第15話 正義
2016年12月25日ー
私は朝早くに起きて、朝食をたっぷりとった。冷凍食品がご馳走に思える。
なまった体をほぐすように軽くジョギングをすると、一度帰宅して、千里を起こさないように仕度を整える。
千里の寝顔は、姉の私でさえハッとするほど美しい。罪なほど美しすぎる…。
さすがに片手で運転はできないので、私は家を出ると、タクシーをつかまえ、足立西警察署へ向かう。
そして、足立西警察署近くの公園で降り、茂みに身を潜める。私は奴が出署する前にこの公園で一服していくことを知っていた。
「聡くんと高杉くんも呼んだほうがよかったんじゃないかい?」
正春さんが屋外で出てくるなんて珍しい。私が緊張しているからだろうか。
「あの二人がいたら邪魔なだけよ」
「君を突き落とした相手を見たら、彼らが怒りのあまり何をしでかすかわからない。だから危険を承知で一人できたんだろ」
「そんなことないわ。黙っててよ」
すると、私を階段から突き落とした交通課の大島航平がやってきてタバコを吸い始める。私が背後から迫ろうとすると、思ってもいないことが起きたので、慌てて茂みにもどる。
甲田さんだ。一瞬の内に、大島の背後に近づくと、甲田さんは拳銃を突きつけ、無抵抗の大島を車に乗せて連れ去っていく。
私が慌てて公園を出ると、乗ってきたタクシーがまだ停まっていた。
私はタクシーに乗り込み、
「あの車を追って!」
と指示する。
タクシーの運転手は、
「うわっ、ダブルラッキー!」
と喜び、グイッとアクセルを踏む。
「もしかしたら、帰りも乗車してくれるかなと思って、待っていたんですよ。ほら、国会議事堂が爆破されてから、外出する人が減ったでしょ。もう商売あがったりですよ…でも今日はついてるなー」
確かにこの運転手の石橋さんが言うように、潰れる映画館が続出し、ネットの動画配信利用者が増えているとニュースでやっていた。
「それに、タクシードライバーになってからは毎日、『あの車を追って』と言ってくれるお客さんを待っていたんですよ」
実家のお母さんが、ゴルフのスコアで100を切ったことまで教えてくれた石橋さんは、お喋りなのが難点だが、ドライビングの腕はピカイチだった。
しかし、甲田さんが尾行に気づかないわけもなく、ショッピングモールの駐車場に入られ、そこで見失ってしまった。
私以上に落胆していたのは石橋さんだった。
「落ち込まないでください。相手がプロなので」
「こっちだってプロです」
石橋さんはそう言うと、無線機を手に取り、
「無銭乗車のお客さんが、シルバーのクラウンアスリートに乗って逃走中、ナンバーは品川…」
ナンバーを覚えてくれていたなんて…。私が覚えていたナンバーと一致する。
「逃走車を目撃したら、至急連絡を…」
すると、無線で連絡が入る。
「只今、逃走車が首都高に入った模様」
「こちら、逃走車を発見。現在、羽田空港へ向かって走行中」
と次々に情報が入ってくる。
この素早さを警視庁も学ばなければ…。
「しっかり掴まっててください。羽田に向かいますよ」
「寝むくなったからちょっと目をつぶるけど、スピード違反はダメよ」
「了解です。目をつぶっていてください」
石橋さんは、目をキラッとさせ、タクシーを発進させる。渋滞がウソのように解消したガラガラの首都高を走り羽田空港に着く。
国際線の駐車場には、高級車が並んでいた。富裕層の多くが国外に脱出したのだ。そんな中、甲田さんが乗り捨てたシルバーのクラウンが見つかった。
「一緒に行きましょうか?」
危険を察知した石橋さんが心配してくれる。
「ありがとう。でも、大丈夫だから。ここで待っていてください」
私はタクシーを降り、国際線ターミナルへ向かう。
駐車場とは打って変わって、ターミナルは閑散としていた。富裕層のとんずらが済んだようだ。愛国心のかけらもない連中に富が集まっているとは…。
そして、大島の姿はすでになく、引き返してくる甲田さんを見つける。
私は拳銃を構え、
「甲田さん、動かないでください!」
と警告する。
甲田さんは少し驚いた顔をして、歩みを止める。
「よくここがわかったな。さすがだな、松永。…なに泣いてんだ」
悔しさか、再会の嬉しさか、涙が流れる。
「…ななしの組織と繋がっているんですか?」
「ああ、そうだ。今、大島を逃がしてやったことで、正式なメンバーになれるさ。その拳銃をどこで?」
甲田さんは、私の拳銃にあるななしの組織のマークを指さす。
「高杉くんにお願いました」
「おいおい、武器の転売は減点だぞ」
「どうして、ななしの組織のメンバーに?」
「松永よ、お前もわかっているだろ。ななしの組織の主張は正しい。俺たちは、事件が起きてからしか犯人を逮捕できなかった。そのうえ、未だに逮捕できていない犯罪者たちも腐るほどいる」
「……」
「だから、犯罪を未然に防ぐ危険人物罪が必要なんだ。これ以上、罪なき人々の死を招かないためにな!」
「…でも、それでは罪なき人が誤認逮捕されてしまいます」
「大勢の人の命を守るためだ」
「……」
「松永よ、迷いがある人間は、誰も助けられないぞ」
「そんなこと…」
「俺も国会議事堂の爆破事件があるまで、ななしの組織を追っていたが、首謀者を突き止めたところでどうしていいかまるでわからなかった。だから、爆破事件を止められなかった。そして、ななしの組織がこの国から犯罪をなくそうとする本気度を目の当たりにした。確固たる正義の中で行動しているななしの組織は強いぞ」
甲田さんが、再び私に向かって歩き出す。
「動かないで!撃ちますよ!」
「無理するな。お前が俺を撃てるはずが…」
パンッ、銃声がターミナルに響く。
く、空砲?
