフェンリルを、一人で相手にするのは無謀。良ければ、僕と手を組んでほしい』

「……僕はアンタレスの適性者アプティテュード、ユーリ・エールだ。でも、レンスケが……!」

『レンスケ……? ッ、どう、して……』


 アルタにも、黒く染まったグランデルフィンが見えたみたいだった。


「詳しく説明してる時間はないから、手短に伝える。あれはレンスケであってレンスケじゃない。見た目はおんなじでも、中身が違う」

『中身が……?』

「フィン・ラストゴッド。終焉の魔神が、レンスケの身体を乗っ取ったってわけさ……!」

『そんな!』

『さて、おしゃべりは終わったかな?』


 グランデルフィンが、赤い双眸を僕たちへ向ける。


『レンスケの声……でも、レンスケじゃないのか……!』

『器の名で呼ばれるのは癪だな。ならば、今一度我が真名を名乗ろう。

 ――俺の名は、フィン・ラストゴッド。この世界に終焉をもたらす者……そう、魔神かみさまだよ』


 グランデルフィンの双眸が輝き、全身が赤黒いオーラに包まれる。なんて禍々しい輝きなんだ……! 見ているだけで、心が折れそうになる! あんなのが神様なんて、信じたくはないけど……!


『怖いか? 怖いだろう! その恐怖は人の根底から現れるもの! 原初より遺伝子に刻まれた恐怖だからな! 抗う術はないぞ!』


 フィンの声に合わせて前に出てくる人狼ワーフェンリルたち。

 人狼ワーフェンリルの強さは、嫌という程知っている。それが同時に六体……! さらにはグランデルフィンとアルマまでいる。機神が一機増えたところで、どうにかなる戦力差じゃない。

 しかも、さっきまで敵だったやつだ。おそらく、ハヤトさんを倒したのもこいつなんだろう。いや、それでも今はとても心強い。

 僕の人生を否定し、僕という存在そのものを否定したアルマ。僕は、あいつを一発ぶん殴らないと気が済まない!


『大丈夫! 二人じゃありません……三人です!』

「三人って――」


 突如、アンタレスの真横を通り過ぎる極太のビーム。


『ガァァァァ!?!?!?』


 爆発。見れば、一番前に出てきていた人狼ワーフェンリルの半身が吹き飛んでる! 一体なにが起こったの!?


『何事だ!?』

『……ほう、狙撃手か!』


 予想外の展開らしく、アルマのひどく慌てた声が聞こえる。対照的にフィンは、落ち着いているようだった。


『――いやぁ、間に合って良かったぜ』


 突然、全周波広範囲通信オープンチャンネルで聞こえる男性の声。僕は咄嗟に後ろを振り向いた。

 そこにいたのは、巨大な砲塔を右腕につけた緑色の機体。しかし、左腕と左脚だけは、白色の装甲をつけている。どうやらパーツが違うみたいだ。


『もう、遅いですよレヴリオさん!』


 嬉しそうな声音でアルタは言った。レヴリオ……あの金髪の男か!


『しょうがねぇだろ? これでも飛ばしてきた方なんだ。さっきはアルが引きつけてくれたおかげで倒せたけどよ、今回ばかりはそうもいかねぇんだ。てなわけで、レヴリオ・セバルス、コバルトグリーン、参上だ!』


 ここにくる前にすでに人狼ワーフェンリルを倒しているということか……。この状況にも、少しは光が見えてきた!


人狼ワーフェンリルの装甲をたやすく抜けてきた……⁉︎』

『フン。その程度で狼狽えるな、アルマ。我が同志よ。いくら威力が高かろうと、当たらねばどうということはないさ』

『しかしだな……!』

『心配か? まったく、お前は昔から心配性な男だよ。なら、その心配の種を排除してやるとしようか』


 グランデルフィンが右手を空へ掲げる。見れば、手の先に赤黒い光が集まっていくようだった。


『魔神というのはな……こういうこともできるんだよ』


 右手の先から上空へ放たれる赤黒い光。その光がグランデルフィンの頭上で弾け、なにかしらの紋章を浮かび上がらせていく。あれは……魔法陣?


でよ、我が忠実なる僕……原初の天狼オリジンフェンリル!』


 空に描かれた魔法陣が輝き、光を帯びる。その光量はどんどんと上がっていき、ついには眩いほどの輝きを放った。僕と同様に、アルタとレヴリオも顔を背けて目を閉じているようだった。くっ、眩しくて見えない……!

 光が収まり、僕たちが目を開けるとそこには――悪魔がいた。

 人狼ワーフェンリルの何倍もの大きさ。高くそびえる塔のごとく、僕たちの行く手を塞ぐ壁のごとく、それは大きかった。

 口から覗く牙は鋭く、機神の装甲なんてものともせず貫けそうなほどだった。

 がっしりとした四肢が、大地を踏みしめる。それだけで、この世界は悲鳴を上げた。

 全身から溢れ出る赤黒いオーラ。あのグランデルフィンから感じるものと同じだ。


『――ッ!!!!!!!』


 世界を震わせる、咆哮。たった一吠えするだけで、大地の形状が変わっていく。まさに、化け物と呼ぶに相応しい。


『……おいおい。こんなの、聞いてないぜ……? なんだよ、あの化け物は……!』

『あんなのに、僕たちで勝てるの……?』

「……これが、原初より刻まれた恐怖の遺伝子ってやつなのか……? さっきから、体の震えが止まらない……!』


 身体の底から溢れる恐怖から、僕たち三人はまったく動けずにいた。


『お、おお!』

原初の天狼オリジンフェンリルと、人狼ワーフェンリルが六……いや、一体やられて五体か。まあ、やつらを消し飛ばすには十分だろう』


 嘲笑を浮かべるフィン。だが、事実その通りだ。きっとあいつなら、僕たちを消し飛ばすことくらい簡単にできてしまう。これは、余興だ。復活した魔神を悦ばせるための、狂宴だ。僕たちは、ただの生贄でしかない。

 身体が言っている。もう、諦めろと。こんな化け物に敵うはずがないと。大人しく、死の運命を受け入れろと。

 でも、そんなの納得できない! せめて、アルマのやつを一発ぶん殴ってからじゃないと、死んでも死に切れない……!

