第16話 裸婦
無茶苦茶なお願いをきいてくれた石橋さんに、かつ日和でかつ丼をごちそうすることにした。
色白の若い女性が新しく店員として働いていた。
「出前言ってきまーす」
他の飲食店よりはましだろうが、かつ日和も以前より客足が減っていたから、出前を始めたことにほっとした。
「おいしいです。なんだか心が温かくなる味ですね」
「ふふふっ、ありがとう」
私はすっかりかつ日和の宣伝隊長になっている。和やかなムードをもうしばらく味わいたかったのに、テレビのニュースがそれを打ち消す。
また野党の議員がスキャンダルで辞職に追い込まれたことを報じていた。
不倫、覚せい剤、賄賂、さまざまな理由で野党の議員が辞職していく中、国守党の議員は、誰一人としてスキャンダルを起こしていなかった。
国守党が野党の議員に罠を仕掛けているからだろうが、もしかしたら危険人物罪のテストのようにも思える。現に無実を主張する議員もいる。
食事を終えると、石橋さんに自宅まで送ってもらう。運転できるようになるまでは、石橋さんに頼ることになりそうだ。
それから2週間、私は死の清算に関与しているのではないかと、以前から気になっていた人物の行動を見張ることにした。
石橋さんはお正月でも嫌な顔せずに尾行に協力してくれた。しかも、相手に気づかれないように、タクシーの車種を日によって変えてくれていた。結構な推理オタクなのかもしれない。
「特に変わった様子はありませんね」
石橋さんの言う通り、事件を起こしているような素振りは見られなかった。
そうしている間に、医者も驚く早さで骨折は治り、鬱陶しかったギブスを外すことができた。
その日も、千里は仕事で出かけていた。私は、この現実からずっと目をそむけていた。
千里の部屋に入ると、ファッション雑誌が並ぶ本棚に不釣り合いな、犯罪者のエッセイが並んでいて、ところどころに付箋が貼られていた。
もし、そうだったらどうしよう。私に逮捕することができるだろうか…。いや、そんなことできるはずがない。
私は、風呂場で悪人を殺している裸婦の正体が、千里ではないかと疑っていた。急に犯罪者の心理に興味を持ち始め、高杉くんがどんな人か執拗に尋ねてきた。それに、千里が裸でせまれば、どんな男だって逆らえないだろう。
千里が裸婦だとして、殺人免許証を持っているだろうか。それなら、無罪に…。でも、人を殺したことに変わりはない。何度も千里に尋ねようとしたが、あの笑顔が消えてしまうと思うと、私は言葉をのんでしまっていた。高杉くんも、私と同じ心境なのかもしれない…。
この日、千里は仕事から帰ってくると、すぐにシャワーを浴びた。
「きゃっ」
私も千里と一緒にお風呂に入ることにした。
「どうしたのお姉ちゃん。びっくりするじゃない」
よかった、血を洗い流しているわけではなかった。
「ずいぶん、胸おおきくなったじゃない」
「まだまだ、お姉ちゃんにはかないませんよーだ」
無邪気に笑う、この笑顔を誰が奪えるだろう。
「ねえ、お姉ちゃんもう少し、お休みできるんでしょ」
「まあね」
「それなら、一緒に遊園地に行こう。ね、いいでしょ」
こんなにかわいくお願いされたら、頷くしかない。
「わーい!」
千里は私の胸を揉んで喜びを表現する。
千里といると本当に笑いが絶えない。太陽の子だ。この子を裸婦にしていたら、私は高杉くんを絶対に許さない。
2017年1月8日ー
私は、久しぶりに聡と暮らしていた部屋へ行った。
「戻ってきたわけじゃないから」
とりあえず聡に先制パンチをかます。高杉くんは顔や手にばんそうこうを貼っていた。
「自転車で転んだんだとよ。ダセえだろこいつ」
高杉くんは聡を相手にせず、
「千里ちゃんの件ですか?」
と核心をついてくる。聡とは違い、相変わらず察しがいい。
「僕もそろそろはっきりさせたほうがいいと思っていました」
「千里ちゃんがどうかしたのか?」
「あなたは黙っていて。真面目な話なの」
聡は、つまらなそうにダイニングチェアに座り、私は高杉くんと向かい合ってソファに座る。
「やっぱり気付いていたのね」
「ええ、はじめて恵比寿のマンションに伺ったとき、優子さんの部屋には犯罪者が書いたエッセイが置いてありました。そして、僕が犯罪者の心理に興味がありますか?と尋ねると、優子さんはまったく興味がないと答えました」
