第11話アンモナイトの秘密、その2

 俺がものごころついてからずっと親父は黒づくめの衣服を着ている。俺が小2の時、化石採掘のため遠くの渓谷けいこくへ行った日も、黒のスラックスと黒シャツで細マッチョの肉体を隠していた。のちに葬儀屋そうぎやで成功したのも必然だろう。


 あの夏、空は非現実的に青く空気は乾いていた。俺にとってはなつかしき良い時代だ。


 親父はがけにできる限り登り、ハンマーで斜面を掘り起こし化石を探した。一方俺は身体が小さいこともあり谷底を探した。化石は石や岩の内部に眠っている。それをハンマーでたたいて割り、露出ろしゅつした断面に埋まった化石を見つけるのだ。やり方は親父に教わった。


 俺は子供らしく化石採掘に熱中してしまった。ふと気付くと周りには誰もいない。いつの間にか一人で渓谷の奥へ入り込んでしまったようだ。谷、崖、岩、石、青空そして西に傾き始めた太陽。風もない。風景は動かずどこからも音が聞こえない。地球から人類が消えたのだろうか。7歳の俺は突然心細くなる。


「司、ちょっと来い」

 遠くから聞こえる親父の呼び声と車のクラクションが沈黙を破った。

 一人じゃない。俺は親父のいる方へ走る。崖の突端とったんを超えると乗ってきた車があり親父もいた。泣きそうになるのをこらえる。

「化石は見つかったか?」

「ダメだった」

 俺は親父のもとへ駆け寄る。

「面白い遊びをしないか?」

「なになに?」

「ここで立ってろ」

 突然親父が化石とは関係ないことを言い出した。そう、俺も親父もアンモナイトに嫌われたのだ。俺は好奇心をくすぐる親父の提案に乗った。


 親父は右手にリンゴを持っている。それを慎重に俺の頭の上に置いた。

「よぉし、動くな」

 程遠いジェリービーンズタウン。そしてここは渓谷。周囲には車、幼い俺そして黒づくめ親父しかいない。俺はリンゴを頭の上に乗せ直立不動ちょくりつふどうで親父の要望にこたえた。親父が車の運転席のドアを開け何かを取り出す。親父は俺を見ながら微笑ほほえむ。何もかもがスローモーションのように感じた。親父は5メートルほど離れ、俺に体を向ける。

 親父は右手にリボルバーの拳銃けんじゅうを持っていた。それをゆっくり俺に向け、かまえる。

「司、覚悟しろ」

 俺は身の危険を感じ、緊張した。血液が下半身から上に行かない。心臓を吐き出しそうになった。しかし黙ってリンゴを頭に乗せ、立っているしかなかった。

 親父の右手が大きくれ、銃声が響く。渓谷に大きな音が反響する。同時に頭の上のリンゴがくだけ散る音と激しい抵抗感があった。親父がはなった銃弾は俺の頭上のリンゴに命中したのだ。

 今ならわかる。親父がやったのはウィリアムテル・ゲームだ。

「さすが俺の息子」

 親父は笑った。直後、俺は涙があふれ親父に駆け寄って抱きついた。

「パパ!」

 顔に付着ふちゃくしたリンゴの破片と頭からしたたる果汁を親父がハンカチでいてくれた。ゲームが終わり親父は俺を抱きしめた。俺はふるえながら号泣した。

 

 結局、アンモナイトの化石は見つからなかった。


「ママには内緒だ」

 帰りの車の中で再び親父はそう言った。


 何のために親父が小2の俺にウィリアムテル・ゲームをやったのかは不明だ。

 俺の親父は変わった男だ。俺に対して何か説教をするわけでもなく勉強を教えるわけでもない。家庭で親父はいつも書斎しょさいにこもり考え事をしていた。のちに親父は葬儀屋を成功させ家をけるようになった。

 あの男が何を考えているか親子といえどもよくわからないところがある。

 

 あの夏の日を思い出すと、俺は不思議な懐かしさを感じる。なぜかノスタルジックな気分になるのである。典型的なドメスティック・バイオレンスの被害者だと理解していても、である。

 

 袋入りのアーモンドがなくなり、俺は郷愁きょうしゅうの旅から現実に戻る。

 俺はリビングのソファーから立ち上がった。アーモンド数粒じゃあ空腹が満たされない。


ーーー近いうちに親父に会わなきゃな。

 俺はあきらめるようにそう結論付けて、食材を買いにスーパーマーケットへ向かった。

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