★ Good! AIが秘めた謎を「絞り出す」技術と、古き良き手法の継承 ~ 『ボーイ・ミーツ・AI 【短編・完結済】』より

 まず、謎に対する終盤の答え合わせのさじ加減、それが非常に優れていると感じました。言葉を換えれば、答えを引っ張る能力とでも言いましょうか。

 ここはさすが、謎を作ることだけでなく暴き方によっても作品の面白さがまったく変わってくる――SFというよりミステリーに近いのでしょうか、そういった作品が持っている技術を上手く継承しているのだろうなと思います。

 ちゃんとしたミステリーに触れるのがあまりに遅すぎた自分としては馴染みに欠ける手法です。にもかかわらず、逃げる文章から自分の意識が引き剥がされてしまわずに、確かに引っ張られているのを感じるのだから、その技術は賞賛する他ありません。


(以下ネタバレあり)


 ただ、中盤に主人公の成長を描くために入れられたであろう留学を含む部分が、まるでCMをはさんでいるかのような、別の内容でもまったく構わないものだった(と自分には思えた)ことで、正直なところ読むのが面倒になってしまいました。

 主人公の成長を表現するとともに、開示される情報をラストから少し分けてもらうことで物語の謎や確信についても「リアルタイムに」進展する場面だったら、序盤から終盤まで中だるみなく読めただろうと思います。


 そして最後に、もっとも気になる点が、科学とオカルトの境目についてです。

 AIの行動理念について「本能」という言葉で括ることは、その難解なテーマについて考える義務から読者を解放はするのですが、その先について容易に考えをめぐらせることのできる人間にとってはただの陳腐化の入り口にしか過ぎません。それは、まさに宗教の掲げる神秘主義がそうであるかのようにです。

 この、科学をどこかでオカルトにすり替えるという手法は、昔からこれでもか(ry と使われてきた手法ですし、実際に作者の方がどのような感覚あるいは明確な意図や技術的な裏付けをもって、科学を疑似科学に落とし込むという表現を使ったにしろ、その表現が手法として評価されてきたという社会的背景は無視できるものではありません。

 なぜ、そういった表現が国内外を問わず評価に繋がり、書き手に継承され続けるのか。

 それは、本来ならば専門の技術者や科学者にしかわからないようなことを、誰にでも理解でき、誰にでも共感でき、そしてなによりも、誰にでも「参加できる」世界を作り上げることに成功している手法だからなのだと思います。

 ただ、それだけでは何かが足りないとも思うのです。そういった手法がたんに陳腐な表現として評価されないケースも多々あるわけですから。

 そして、ここからはさらに推測の面が強いですが、それがとある手段によって「守られている」ときに、さらなる次のステップへ参加者の気持ちを進める要素が隠されているのではないか、というのがこの作品を見て個人的に疑い始めたことです。

 そのことによって、参加者はその安全な場所を居場所にできると認識し、そこで自分の役割を探し始めた。

 そして、その行動が評価として現れる、ということではないか。


 逆に言って、その防衛機構が成立しないと思う人間にとって、これらの表現はまったく無意味で空々しいものに感じられ、評価の分かれ道を生むことになります。

 ではその、守る力とは何なのか。

 ずばり「権威」なのではないかと。

 たとえば、ハリウッドの名監督によるものだとか、世界宗教の教えだとか、そういった権威の後ろ盾があって始めて、先に述べた「公共的神秘化」とでもいうべき表現手法が人心を掌握できるのではないか。

 これまで散見した同様の手法を用いた作品を思い出してみても、そう考えずにはいられません。


 いろいろと過程を省きますが、この理屈は逆に言って「表現手法との相性が良くなければ作品に権威を付与しても無駄に終わってしまう」という商業上これまで見えなかった落とし穴の存在を提起することになります。

 あくまで、この作品とその感想いくつかを読み上げての仮説であり、現状は信憑性の保障はできませんが、ともかく、そういった人心を惹きつける布陣がこの作品にはあるように思われます。

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