第28話 一礼

2017年2月13日-


私は、有休届けを提出し、沖縄へ飛んだ。


沖縄中部にある読谷村の野球場で、危険人物罪賛成派の連中が棒倒しの訓練をしていた。そして、その訓練を指揮していたのが、甲田さんだった。

日々の訓練で鍛えられた屈強な男たちの棒倒しの迫力は凄まじかった。甲田さんの背後には訓練の模様を撮影しているテレビクルーもいた。


政府が公式に開催日を3月1日と発表し、勝負の結果に法的効力がないとはいえ、聡が言い出した棒倒しに、国民の関心は日増しに高まっていたのだ。

甲田さんは、バックネット裏で見ていた私に気付き、ホームベース付近まで近づいてくる。

「ずいぶんと熱が入っていますね」

「先陣を任されることになってな」

「怖や、怖や」

「いい面構えになったな」

「いろいろありまして…」

「せっかく来たんだ、前哨戦でもするか?」

「望むところです」

中へ来い、と甲田さんが手招きする。


私は、警備員の間を通って、入口で一礼すると球場内に入る。習慣とは抜けないものだ。

「投げてみろ」

甲田さんは私にボールを投げると、バットを持ちバッターボックスに入る。

「何か賭けませんか?」

「そうだな…かつ日和のかつ丼でどうだ?」

「いいですよ。公務執行妨害及び銃刀法違反の罪で私が甲田さんを逮捕できるときがきたら、取調室で食べさせてあげます」

「はっはっはっ、一端の口を利くようになったな。それでこそデカだ!」

「それでは、参ります」

私は、大きく振りかぶり、甲田さんの顔面目がけて思いきりボールを投じる。甲田さんは、冷静にかわす。

「俺が、マサムネとでも?」

「3割、そうかなと…」

甲田さんがマサムネなら、顔面に来たボールを大根切りで打ち返すかと思ったのだが、避けてくれてよかった。


「では、真剣勝負をはじめましょう」

「何言ってんだ。今のでワンボールだ」

「案外、ケチですね」

「勝負は勝負だ」

確かにここで打たれてしまうと、気分よく棒倒しの訓練を続けられてしまう。私は、思いきり腕を振り、チェンジアップを投げる。

タイミングを外された甲田さんのバットは空を切る。

「あの坊やは元気か?」

「気になりますか?」

「ああ、ファン1号だからな」

「だったら、今の高杉くんを見るとがっかりしますよ」

「そうか…」

一瞬、甲田さんが笑ったように見えた。


私は、思いきり腕を振り、チェンジアップを投げる。タイミングを外された甲田さんのバットはまた空を切る。

「追い込みましたよ」

「逆だろうが…」

そう、カウントとは裏腹に追い込まれたのは私のほうだ。もう一度、変化球を投げれば確実に三振をとれる。だけど、それでは私の負けになる。甲田さんはストレートしか待っていない。ストレート勝負を挑まれて、逃げるわけにはいかない。


私はマウンドから降り、ベンチに置かれていたグローブを取る。うん、やっぱりこのほうがしっくりくる。私は、グローブにボールを投げながら、マウンドに戻る。

「それじゃ、真剣勝負をはじめるか?」

「まったくご冗談を。ワンボール、ツーストライクからです」

「相変わらず頭が固いな」

「勝負は勝負です。いきますよ!」

「さあ、来い!」

あなたの背中を追いかけていました。理想のデカでした。だから、他の誰よりもあなたに勝ちたいんです。

キャッチャーミットを持った正春さんが現れ、ど真ん中に構えてくれる。ますますアドレナリンが高まる。

私は、思いきり腕を振り、渾身の一球を投じた。しまった!ボールは鋭くスライドし、ストレートを待っていた甲田さんのバットが空を切る。つい昔のくせで、決め球のスライダーを投げてしまった。

「こら松永!卑怯だぞ!」

三振した甲田さんが声を荒げ、本気で怒っている。

「すみません。本気になり過ぎてしまいました」

私は深く頭を下げる。

「ちっ、負けたよ」

甲田さんはマウンドへ来ると、

「お前のそういうところが好きだったよ」

と言って、棒倒しの訓練に戻って行く。

ようやく、ようやく刑事として一人前になれた気がした。

「ありがとうございました」

私はもう一度、頭を下げると熱気で満ちたグラウンドを後にした。


暗い雰囲気の東京と違って、沖縄の人たちは明るかった。立ち寄った居酒屋の女将さんは、

「生きていればなんくるないさー」

と陽気に笑っていた。

国会議事堂爆破事件の影響で飛行機を利用する人が減り、沖縄に発着する便数も半分になって、経営が大変なはずなのに悲しい顔一つ見せなかった。


せっかくここまで来たので、私は宮古島、石垣島、西表島、久米島と沖縄の離島を周ることにした。

2泊分の荷物しかもっていなかったので、沖縄の方言が書かれたTシャツやアロハシャツを購入した。

まだ2月だけど、沖縄には暖かい日差しが降り注いでいた。


千里が着たらきっとすごく似合うんだろうな。そんなこと考えながらお土産を買ったり、おいしいご飯を食べながらオリオンビールを飲んだり、夜は楽しく泡盛を飲み交わしたりして、私は人を疑わないで済む時間を満喫した。

どの島に行っても、のどかな時間が流れていて、東京で見ることはできないたくさんの笑顔と出会えた。話を聞いた島々の警官たちは口を揃えて、

「危険人物罪なんて必要ないさー。島では凶悪犯罪なんて起きないからねー」

と言っていた。

大都会東京は、日本人が作ったものの中で、最もひどい大失敗作なのかもしれない。

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