第7話 2005年(3)
2005年8月15日(月) 天気:晴れのち雨 最高気温:33.4℃
午前8時過ぎ。母に見送られ、成り行き上、私は旅行に出ることになってしまった。
うっかり、公務員という設定にしてしまったがために、修二さんに急に仕事が入って行けなくなったとウソをつくこともできない。
「それじゃ行ってきます。何かあったら電話してね」
「お母さんのことは心配しないで、楽しんでくるのよー」
母がいやらしい笑みを浮かべながら見送ってくれた。
5日分の荷物を詰め込んだキャリーケースを引いて、とりあえず経堂駅へと向かう。せっかくの夏休みに自宅から追い出されるなんて、親不孝をしているとこういう目に合うのか…。いつか、改心しないといけないと思い知らされる。
近場の湯河原辺りに行こうかとも思ったが、母のことだから私の帰りを待っているかもしれない。
何かしら軽井沢のお土産を持ち帰らないとウソがばれてしまう。東京駅へ行くと、新幹線のりばを自力で見つけることができず、大きな荷物を持っているグループの後についていくと、京葉線のりばについてしまった。夢の国へ行く人たちだったのだ。
私は降参し、京葉線の駅員さんに新幹線のりばを教えてもらう。私はレンタルビデオ店で、借りたい作品が見つからなくても、絶対に店員さんに場所を教えてもらうようなことはしない。
作品を見つけられないということは、私にその作品を見る資格がないように思えるからだ。イライラしながら、意地になって時には2時間ほどかけて見つける場合もある。
なぜ、この作品をこのカテゴリーに分けたのだ? ということが多々あるから困る。
『シックスセンス』がヒューマンドラマのカテゴリーに並んでいた時は衝撃的だった。確かに、ヒューマンドラマの要素はあるが…。
まあ、そんな癖があるために、私はわからないことがあっても、簡単に人に尋ねることはしない。まずは、自力で解決しようと試みる。その結果、今日は大きなキャリーケースを引いて、800mも離れている京葉線のりばまでやって来てしまった。
あやうく夢の国へ行ってしまうところだった。恐らく入場規制がかかっていて入れないだろうが、お盆休みで混雑した炎天下の夢の国を一人で楽しむスキルは、今のところ私には備わってはいない。
まあ、途中にあった書店で軽井沢の旅行ガイドブックを購入することができたので、完全な無駄骨だったというわけではない。そう言い聞かせる。
キャリーケースを引いてまた800mも歩いて、新幹線のりばを発見すると、私のテンションは一気に上がった。
沖縄出身ということもあって、『新幹線のりば』の文字を見るだけでワクワクする。
運良く空いていた自由席に座ると、駅弁屋さんで購入した缶ビールを片手でプシュッと開けて、ゴクゴク喉を鳴らして流し込む。
「プハーッ」
隣の席のおばあさんが、不快そうな表情を見せるが、私はまったく気にしない。
このおばあさんが貰っている年金は、私たちが一生懸命働いてまかなっているのだ。ようやく辿り着いた夏休みに、憧れの新幹線に乗って缶ビールを飲んだくらいで文句を言われる筋合いはない。
私は1本目の缶ビールを出発前に飲み干すと、2本目の缶ビールを二口ほど飲んでから、駅弁屋さんで缶ビールと一緒に購入した、峠の釜めしを開けてつまんでみる。具沢山で酒の肴にもなる理想的な弁当だ。
高崎駅に着くと、隣の席に座っていたおばあさんが、他の席に移動したので、私は車窓側の席に座ることができた。
のどかな景色をギリギリ脳裏に刻むことができるスピードで、私を乗せた新幹線が通過して行く。まだ、数えるくらいしか新幹線に乗ったことがない
私にとって、一瞬一瞬が特別な体験だった。
いつか、沖縄と鹿児島が新幹線で結ばれたらいいのに。そうしたら帰省は増えるか? いや、変わらないだろうな。
この日の軽井沢の最高気温は27.1℃。天気は曇りのち晴れだった。気温よりも随分と涼しく感じる。ウソから出た真。本当に軽井沢にノープラン旅に来てしまった。
私は初めての軽井沢に到着すると、コインロッカーにキャリーケースを任せて、駅前のアウトレットパークでショッピングを楽しむことにした。
噂には聞いていたが、ブランド物が50%オフは当たり前で、中には80%オフで買える品まであった。
思う存分迷いながら、買い物を続け、荷物が重くなってきた頃には日が暮れていた。お腹も空いていた。
私はコインロッカーに任せていたキャリーケースを引き取ると、旅行ガイドブックを取り出して、良さそうなホテルを選ぶ。
「そうですか…失礼します…」
まただ。どのホテルに電話をかけても「お客様、申し訳ございません。本日は満室でございます」という返事しかもらえない。
そりゃそうだ。今日はお盆休みのど真ん中だ。しかも、避暑地で大人気の軽井沢だ。どうして、先に宿を決めておかなかったのだ。
明日は、軽井沢観光を楽しみたかったが、仕方がない。お土産を買って、一先ず東京へ帰ることにしよう。
「そうですか…ありがとうございました」
できるだけ平静を装って、みどりの窓口から出る。
どうしよー!上りの新幹線は、満席どころか、混み合った自由席で確実に立って乗ることになるらしい。せっかくの夏休みに満員電車に乗るなんて絶対に嫌だ!しかも憧れの新幹線で!
これはやばいぞ、町子。どうするのか、よく考えるのだ……ラブホテルなら空いているかな…でも、一人で泊まるのはわびしすぎる…。
マンガ喫茶に泊まるか…いや、軽井沢に来てマンガ喫茶に泊まったという記憶はつくりたくない…そもそも、この軽井沢にマンガ喫茶があるのか?だあー、何も考えが浮かばない!
おばあちゃんが不快そうにしていたのに、構わずに缶ビールを5本も飲んでしまった罰かな…。
そうだ!高崎に行けばいい!15分くらい混雑を我慢して高崎まで行けば、ビジネスホテルに泊まることができるだろう!でかしたぞ、町子!
「そうですか…失礼します…」
何てことだ!高崎のビジネスホテルに電話をかけまくっても「お客様、申し訳ございません。本日は満室でございます」という返事しかもらえない。
携帯電話が21:03という、いよいよ危険な時間に入ったことを教えてくれる。夜の9時以降に宿を見つけることができるのか?
普通のお客さんなら夕食を食べ終わって、部屋でくつろいでいる頃だ。今思えば、どのホテルにしようか鼻歌を歌いながら選んでいた時間が実に惜しい。
どこを選んでも、「お客様、申し訳ございません。本日は満室でございます」だったのに。
みどりの窓口の前で途方に暮れていると、上りの新幹線の座席を調べてくれた駅員さんが出て来て、声をかけてくれた。
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