第12話マックイーン醤油と塩鮭の切り身

 マックイーン醤油しょうゆを切らしている。

 マックイーン醤油とは、リリアに手作りナイフをもらったあの場所、マックイーンホテルが自社ブランドで製造、販売している醤油のことで、知る人ぞ知る逸品いっぴんだ。

 あくまで俺の感想だがこれから行くスーパーマーケットで売っている塩鮭しおじゃけの切り身は味付けが薄い。だから俺はその塩鮭にマックイーン醤油をかけて食べる。これがまた身体に害のないしょっぱさで風味ふうみもいい。家庭にマックイーン醤油を常備じょうびしておくと食事の楽しみが増えるのでぜひお試しを。


 自転車で近所のスーパーマーケットにやってきた。三日分くらいの食材を買いだめしなくてはならない。マックイーン醤油の1リットル瓶と塩鮭も忘れてはいけない。

 俺は駐輪場に自転車を停め、店内へ入った。ショッピングを始める前にすっきりさせておこう。まずは出入り口近くのトイレに直行する。


 小便用便器の前で黒スキニーのファスナーを下ろす。用を足している間周りを確認。潔癖症けっぺきしょうの神経質な紳士でも納得のトイレ。貸切状態。とはいえ新婚旅行で寝室に一人取り残された気分。結婚したことはないが。

 トイレを出る前に洗面台で手を洗っていると男が入ってきた。俺の背後にある小便用便器で男が用をたす。グレー地に黒のチェックが入ったジャケット、ブラウンのスラックス。短髪だが、だらしがなく乱れている。


「ボスはルリ殺しに一枚噛んでるぜ」

 俺はルリという名前に一瞬キョトンとした。小便をしている男がひびく声で突然俺に言ったのだ。頭だけ後ろに曲げニヤつきながら俺を見ている。ワンテンポ置いて俺はギョッとした。言葉の意味を理解した。

「何言ってるんだ?」

 俺はうろたえた。

「知ってるぞ、お前マッシュだろ?」

 見ず知らずの男に人物特定をされる俺。おそらく140文字の連投くらいじゃあ説明は無理だろう。


 小便をし終えた男が反対側の洗面台にやってきて俺を押しのけ手を洗い始めた。わざとらしく口笛を吹いている。壁に備え付けられたボックスからペーパータオルを数枚引きちぎり手を拭く。

「近いうちにお前は忙しく働くことになるだろう」

 男は相変わらずニヤつきながらそう言い残してトイレを出て行った。トイレのすぐ外で「ぷっ」と吹き出すのが聞こえた。

 呆然ぼうぜんとしてしまった。俺はスーパーマーケットのトイレの中で立ちくす。


 俺がいるスーパーマーケットは大型店舗だ。たとえ外の世界がゾンビに支配されても、しばらくはここをベースキャンプにして生活できるだろう。店内に並ぶ商品は生理用ナプキンから電動工具まで様々。惣菜屋そうざいやでエビの天ぷらを売っている以外は世界中のスーパーマーケットとそう変わらない。カラフルな商品のパッケージと数字の並んだポップの中を、俺はうろついた。


 俺はルリのことを考えていた。とても口笛を吹きながらショッピングというわけにはいかない。カートに乗せた買い物カゴに数日分の食材を入れていく。

 さっきの男が言っていたボスというのはルリが所属していた売春組織のボスということだろうか。そいつがルリ殺しと関係しているらしい。いや、そもそもあの男を信じていいものかどうか。単にスーパーマーケットのトイレでいっしょになっただけの男だ。……だがアイツは初対面の俺を知っていた。


 俺は混乱しながらも買い物を続けた。それでもマックイーン醤油と塩鮭の切り身を買い忘れなかったことはめてほしい。


 ルリが泣いている。白のスリップを血に染め、山林に横たわり、雨に濡れているルリ。俺にどうしろと言うのだ?

 

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