第9話 視線
僕はかつ日和でかつ丼をしっかり食べてから、千里ちゃんの住むマンションに向かった。
玄関に入った途端、
「寂しかったよー」
と千里ちゃんが抱きついてくる。
「どうして遊びに来てくれなかったの?」
やっぱり千里ちゃんもかわいい。好きになってしまいそうで怖くなる。二人きりで一晩過ごすことが不安だ。
「今日も、お料理たっぷり作ってあるからね。さあ、早く入って、入って」
千里ちゃんに腕を引っ張られ、リビングに入ると、CMでよく見る女の子がソファに座っていた。
「この子は子役の上条楓ちゃん。翔太さんも知っているでしょ、あのランドセルのCM。同じ事務所で、今日はお泊まりしに来てくれたの」
そりゃそうだ。優子さんが大切な妹の千里ちゃんと殺人鬼を二人きりにさせるわけがない。
「今晩は」
僕から挨拶をすると、楓ちゃんはスマホをいじっていた手を休め、
「ふーん、チサネエが好きな人っていうから、どんなイケメンかと思ったら…。ニュースで見るより、フツーね」
と僕を冷たい目で見る。
「ご両親は、よく外泊を許してくれたね」
「パパもママも楓には逆らえないもん。だって、楓のほうが何倍も稼いでいるし、パパには外車を、ママにはブランド物のバッグを何個も買ってあげたんだから。クリスマスプレゼントにね」
この権力を振りかざす感じが、僕の父と似ていて、ムカッとした。
「何よ、楓を殺すの?」
「ちょっと、楓ちゃん、翔太さんは無罪だったんだから。翔太さんも許してあげて。子役ってストレスが大変なのよ」
「楓はもう大人よ。今度の誕生日で10代になるんだから」
虐待で殺される子もいれば、こんなワガママな子がすくすく育っていくのか。
「うおー!」
と僕が叫ぶと、楓ちゃんは驚いてスマホを落とした。
「な、なによ…」
「ごめん、ごめん。ちょっと発作が」
「翔太さん、こんな小さな子をからかっちゃだめよ」
「そうよ、子ども相手に大人げないわね」
さっき、自分はもう大人だと言っていたくせに。
「さあ、食事にしましょう。今日は、千里スペシャルハンバーグよ」
「千里ちゃん、僕はご飯食べてきたので大丈夫です」
「それなら、楓がたくさん食べる。ハンバーグ大好き!」
やっぱり、立派なお子ちゃまじゃないか。
千里ちゃんは、僕と楓ちゃんの分のハンバーグを運んでくる。
「千里ちゃん、僕の分はいいですよ…」
「大丈夫。千里のハンバーグは別腹だから」
「いただきまーす!」
楓ちゃんがガブッと一口食べる。
「本当にハンバーグ大好きなんだね。仕方ないな、僕のもあげるよ」
ハンバーグが入った皿を楓ちゃんの前に移動しようとすると、楓ちゃんがそれを止める。
「チサネエ、この酸っぱいのと苦いのは…」
ハンバーグが酸っぱくて、苦いのか?
「健康のために、隠し味にお酢とゴーヤを入れてみたの。翔太さんも早く食べて」
「チサネエ、ごめん。楓、ゴーヤアレルギーなの」
ウソつけ、ゴーヤアレルギーなんて聞いたことないぞ。
「そうなの!ごめんねー。どうしよう、他にはカップラーメンしか…」
「楓、ハンバーグは我慢するから、カップラーメンでいいよ」
「わかった。準備するわね。じゃ、翔太さんは楓ちゃんの分も召し上がって」
楓ちゃんが僕の前に食べかけのハンバーグを移動する。
千里ちゃんがお湯を沸かしに席を立つと、僕を見てニヤッと笑う。
さすがは天才子役、この難局を乗り切りやがった。
よし、僕も、
「ごめん。千里ちゃん、実は僕もアレル…」
「このハーンバーグ作るのに8時間もかかったんだ」
千里ちゃんが振り返って、僕をじっと見つめる。どうやったらハンバーグ作るのに8時間もかかるんだ…。もう、覚悟を決めるしかない。僕はハンバーグを口いっぱいに頬張る。確かに、酸っぱくて苦いし、その上に生臭い…。
「わー、やっぱり翔太さんの食べっぷりって素敵」
こうなったらゆっくり食べるより、一気に食べてしまったほうが楽だ。
水というパートナーを頼りになんとか完食する。
「あなた、すごいわね…」
思わぬところで、生意気な楓ちゃんに尊敬された。僕と楓ちゃんはもはや戦友だ。僕は得意げに、楓ちゃんに向かって親指を立てた。
それを見ていた千里ちゃんが、
「そんなに気に行ってくれたの!おかわり持って行くわね」
とまたハンバーグを持ってくる。
「でも、これは焼きすぎた失敗作なの。お酢とゴーヤも足りなくて入っていないし…」
すると、楓ちゃんがスッと手を上げる。
「チサネエ、そのハンバーグ、楓が食べる!」
「でも…」
「せっかくチサネエが作ってくれたものだもん。ゴーヤが入っていなければ大丈夫!」
楓ちゃんは、千里ちゃんからハンバーグを取り、小さめに切って一口食べる。
「…おいしい!」
「楓ちゃんは本当にやさしいんだから。千里が焼きすぎたハンバーグをこんなにおいしそうに食べてくれるなんて」
いや、違う。これはきっと、普通においしいハンバーグだ。
「楓ちゃん、僕にも一口くれないかな?」
「嫌よ!」
口直しに食べたかったが、楓ちゃんが僕をキッと睨む。さっきは戦友だと思ったが、このしたたかな人気子役を信用してはいけないようだ。
「それじゃ、千里は先にお風呂入ってくるね」
「ああ、待って、楓もチサネエと一緒に入る!」
千里ちゃんがバスタオル巻いている姿、かわいかったな。
「何、ニヤニヤしてるのよ、このロリコン野郎!覗いたら殺すからね!」
「そ、そんな趣味ないって!」
「えー、千里は翔太さんだったら覗かれても全然かまわないのになー。って言うか、一緒に入ってもいいのに」
「一緒にですか…」
「何、顔を赤くしてるのよ。今、エッチな想像してたでしょ!」
「違うって、僕が好きなのは…」
「わかっているわ。お姉ちゃんなんでしょ…」
珍しく千里ちゃんの言葉に力がない。
「何、何、三角関係?」
「お子ちゃまは黙ってろ!」
「楓はもう大人だって言っているでしょ」
「そう言って、本当は一人でお風呂入るのが怖いんだろ」
「そ、そんなことないもん…」
楓ちゃんが涙目になる。
「ご、ごめん」
冗談のつもりが、まさか図星だったとは。
「じゃ、寝るときも千里と一緒のベッドで寝ましょうね」
「うん!チサネエと一緒に寝る!」
楓ちゃんは嘘泣きを止め、急に元気になる。やれやれ、芝居が上手な子供はやっかいだ。もしも、僕と優子さんの間に子供ができても、子役にすることだけは絶対にやめよう。
千里ちゃんに優子さんのベッドを使っていいと言われたが、僕はソファを使わせてもらうことにした。
そして、朝まで一睡もすることはできなかった。
一度、千里ちゃんが水を飲みに部屋から出てきたが、僕が起きていたことに気づいていただろうか。
何となく視線を感じた。
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