第30話 激励

2017年2月24日-


サルになった僕はすでに緊張していた。

棒倒し合戦まであと5日に迫ると、日本各地から参加者と応援団が集まり始め、飛行機や鉄道は満席となり、上りの高速道路には久しぶりに大渋滞が起きた。

閉館予定だったホテルも、この騒ぎのため営業を続け、ラブホテルはもちろん、ネットカフェの個室も満室になるほど参加者たちが集結していた。

ホテルによっては、賛成派オンリーなど差別行為が発生し、賛成派と反対派の対立はヒートアップを見せる。


ルールは議論の末、以下のように決まる。

・命に危険がある程の暴力行為は禁止とする。

・武器の使用は禁止とする。

・ヘッドキャップを着用すること。

・裸足もしくは靴下で参加すること。

・人が密集しないように1隊300人までとする。

・味方の隊とは半径50m以上離れること。

・それぞれの隊のリーダーは鉢巻締め、それを取られた隊は直ちに退場となる。(本陣の隊は除く)

・攻撃メンバーと防御メンバーは色の違うユニフォームを着用すること。

・両陣営とも50隊(攻撃30隊、防御20隊)までの出場を認める。


当日は、航空自衛隊や警視庁航空隊が上空のヘリコプターから監視することになり、違反者は即座に退場させられる。

また、棒の高さは7mに決まり、渋谷のスクランブル交差点の中央と、新宿の都庁都民広場にそれぞれ設置されることが決まった。

守る場所は、危険人物罪の賛成派代表の前島と、反対派代表の細井のじゃんけんで決めることになった。

じゃんけんの様子はテレビ中継され、日本中の国民が固唾を飲んで勝敗の行方を見守った。

そして、パーを出した前島に対して、チョキを出した細井が勝利する。前島は顔を真っ赤にして悔しがっていた。


選択権を獲得した細井は、渋谷の棒を守るほうを選ぶ。反対派の国民は、渋谷を選んだ理由もわからないまま、まるで棒倒し合戦で勝利したかのように喜んだ。

しかし、この勝利には裏があった。細井は大事なじゃんけんほどグーを出す癖があると、前島サイドに聡さんがデマを流していたのだ。探偵が議員になると、こんなにも有利になるとは予想外だった。でも、よくよく考えてみれば政治家ほど弱みがある連中はいないだろうから、当然の話だ。


賛成派の先陣が精鋭揃いの甲田さんの隊ということもあって、反対派の先陣は聡さんが担うことになった。

優子さんと高科さんと吾郎さんは、開催当日の交通整理のため、棒倒しに参加することができなかった。

タクシードライバーの石橋さんも、どうしても休みを取ることができず、周りに迷惑をかけるわけにもいかないので、棒倒しは不参加となった。

NHKのメンバーからは、鈴木さんと麻美さんが参加することになったが、どの隊に入ったのか僕には知らされなかった。


そして僕は、自軍の棒の先端で待機し、上がって来る敵を蹴り落とす“サル”と呼ばれる極めて重要なポジションを任されてしまった。

ヘッドキャップを着用するから、参加者や観戦者に僕の正体がバレることはないだろうが、日本中が注目している一戦でこんな大役を務めなければいけないなんてプレッシャーで窒息しそうだ。


「お前がかつ丼を食べられなくなったことを優子に話すぞ」

と聡さんに脅され、仕方なく引き受けた。

そう、僕はかつ日和に通い過ぎて、かつ丼が苦手になってしまったのだ。食べられないことはないが、我慢して食べれば食べるほど苦手意識が強くなっていた。

今では、かつ日和に行っても優子さんがいない時は、ソースかつ丼しか食べない。サクサクのカツにかかった鈴木さん特製のピリ辛ソースがたまらなくおいしい。きっとこの件の情報源は、鈴木さんに違いない。


