第32話 合戦~愛なら~

2017年2月28日-


棒倒し合戦前日。

「探偵議員め、まったく余計な仕事を増やしてくれたもんだ」

私と高科さんは、新宿のダイヤモンド街で起きた多数のケンカを止めるために、応援に駆けつけていた。

賛成派と反対派の両方を受け入れていた店は、ケンカで店内が滅茶苦茶になり、賛成派オンリー・反対派オンリーとしていた店は、店先でケンカが起こり、ガラスを割られるなどの被害が出ていた。


全国各地から集まってきているから、あらゆる方言が飛び交い、何を言っているのかよくわからないが、とにかく相手を罵倒していることだけはわかった。

こんな騒動が起きても、あふれるほど客が詰め掛けてくれるので、飲み屋のほとんどが営業を続けている。

物騒な光景だったが、この国の未来を真剣に考えている熱気で満ちていた。

「なんだか素敵ですね」

ここ数日の激務で疲れているはずなのに、高科さんは笑顔を忘れはしない。


勤務時間を大幅に越えて、ようやく帰宅すると千里たちがのんきにトランプをしていた。

「聡が変なこと言い出したおかげで大変だわ!」

こっちの苦労を少しでも知ってもらいと思いそう言ったが、トランプに夢中になっている4人は誰も関心を示さない。

「あら、正春さんもここにいたの?」

ご苦労だったねと一言褒めて欲しくて、わざとらしく言ってみる。

「最初はびっくりしたけど、正春兄さんにまた会えるなんて夢みたい」

「楓はもう大人だから幽霊なんか怖くないもん」

かえって正春さんに注目が集まり、誰も私を褒めてくれない。


仕方なく、シャワーを浴びることにした。ケンカを止めるために飲み屋をはしごしたおかげで、髪に染み付いたタバコの匂いを一刻も早く落としたかった。

洗面室で服を脱ぎ、ふと鏡を見て少し痩せたかなと思っていたら、突然ドアが開いた。目の前に裸の女がいたら、普通はすぐにドアを閉めると思うのだが、高杉くんは驚きのあまり硬直している。

ジーンズのチャックに手が掛かっているから、トイレと間違ったのだろう。明日の棒倒し合戦でサルを任され、極度に緊張しているに違いない。

「…明日の気合入った?」

ここは五百歩譲って大人の対応をとってあげよう。

「は、はい。十分過ぎるほど」

「負けちゃだめよ」

そう言って、私は浴室に入る。


熱いシャワーを浴びて、心身の疲れをとろうと思ったのだが、楓ちゃんの叫び声をきっかけに、洗面室から騒がしい声が聞こえてくる。

まあ、覗いたことには違いないから、私が高杉くんをフォローする必要はない。

制服を通り過ぎ、皮膚にまでタバコの匂いが染みついているような気がして、身体を執拗に洗っていると、今度は浴室のドアが開き、「痛い、痛い」とうめきながら高杉くんが入って来る。

シャワーで目を洗うと高杉くんは振り返り、私の裸を見て再び硬直する。高杉くん、せっかく残酷な死刑から逃れられたのに残念ね…今ここで死になさい。

私は脳天にかかと落としを決めようとしたが、高杉くんが左腕で防ぎ、ボキッと鈍い音がする。

千里が高杉くんにかけより、楓ちゃんが私にバスタオルを投げてくれる。

私のかかと落としが防がれるなんて…ショックでその夜は寝つきが悪かった…。



2017年3月1日-


棒倒し合戦当日。

私と高科さんは、四谷一丁目の交差点で、交通整理の任務についた。

「おいコラ、さっさと通さんか!ボケ!」

と左ハンドルのオープンカーに乗った老人がつっかかってくる。

海外に逃げ出した富裕層も、この歴史的一戦を直に観ようと国内に戻っているようだった。

「黙りなさい!棒倒しが終わるまで通せないのよ、このクソジジイが!」

業務は忙しくなり、殺人犯に裸を見られ、かかと落としは決まらず、私は苛立っていた。


「先輩、たいへんです!金子さんが逮捕されてしまいました!」

そんな…決起集会で行った危険人物罪ゲームで、森野署長と『別れても好きな人』を歌ってストーカーの兆候があるとして逮捕した金子さんが、本当にストーカー行為を繰り返していて、今朝相手の男性の腹部を包丁で刺したというのだ。


もしも危険人物罪があったら、刺された男性は無事だった…。私はすぐにLINEで聡や高杉くんたちにこの事件を伝えた。もちろんこの出来事は、森野署長の耳にも届いている。そうなると反対派に寝返る約束もどうなるかわからない…。


棒倒し合戦が始まる10時に近づくにつれ交通量は減って行き、15分前になると車は1台も走ってこないようになった。

人通りもまったくなく、本当にここが東京なのか信じられないくらい、静かな時間が訪れた。

そして、開始1分前になると、周囲の建物からカウントダウンをする声が聞こえるようになり、遂に10時を迎えると割れんばかりの大歓声が上がった。

会場近くは三日前から混雑していたので、飲食店や自宅で観戦する人も大勢いた。

とくにやることもなかったので、私は我慢することができず、高科さんと一緒にスマホで観戦することにした。


ちょうど甲田さんの部隊が、反対派の部隊を撃破したところだった。賛成派が集まっていると思われる飲食店から、また大歓声が起こる。しかし、反対派も聡の部隊を先頭に反撃を見せる。今度は、反対派が集まっていると思われる飲食店から、大歓声が上がる。

