第4話するどいナイフ

 高貴な印象があり、なおかつリラックスもできる。マックイーンホテルの内装はそういう雰囲気。絨毯じゅうたんはカラシ色でブラウンのループした植物模様があしらわれている。施設内の所々で見られる花瓶かびんに刺された贅沢ぜいたくな数のスイセンは全て生花だ。

 

 “関係者以外立ち入り禁止”


 俺はホール出入り口ドアに貼られた紙を無視して中に入る。


 テニスコート二面くらいのホール内部はたくさんの人でごった返していた。中央にある段差のないランウェイではリーダーらしき男がマイク付きヘッドホンを付けて数人のモデルを前に明日の動きを確認している。その周りでは男たちが安っぽくはないパイプ椅子を並べていた。とても騒然としている。リリアによると、明日ここで、新興しんこうブランドメーカーのファッションショーが開かれるという。

 俺はリリアを探した。


 リリアはカメラワークのチェックのため撮影クルーとリハーサルをしていた。リリアはディレクターの指示通りランウェイで同じパターンを繰り返し歩く。たくさんのスタッフがそれぞれの仕事をして邪魔じゃましているが、リリアはお構いなしだ。時どきリリアとカメラマンが怒鳴り合っていた。


「リリア」

「あ、マッシュ、来てくれたんだ」


 けがれのないリリアの笑顔。全てむくわれる。俺は何でもできそうな気分になる。


「すぐ行くから隣の控え室で待ってて」

「わかった」 


 俺は賑やかなホールを出た。控え室ではパソコンを中心に数人のスタッフが話し合いをしている。忙しそうにスマホをいじっているスタッフもいる。壁際にはアパレルショップで見るような台座に固定されたバーに大量のドレスがかかっていた。鏡台の前でメイクアップアーティストたちが数人のモデルを美しくしている。それを腕組みしながら見守るスタッフたち。天井では換気用の大きな扇風機がゆっくり回っている。

 俺は安っぽいパイプ椅子にすわりリリアを待った。


「ごめんごめん、人手が足りないの、みんなバタバタよ」

 しばらくしてリリアがホールから走ってきた。

「久しぶりだな、会いたかったよ。元気?」

「私は元気、マッシュは今もブラブラしてるの?」

「そうだな、いいスポンサーがいてね」

「ちゃんと寝てる?」

「まあね」

「好き嫌い治った?」

「……そんな、お袋みたいな言い方止めてくれ」

「ごめん」

「で、俺に直接渡したいものってなんだよ?」

「あ、ちょっと待ってて」


 リリアは部屋のすみへ行き、自分のショルダーバッグを抱えて俺の元に戻ってきた。


「これよ」

「……すごいな」


 ナイフだった。リリアはバッグから革製のシザーケースに収納されているナイフを取り出した。ポケットから二の腕ほどの大きさのナイフだけを取り出す。ナイフは金属部分が片側に反り返っていて先端が鋭く尖っている。木製のハンドルに凹凸おうとつが刻まれていて、愛好家を探しているみたいだ。刃先のメラメラした光は殺す人間を探しているかのようでもある。俺はとても神聖な気持ちになった。


「この前おじいちゃんが遊びに来て、うちに泊まってったの。その時ふざけてあなたと付き合ってた頃スマホに届いたラブメッセージ全部見せたのよ、そしたらおじいちゃん喜んじゃってね」

 リリアが笑う。この女の笑顔は本当に無垢むくである。

「あの男面白いからこれ贈っとけって、あとから届いたの」

「ううむ」

「私のおじいちゃんからのプレゼントよ。彼、趣味でナイフを手作りするんだ」

「おじいちゃんにありがとうと言っておいて」

「わかった」

「俺のラブメッセージも全くの無駄ではなかったわけだ」


 俺はラクダ色のシザーケースを腰に装着した。周囲ではモデルやスタッフたちが明日の準備に追われている。とても賑やかな中、俺とリリアはしんみりと話した。


「あの頃、楽しかったな」

「でも、終わったことだからね」

「今の彼氏はいい男なの?」

「もちろん……このあと彼氏と食事よ」

 リリアが大きく息を吸ったが、ため息はつかない。

「彼氏、私を驚かそうと素晴らしい夜景の見えるレストランへ連れてってくれるの。本当はサプライズなんだけどね」

「いい話だな」

「私もそう思う」

 刹那せつなの間のあとリリア吹いた。

「こうなる運命だったのよ」

 俺たちは語るべき言葉を失い、しばらく黙った。

「やめよう、こんな話してると年寄りになる。俺は行くよ」

 俺は腰の右後ろにぶら下がったシザーケースに包まれたナイフをポンポンと手で確認した。

「これはありがたくいただいていく。おじいちゃんによろしく」

「帰り、警察官に職質されないように」

「あ、そうか、ナイフ持ってたらちまたを賑わせてる誘拐犯と間違われるな」


 俺とリリアは終始笑顔だった。愛し合っていた頃にはあり得ないことだ。皮肉な話である。俺はリリアと別れを告げマックイーンホテルを出た。外はもう暗くなっている。街明かりと人ごみが俺をなぐさめてくれた。きっとリリアは幸せになるだろう。

 俺はやさしい気持ちで夜道を歩いた。

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