何もない跡地がこんなに狭い
駅からバスに乗り換え、下宿先のアパートから最寄のバス停で降りました。
よいしょ、と荷物を持ち直して歩き出した私の目に飛び込んだのは、衝撃の光景です。
「え、取り壊されちゃってる……」
下宿先の近くにあったケーキ屋さんが、跡形もなく消え去っているのです。そこにあったのは長方形の更地と、売土地と書いてある看板だけでした。
二か月弱もある長い夏休みの間に、どうやらこの街は確かに姿を変えてしまったようです。
こうなるとわかっていれば、もっと通っていたのになあ。惜しいことをしました。
しみじみとケーキ屋さんの跡地を眺めていると、はたしてこんなに狭かっただろうか、という疑念がわいてきます。建物が取り壊されて、むしろすっきりして広々と感じられてもおかしくはないのに。不思議なことです。
記憶の中の在りし日のケーキ屋さんと、跡地の形を重ね合わせてみます。ええ、たしかに外観にはさほど違和感はないかもしれません。
ただ、一歩記憶の中の店内に入った時、取り取りのケーキや洋菓子を並べていたあのお店が、こんなちっぽけな空間に収まってしまうとはにわかには信じがたいものがありました。
下宿先から近いだけで、何度か利用したことがあるに過ぎない私ですが、つい感傷に浸ってしまいます。
恐らく、この跡地にはそのうち新しい建物が建つことでしょう。それがどんな物かはわかりませんが、一年もすればその光景に親しみを覚えるようになるでしょう。
やがてまた一つ、確かに存在したものが忘れ去られてしまうのです。なぜだか私にはそれが悲しく思えるのです。そしてまた、恐ろしくも思います。
私はしょっぱい気分で下宿先のアパートの玄関を開けました。そこには8月のはじめ、部屋を後にした時のままの姿が残されています。少々埃っぽいですが。
そんなことに、どうしようもない安心感を抱いたのでした。
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