第26話 飛べ

「しまった、車に乗っていたのね」

「優子さん、高科さん、口を押さえていてください」

僕はそう言うと、煙幕弾を投げ、部屋中に煙が広がる。窓に向かって体当たりし、窓を割ってベランダに出ると、僕はそのままの勢いで、飛び降りる。


異変に気付いたダイアナが降車した瞬間、僕は赤いアウディの屋根に着地する。

「そんな、あんたにこんなことが…」

僕はダイアナの背後に周り、すぐさま手錠をかける。


「あなたは知らなかったかもしれませんが、ななしの組織は訓練カードも売っていたんですよ」

「殺しなよ。あんたみたいな情けない殺人鬼に手錠をかけられるなんて、最悪だわ」

「パソコンを借りますよ」

僕はダイアナのパソコンを操作して、ダイアナの部屋のカギを開ける。

「それも習ったっていうの」

「楽しかったですよ。あなたも武器ばかり買わずに、英会話とかピアノとか習えばよかったのに」

「はあ、そんなの何の役に立つのさ」

「さあ、行きましょう」

僕が、ダイアナを連れていくと、マンションから優子さんと高科さんが出てくる。


「なんてことするの!」

優子さんが僕をビンタする。

「仲間を、守りたかったので…なんちゃって…」

「助かりました」

高科さんが僕をからかうように敬礼する。

「やめてくださいよ。早く、行きましょう」

「どこに連れて行く気がだよ。さっさと殺せよ」

優子さんは、ダイアナを無視して、運転席に乗り込む。そして、高科さんが助手席に乗り、僕はダイアナと後部座席に乗る。


「高科さん、手配してくれた?」

「はい、間に合いそうです」

優子さんは車を発進させ、しばらく走ると首都高に入る。

「東京湾にでも沈める気か?古いやり方だけど好きにしなよ。死の清算者を追っているあんたら殺ったら、ななしの組織のメンバーになれるはずだったのにこの様だ。どうせ、組織の奴らに消される」

「こんなこと不本意だけど、あなたが殺されるのを見過ごすわけにはいかないわ。ななしの組織とケリがついたら、捕まえにいくから、今は海外に飛びなさい」

「そんな甘ちゃんで、ななしの組織に本気で勝てると思っているのか?」

「甘ちゃんはあなたたちよりも、ずっと厳しい道を歩いているから強いわよ」

優子さんはバックミラー越しに、ダイアナに強い視線を送る。


ダイアナを空港へ連れて行くと、タクシー運転手の石橋さんがやって来る。

「ちょっと、遅くなりました」

と偽造パスポートをダイアナに渡す。

「石橋さんがNHKの5人目のメンバーだったのね」

優子さんも僕と同じく、やられたという顔をしている。

「必ず捕まえに行くからね。清水望さん」

「その名前は嫌いだ」

そう言うと、ダイアナは搭乗ゲートに向かう。

「優子さん、本当にこれでいいんですか?」

「今、逮捕しても無罪になるだけだから」

すると、ダイアナが振り返り、

「一つだけ教えてあげるわ。兄弟げんかもほどほどにね」

と言い残して搭乗ゲートに入って行く。兄弟げんか?一体何のことだろう?


高科さんは石橋さんが自宅まで送ることになり、帰りは優子さんと二人きりになった。

「聡から聞いたでしょ。正春さんのこと…」

「少しだけですが…」

「どうして詳しく聞こうとしなかったの?」

「優子さんが話してくれるのを待とうと思いまして…」

「優しいのね」

優子さんがそう言って僕の目を見るので、思わず視線を外す。運転している優子さんは、どんな女優さんよりも素敵だ。


「正春さんは、高い報酬を要求する高杉くんのお父さんとは違って、ろくに報酬を受け取らず困っている人の弁護をしていたわ」

僕の父とは違うというところは、すでに聡さんに言われていたが、優子さんに言われると心苦しくなる。

「それで、コンビニ強盗で捕まった青年の弁護を引き受けたときに…正春さんは…。その青年の母親が訪ねて来て、正春さんに裁判に負けるようにお願いしてきたの…」

「…息子さんに暴力でも?」

「そう。息子に殴られないように、できるだけ刑務所に入っていてほしいから、裁判ではわざと負けてくださいと泣きながら、懇願してたわ…」

証拠不十分で釈放された僕は白ではなく、グレーだから、僕の父と母も同じ心境だったかもしれない。


「結果、その青年の判決は執行猶予がついた…正春さんは青年の更生を信じて、いつも通り弁護したの…それから間もなく、顔にあざができた青年のお母さんが、事務所で正春さんを包丁で刺した…」

「えっ?自殺じゃ?」

「正春さんの手伝いをしていた私もその場にいたの…青年のお母さんは『あなたのせいよ』と言って逃げて行ったわ」

「そんな…」

「正春さんは出血量を見て死を悟ったのか、私に紙とペンをとるように指示すると、『この社会に絶望した』と短い遺書を書いた。そして、包丁についた指紋をふき取り、もう一度、自分でお腹を刺したの…」

「それが自殺の真相…」

「遺書に血がついて他部分は私がやぶって捨てたわ…。もしかしたら、『この社会に絶望した』というのは正春さんの本心だったのかもしれない」

助けるとは何だろう。信じるとは何だろう。多分、裏切られてもいいという覚悟だろう。

「いえ、それは正春さんの本心なんかじゃありません」

「ありがとう。そう言ってもらえると救われるわ」

「優子さん…」

「何?」

「明日も…」

「明日も?」

「下着の色を教えてくれますか?」

急ブレーキで車が止まる…。


帰宅した僕の頬が真っ赤になっているのを見た聡さんは、

「さては、優子に何かしたな?」

と反対側の頬を殴った。今日一日で、一体何回叩かれただろう?長い、長い一日だった。

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