第28話 2004年(4)
2004年8月16日(月) 天気:雨 最高気温:22.1℃
この日は、自分の歯が全部金歯になっている夢を見て目を覚ました。稚内で漁師をしている熊田さんにもう一度会いに行こうかとも思ったが、ホテルのロビーにあるパソコンで調べてみたところ、釧路から羽田行きの昼過ぎの便に空席があったので、釧路からそのまま東京へ帰ることにした。明日から、また終電生活が始まるから、早めに帰って少し休む時間も必要だ。
ホテルをチェックアウトして、近くの喫茶店で朝食を食べようとしたところ、店内がほぼ満席になっていて驚いた。お客さん達のお目当ては甲子園大会で、3回戦に進出した南北海道代表の駒大苫小牧高と西東京代表の日大三高の試合を観戦していた。
私は席に着くと、モーニングセットとナポリタンをオーダーした。食べ物がおいしすぎるので、北海道に来てから食欲が決壊している。
「東京もんに負けるな!」
「道産子の強さを見せてやれ!」
テレビ画面に食い入るように、お客さん一体となって駒大苫小牧高を熱狂的に応援している。
沖縄出身だし、帝京高校のファンだから、特別意識はしていなかったけれど、完全にアウェー状態だ。この熱気の中で、東京から来たことがばれたらどうなってしまうだろう?
先にモーニングセットのたまごサンドとホットコーヒーが運ばれてきたので、水で流しこむようにして、たまごサンドを完食する。しかし、ナポリタンがなかなか運ばれてこない。
駒大苫小牧高のチャンスになると、拍手をしたりして、周りのお客さん達に合わせた。ナポリタンはまだか。こんなに緊張感を持ってナポリタンを待つ日が来るとは夢にも思っていなかった。
駒大苫小牧高の攻撃が終わったところで、私の荷物を見た白髪の女性が、
「お姉さんはどちらからいらしたの?」
と尋ねてきた。他のお客さん達の視線も、一斉に私に集まる。
「沖縄からです」
「あらま、随分と遠いところから来てくれたのね。どうもありがとう」
「いえ、素敵な人たちと出会えて楽しかったです」
日大三高の攻撃が始まると、白髪の女性や他のお客さん達の視線は、再びテレビに注がれた。
「どこから来たの?」という質問に、あらかじめ「沖縄から」という回答を準備していて正解だった。誰か一人くらいは、東京から来たんじゃないの? と疑われたかったが、どうやら私はまだまだ垢抜けていないようだ。
とにかく、東京から来たことがばれなかったので、ようやく運ばれてきたナポリタンをゆっくりと味わうことができる。それに、私は喫茶店でナポリタンを食べている自分が好きだった。根拠はないが、センスのいい女に見られている気がするのだ。脚を組んで座り、自分に酔いしれながら、これぞナポリタンという味のナポリタンをできるだけ上品に食べた。
するとそこに、『大野』のお弟子さんがやって来て、私に気付いて挨拶してきた。
「こんなところで会うなんて奇遇ですね、町子さん。今日、東京に戻られるのですか? もう一度、町子さんが大将の寿司を喰うところを見たかったなー」
お弟子さんは気付いていないが、“東京”という言葉を聞いた、他のお客さん達の冷たい視線が私に集まっていた。
私は脚を組むのをやめて、半分ほど残っていたナポリタンを3口で食べ切り、ケチャップがついた唇を拭きもせずに、キャリーケースを引きずってレジへと向かった。
「128,000円です」
「えっ?」
「冗談よ。冗談。ウフフフッ。1,280円になります」
店員さんがそう言うと、他のお客さん達も愉快そうに笑っていた。
「町子さん、覚えていないのですか? 俺と鈴木さんと加藤さんと、昨日海鮮焼き屋の『潮騒さん』で一緒に飲んだじゃないですか」
お弟子さんにそう言われると、猫背がひどい鈴木さんと、頬のほくろがセクシーな加藤さんに、見覚えがあるような気がした。私が東京から来ていることを知っていて、黙っていてくれたんだ。
「町子さん、また来てくださいね」
とお弟子さんが言うと、
「町子ちゃん、バンザーイ! 町子ちゃん、バンザーイ!」
と猫背がひどい鈴木さんが言い始め、なぜだかわからないが、
「町子ちゃん、バンザーイ! 町子ちゃん、バンザーイ!」
とお客さん達全員にバンザイをされて私は見送られた。喫茶店から出ても、「町子ちゃん、バンザーイ!」と聞こえてくる。きっと、私はお弟子さんの名前を聞いているのだろうが、まったく思い出せない。また訪れた際には、シラフの時に名前をさりげなく聞いてみることにしよう。できれば、連絡先も交換できるといいな。ああ、愉快な旅だった。白い恋人を買って帰ろう。
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