「まったく、ヒヤッとさせやがって。本当に撃ちやがった。ちっとは、成長したみたいだな」
甲田さんが歩みを止めないので、再び引き金を引くが空砲が続く。甲田さんが、私の前で立ち止まり、
「あの坊やが、お前を人殺しにすると思うか?お前もそれに気付いていたんじゃないのか?」
「……」
「出直してこい」
「待って!」
私が追いかけようとすると、甲田さんが拳銃を構える。
「松永、俺は撃つぞ。これもあるしな」
甲田さんは、殺人免許証を見せる。一歩でも近づいたら、甲田さんに撃たれる気がした。それがななしの組織の正義のためだから。
去っていく甲田さんを、私は追いかけることができなかった。空砲でほっとしていた。私は膝から崩れ落ち、泣きじゃくった。
私の正義が消えている。信じられる正義が見当たらない…。甲田さんの行動は正しいのかもしれない。
甲田さんを、北野を、ななしの組織を、否定しきれない自分がいる。
「ダメージがでかいカウンターパンチだったね。大丈夫かい」
正春さんが現れ、涙を拭いてくれる。
「私は、正春さんも守れなかった…」
「優子が責任を感じることはない。それは、僕の問題だから…」
「もし、危険人物罪で、犯罪で悲しむ人が減るなら…」
「千人が助かるために誰か一人を生贄に出すより、たった一人を助けるために千人が立ち向かっていくほうがよっぽど人間らしいと思うがね」
「正春さん…」
「できるさ。優子なら」
「……」
「ほら、仲間が来たよ」
「優子さーん!」
「優子!」
おバカコンビの声が聴こえてくる。私は、慌てて涙をぬぐう。そして、高杉くんと聡がやってくる。
「銃声がしましたけど…」
「優子、ケガはないか?」
「情けないわね、あなたたちに心配されるなんて。どうして、ここがわかったの?」
「聡さんに、その拳銃に発信器をつけてもらったんです」
「まあ、探偵だからそれくらいはな」
「でも、この人、霊長類最強にバカだから、盗聴器をつけるのを忘れていたんですよ。ちゃんとつけていたら、優子さんを突き落とした奴を捕まえられたのに」
「そ、それはあれだよ。優子のプライベートまで連続殺人犯のお前に聞かれないように、わ、わざとだよ」
「絶対ウソだ!バカだから忘れたんでしょ!」
「違うって言っているだろ!しつこいぞ!」
「どうして、私を突き落とした奴を追いかけているとわかったの?」
「優子のことだから、一人で行くと思ったんだ」
「それぐらいわかりますよ。立てますか?」
高杉くんが私に手を差し出す。すると、聡も慌てて手を差し出す。私は、自力で立ち上がり、睨みあっているおバカコンビに尋ねる。
「もし、ななしの組織の連中と遭遇したどうする?」
「そんなの捕まえるに決まっています!」
「そんなの捕まえるに決まってるだろ!」
と二人は同時に答える。
「真似しないでくださいよ!バカがうつるでしょ!」
「なんだと!俺こそ人殺しがうつるだろ!」
「はあー、人殺しがうつるなんて聞いたこと…」
「実際に、爆男たちに感染してるだろうが!」
「……」
「はっはっは!俺の勝ちだな」
「そこ、いじるなんて、ズルイですよ。一番気にしてるのに…」
「そうね、今のは聡の反則負けね」
「やったー!僕の勝ちですよーだ!」
「えー、なんでだよ、俺の勝ちだろ」
「優子さんはやっぱり優しいなー」
「じゃ、車を待たせてあるから、私は帰るわね」
「車まで送って行くよ、また誰に狙われるかわからないからな」
「あっ、そうやって今の負けをチャラにしようとしてるでしょ。僕も送って行きます」
駐車場では石橋さんが車から降りて待っていてくれた。
「お客さん、大丈夫でしたか?」
「ええ、心配してくれてありがとう」
「よかったー。生きた心地がしませんでした」
おバカコンビが石橋さんを睨んでいる。
「この人たちは?」
「ごめんなさいね。気にしないで、車を出してください。引いてもかまいませんから」
「わ、わかりました」
高級車が並ぶ国際線の駐車場を出ていくと、離陸して上昇していく飛行機が見える。大島が乗っている飛行機なら、爆破されたらいいのにと思う自分がいる。国際線の駐車場だって、木っ端微塵に吹き飛んでしまえばいい。
そういう自分を抱えながら、正春さんが言うように人間らしく生きていくしかない。
甲田さん、その時がきたら必ずあなたを逮捕します。人の優しさを信じる、それが私の正義だから。
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