 勝手に諦める身体を、心で律する。ああ、そうだよ。僕は、まだ死ねないんだ……! たとえ僕の家族が永遠に帰ってこないのだとしても、ここで屈していい理由にはならないんだ!


「……まだだ」

『ん?』

「まだ、諦めるわけにはいかない……! そうとも、僕がこんなところで諦めていいはずがない! こんなところで諦めたら……僕は、僕の家族に顔向けできない……! 妹に、立派な兄の姿を見せられない……! そうさ。僕は、男なんだ!!』

『……僕たち、傭兵団アルジェンターは、この程度の危機に屈しない! あなた達みたいな悪には、決して負けない!!』

『――ったく。ガキにんなこと言われたら、大人の俺が尻尾巻いて逃げるわけにはいかねぇだろうが……! ああ、やってやるよ! 大人の意地、見せてやろうじゃねぇか!!』

『ほう、この状況でもその気迫……! 面白い、原初の恐怖に打ち勝ったか! ならばいいだろう。お望み通り、俺の僕に八つ裂きにされるといい!!』


 グランデルフィンの前にいた人狼ワーフェンリル全ての装甲が、たてがみのように逆立つ。緑色の瞳は赤色へと変色し、全身の装甲の隙間から赤い粒子をキラキラと放出していた。


『こんな時に人狼ワーフェンリルの本気モードかよ……!』

「……見ただけでヤバさが伝わってくる」

『絶望って、こういうのを言うんでしょうね……!』

『ならさしずめ、あのデカブツは絶望の化身、ってところか』

「――来る!」

『ガァァァァァァァァァァァァァッ!!!!』


 原初の天狼オリジンフェンリルの咆哮とともに、全ての人狼ワーフェンリルが駆け出した。あっという間に距離を詰められ、目の前に現れる人狼ワーフェンリル。ッ、こんな、速……!


「ぐぅぅ!」


 なす術もなく、その狂爪に裂かれるアンタレス。かろうじて左腕で防御したものの、直撃を受けた左腕はいともたやすく破壊されてしまう。爆発とともに、コックピットが衝撃に襲われる。


「がっ!」


 その威力を殺しきれずに地面に叩きつけられたアンタレス。アルタとレヴリオも同様に地面に叩きつけられていた。アルタの機体は右足を、レヴリオの機体は巨大な砲塔を破壊されていた。


『さすがに、これは反則だろ……!』

『速すぎて目で追えない……』

「僕は、何の意味もなく死ぬのか……! 圧倒的な力に屈して! 機神という力を持ってしても、届かないのか……!」

『……終わり、だな』


 グランデルフィンが腕を振り上げる。すると、周囲を取り囲む人狼ワーフェンリルたちが一斉に爪を構えた。


『さ、さあ! 私たちの敵をさっさと倒してくれ、フィン!』

『そう焦るな。……なかなか楽しめたよ。もう少し楽しみたかったが、我が同志の願いは無下に出来ん。ではさらばだ、勇敢な人間達よ』


 グランデルフィンが、上げた腕を振り下ろした。やれ、という合図。


『ガァァァァァァァァッ!!!!』


 合図とともに一斉に爪を振り上げ、突撃してくる人狼ワーフェンリルたち。

 ……終わり、なのか。僕は、こんなところで……いや、まだ終わりじゃない! まだ戦う意思が残されてる! 戦う力は残されている! 無様と笑われようと、僕は最後まで戦う! だから!


「まだだ……! まだ、僕は生きてるんだ! そんな簡単に……諦め、きれるかぁぁぁぁぁぁぁっ!」

『――ああ、そうとも。まだ諦める時ではない』


 振り下ろされた爪が、止まる。


「……え」


 振り下ろされた狂爪があと数センチ動けば、やすやすとアンタレスのコックピットを貫けるだろう。だがしかし、人狼ワーフェンリルはその数センチを振り下ろさない。まるで、その場で時間が止まってしまったかのように動かない。驚きで口がふさがらない。

 やがて、目の前の人狼ワーフェンリルが頭から真っ二つに割れ、爆散する。一体、何が……?


『嘘、だろ……その、声は……!』


 レヴリオが驚きの声を上げる。その瞬間、周囲を取り囲んでいた五機の人狼ワーフェンリル一斉に爆散していく。視界の端に、紫の軌跡が映った気がした。

 巻き起こる爆煙。その煙が、やがて晴れる。


『……どうやら、間に合わなかったみたいだな。レンスケのやつめ、簡単に乗っ取られる……!』


 全身を包む漆黒の装甲。ところどころに散りばめられているのは、紫の紋章。

 その、大きな黒い翼と手に持つ鎌が、死神を連想させる。

 周囲に浮かんでいるのは、紫の爪のようなもの。それらはその機体の周囲をぐるりと回ると、両腰のバインダーへと帰っていった。


『何者だ、お前は?』


 フィンが、突如現れた乱入者に問う。漆黒の乱入者はフッと笑うと、グランデルフィンに向き直った。


『――ディスペイン・ウィシュードの適性者アプティテュード、クロム・デューク……バカの目を覚まさせてやるため、地獄から舞い戻った男だ』


 天空そらから、絶望が舞い降りた。

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