2017年2月28日-


棒倒し合戦前日。

聡さんが後援会との打ち合わせに出かけたこともあり、僕は千里ちゃんのマンションに遊びに来ていた。

独りでプレッシャーと闘うより、4人でババ抜きをしながら、楓ちゃんとケンカでもしていたほうが気が紛れる。


先日行われたじゃんけんの視聴率は72.8%を記録し、日本中の国民がこの一戦に注目していることを表していた。

また、参加者が走ってケガをしないように、会場付近では大勢のボランティアによって大規模な清掃活動が行われ、ゴミ一つ落ちていない街になっていた。


明日は一体どれくらいの人たちが観戦するのだろうか?ダメだ、考えだすとお腹が痛くなってくる。

「本当に翔太なんかがサルで大丈夫なのか?」

「そうだ!楓ちゃんは目立つのが好きだろう。変わってあげようか?」

「ヤーダネ!楓はチサネエとやることがあるの!」

「翔太さんなら大丈夫よ!」

と言って、千里ちゃんがほっぺたにキスをしてくれる。

千里ちゃんは裸婦ではなかったのだから、年齢的にひっかかる部分はあるが、もう負い目を感じずに好きになってもいいのだ。でも、僕はやっぱり、できるだけ優子さんの近くで死にたいと思っていた。


テレビのニュースでは、都内のあちらこちらで前夜祭が行われ、危険人物罪の賛成派対反対派のケンカが勃発し、200人以上が逮捕されたことが報じられていた。

「聡が変なこと言い出したおかげで大変だわ!」

と帰宅した優子さんはひどく苛立っていた。

「あら、正春さんはここにいたの?」

「それにしても馴染みすぎじゃないですか…」

正春さんは僕らに交じってババ抜きを楽しんでいた。

「最初はびっくりしたけど、正春兄さんにまた会えるなんて夢みたい」

「楓はもう大人だから幽霊なんか怖くないもん」

と千里ちゃんも楓ちゃんも、正春さんに対して抵抗がない。


「ああ、また負けた…」

「翔太弱すぎー」

「だって翔太さん、ジョーカーを持っているとすぐにわかるんだもん」

「明日も負けそうな気がしてきた…」

「たくさんの幽霊を応援に連れてこようか?」

「いいですよ!か、勘弁してください」

「これは幽霊ジョークが過ぎたかな。はっはっはっ」

気のせいかもしれないか、正春さんと聡さんは似ている気がする。正義感が強いところとか、ジョークが死ぬほどつまらないところとかそっくりだ。

僕は少しだけ一人になりたくなり、トイレに行くと奇跡が起きた。裸になっている優子さんがいたのだ。


間違って洗面室のドアを開けてしまっていた。

「…明日の気合入った?」

僕の膨らんだ股間を見て、優子さんがそう言う。

「は、はい。十分過ぎるほど」

「負けちゃだめよ」

そう言って、浴室に入って行く。もういつ死んだっていい。思い残すことは何一つない。

人生最高の思い出がたった今できた。明日はもう当たって砕けろだ!

「キャー!翔太がユウネエのお風呂を除いてるー!」

僕が恐る恐る振り返ると、口に手を当ててわざとらしく驚いている楓ちゃんと、眉間にしわを寄せる正春さんと、指をポキポキならしている千里ちゃんがいた。

「いや、トイレと間違って…」

3人の視線が僕の股間に集まる。


「翔太さん…私がいながら…」

千里ちゃんの回し蹴りが炸裂する。

「おお、見事な回し蹴りだ」

と正春さんが褒めると、

「今度のドラマで、楓ちゃんと空手家の姉妹役を演じるなったからたくさん練習したの!」

「うん、楓も練習したよ!ほら!」

うずくまっている僕の顔に、今度は楓ちゃんが正拳突きを繰り出す。

「おおー、楓ちゃんもすごいねー」

「わーい!」

何度でも蹴るがいい。何度でも殴るがいい。それで気が済むのなら…。僕はさっき人生最高の光景を見たんだ。


「翔太殴られたのに笑ってるー、気持ち悪ーい!」

「お姉ちゃんの裸を思い出しているんでしょ!」

「ち、違うよ!」

必死に否定しようとするが、どうしてもニヤついてしまう。

「このお目目が悪いのね…」

そう言うと千里ちゃんがハンドソープを手に取り、僕の目にこすりつける。こんなこと良い子の皆は絶対に真似しちゃいけない!

「痛っ、痛いよー!」

僕はたまらず顔を洗おうとするが、楓ちゃんが邪魔をする。

「変態の翔太に触っちゃったから、手を洗おうっと…」

あまりの痛さに耐えられず、僕は浴室のドアを開ける。

「あっ!?」

3人の驚きの声が聞こえたが、それどころではない僕はシャワーに近づいて目を洗う。

「あー、痛かったー…」

振り返ると、石けんの泡で体を包んだ優子さんがいた。鬼の形相で…。

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