「今は、違うけど…」
「そして、ちょうど千里ちゃんがお風呂から出るタイミングで、僕を部屋から連れ出し、バスタオル一枚の危険なほど美しい千里ちゃんに会わせた」
「特別サービスだからね」
「その時、わかりました。優子さんの部屋にあった犯罪者のエッセイは、きっと千里ちゃんが読んでいる本と同じものを買って来たものだと。そして、優子さんは千里ちゃんが裸婦なのではないかと心配しているのだと。僕を自宅に招待した本当の目的は、千里ちゃんが裸婦かどうか見極めてもらうため…」
「大正解だわ」
「たまたまだろ」
ちゃかす聡を、私は目で殺す。
「それで…」
「僕は、千里ちゃんが裸婦の可能性が高いと思います」
「……」
「そんなバカな、千里ちゃんが裸婦だなんて…」
「僕は、カルボナーラとハンバーグが大好物で、結婚するなら『お帰りなさい!』って抱きついてくる女の子がいいと、以前にツイッターでつぶやいたことがありました」
「あっ」
そうだ、高杉くんと初めて会ったとき、千里は私に『お帰りなさい』と言って抱きついてきた。普段はそんなことしないのに。それに、作っていた料理はカルボナーラだった。
「千里は、私が高杉くんを連れてくることを知っていた?」
「たぶん、優子さんの車に盗聴器が仕掛けられているはずです。僕のことを調べていたのは、死の清算を感染させた相手だから…痛っ」
私がビンタする前に、聡が高杉くんを殴った。
「それが本当だったら、俺はお前を許せないぞ…」
高杉くんも、自分のしたことをよくわかっているのだろう。
千里が裸婦だと信じたくなかったから、今日まで私に黙っていたのだ。うなだれて、言い訳一つしないほど、苦しんでいる。拳をぷるぷる震わせながら…。一体誰がこんなに心優しい青年を連続殺人犯にしてしまったのだろうか。
「それで、優子が見張っている間に、裸婦による死の清算はあったのか?」
「うん、一件」
「それなら、千里ちゃんは裸婦じゃないんだ!」
高杉くんが涙を拭ってすがるように私を見つめる。
「でも、スタジオの中までは見張っていないから、千里に犯行が不可能とは言い切れないの…」
高杉くんは再びうなだれる。
「あなたたちは、何か進展ないの?」
「ああ、翔太が夜中に突然、俺を起こして、同じ型式の赤いアウディを前にとごかで見ていたのを思い出したって言うんだ」
「赤いアウディってダイアナの?」
「そう。それで、翔太が出歩いていた場所をあたったんだが、見つからなくて」
夜眠れないほど、自分のしたことを考えて、高杉くんなりに罪を償おうとしているんだわ。
私は遊園地のチケットを1枚、高杉くんに渡す。
「千里が、私と高杉くんと一緒に遊園地に行きたいんですって。急だけど、明後日の予定空けて置いてね
「はい…」
高杉くんは、泣いているところを見られたくないからか、私を見ることができないからか、目を合わさずチケットを受け取る。
「ちょっと待て、俺の分は?」
「ご指名は高杉くんだけよ」
「えーー!なんで、俺だけ仲間外れなんだよ!」
「偶数のほうがアトラクションに乗るときに困らないからって」
「偶数って、優子と千里ちゃんと翔太と、あと誰だよ」
「それは、私も聞いてないわ。それじゃ、高杉くん、明日よろしくね」
「はい…」
「お前、元気ない振りして、今絶対に喜んでいるだろ。優子と遊園地に行けて」
「そんなことないですよ…」
「ちょっと、顔見せろ」
「や、やめてくださいよ」
「見せろって」
「絶対に嫌です」
「あっ、それから水着も持ってきてね。遊園地にある屋内プールにも行きたいんですって!」
「お前、今完全にニヤけたな!」
「しつこいですよ。笑ってません」
「人の嫁の水着姿想像してニヤけやがって。もう一回殴るぞ!」
「やめてください。ケガして遊園地行けなくなったらどうするんですか?」
なるほど、聡がいると高杉くんをとられるから千里は誘わなかったのか。それに聡が来ると騒がしくて目立ってしまうし、賢明な判断だ。
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