「よしっ!」

私と高科さんも控えめにガッツポーズをした。私をこんなに大変な目に合わせたのだから、勝ってもらわないと納得がいかない。


その後も拮抗した戦いが続き、勝敗の行方はまったく読めなかった。すると、反対派に寝返った森野署長の部隊が映る。背後から味方だった森野部隊に攻撃され、賛成派の部隊が動揺すると、これを機に一気に反対派が攻勢になる。

私は最初から反対派として参加するように森野署長にお願いしたのだが、

「寝返ってくれたほうがこっちには有利だ」

と聡がこの奇襲を企んだのだった。


反対派は歓声をあげて喜び、賛成派は卑怯だぞと罵った。

反対派が優勢なのに、私は喜べないでいた。いつも笑顔の高科さんも、この状況を悲しそうに見ていた。

画面の映像が切り替わり、反対派の本陣がある渋谷のスクランブル交差点に向かって突き進む、甲田さんの部隊が映る。

「高科さん、悪いけどここお願い」

「はい、お任せください!」

高科さんにいつもの笑みが戻る。


私はミニパトに乗り込むと、サイレンを鳴らし、アクセル全開で走らせた。こんな闘い方は間違っている。私はあとで誰に何と言われても構わないから、サルを務めている高杉くんに棒から降りるようにお願いするつもりだった。

だけど、私が着いた時にはもう勝負はついていた。高杉くんの周りにはペットボトルや空き缶などが散乱していて、何が起きたのか私はすぐに理解した。

卑怯な作戦で勝とうとしていた敗北感から彼が救ってくれたのだ…。そんな彼に反対派の連中はなんてひどいことを…。

反対派の一人が、顔を隠している高杉の手を強引に離そうとしたので、スマートフォンを全力で投げつけてやった。


私はいても立っていられず、高杉くんのもとへ駆け出した。そして、顔をさらさないようにしている高杉くんに向かってジャケットを掛けると、私もその中に入り、ありがとうとごめんねをありったけ込めてキスをした。驚いたことに、あの高杉くんが泣いていなかった。

私はこれ以上、ジャケットの中の世界で二人きりになることに危険を感じ、マスクを渡すとそそくさと出ることにした。

「体調が悪くなったみたいなので、救護室に連れて行きます」

と言って、高杉くんを連れて合戦会場を後にする。

急なことだったので、観戦者の一人から奪い取った使用済みのマスクを渡したことは、墓場まで持っていく秘密にしよう。


私は高杉くんをミニパトに乗せると、かつ日和に向かった。全員が今日の棒倒しで勝つことしか考えていなかったので、祝勝会をすることになっていたのだ。まあ、あのまま勝ってしまうより、何倍も敗北感を抱えずに明日を迎えることができそうだ。

「今日は私におごらせてちょうだい。思いっきり食べていいからね」

「…優子さん、一つ聞いてもいいですか?」

「下着の色はもちろん赤よ」

「いえ、そうではなくて…聡さんとのことですけど…卵が食べられるかどうかは関係ないんですよね?」

「えっ、なんで?」

「聡さんから聞きました。『俺といると正春さんのこと忘れられるだろ』って口を滑らせたら、優子さんが出て行ったと…」

「ふふふっ。そんなわけないじゃない。一々、聡のデリカシーのない言葉を気にしていたら、結婚なんてできないでしょ。自覚はないようだけど、もっとひどいことも言われたわよ。例えば、セックスの最中に…」

「優子さん、その話はいいです…」

「そう?あと10日経っても聡が卵を食べられないのなら、約束通りお別れだわ」

「本当に卵が食べられないことが原因だったんですか?」

「当たり前じゃない。そんなバカと子供をつくる気になんてなれないでしょ。どうかした?顔色悪いけど…」

「な、なんでもないですよ」

「もしかして高杉くん、かつ丼が食べられなくなったとか言わないでしょうね?最近、ソースかつ丼ばかり食べているようだけど」

「ど、どうしてそれを?」

「鈴木さんが不機嫌そうに言っていたわよ。私がいない時は、ソースかつ丼ばかり食べているって」

「たまたまですよ。僕はかつ日和のかつ丼が、世界で一番好きな食べ物なんですから。はははっ」

高杉くんが微妙に口をとがらせているから、それがウソだと分かる。

でも、高杉くんは、ななしの組織に繋がる情報を掴もうとして、毎日のようにかつ日和に通っていたこともあったし、聡とは食べられなくなった理由がまるで違う。高杉くんの反応がおもしろいから、そのことは黙っておくことにした。


困っているようだから、今は話題を変えてあげよう。

「よく私のかかと落としを防げたわね」

「たまにあるんです。危険を感じた時に、周りの動きがスローモーションのようにゆっくり見えることが」

「スローモーションのように、ゆっくり…」

「そうです、ゆっくり見え…ち、違いますよ、昨日はそんなんじゃ…」

ウソつけー、口が尖っているぞ。

ああ、変な気を回して聞かなければよかった。

それにしても、先ほどジャケットの中の世界で感じた危険が、もし愛ならば聡が卵を食べられるようになると困ってしまう。あくまでも、もし、の話だけれど…。

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