第4話 ――灰色に染まりゆく空――
「……いち! ……翔一!」
階段の下から聞こえてくる母の怒声で翔一は目を覚ました。
枕元に置いてある目覚まし時計に目をやると、七時ちょっと前というところ。
もそもそと布団から這い出す。
寝ぼけ眼で階段を下りていくと、
「おっそ~い! 早く学校行くわよ!」
玄関の方から、妙にきれいな透き通った声がする。
まだ、夢を見ているのだろうか? 母親がこんな声を出せるわけがない。
ふわぁ~と欠伸しかけた翔一は、玄関に立つその少女の姿を見て、全身が総毛立ち、腰を抜かした。
玄関に立っていたのは、カバンを小脇に抱えた光。
……確認しよう。ここは正真正銘、秋川家である。
「お、お前なんでここにいんだよ!?」
光は驚き慌てる翔一を呆れるような目で見た。
「はぁ~……。だっさい寝巻……。さっさと支度してよね。学校行くんだからさ」
「は、はぁ!?」
すると、居間の方から母が出てきて、仁王のような顔で翔一を睨んだ。
「ご・は・んをさっさと食え!」
すさまじい迫力に気圧された翔一はそそくさと居間へと向かい朝食を食べ始めた。
「ごめんなさいね、光ちゃん。うちの息子が迷惑かけて」
「いえいえ、私は構いませんよ」
「全く……。翔一も彼女を待たせて何やってんだか……」
その瞬間、翔一は口に入っていたスクランブルエッグを飛散させた。
母親の不意打ちに翔一は対抗できなかったが、
「いえいえ、私、昨日転校してきたばかりですし。翔一君とはただの友達ですよ」
ニコリ、と笑顔を浮かべて光は答えた。
翔一は、焦った自分がちょっと恥ずかしくなった。
ここでゆっくりしていては、また母親が何を言い出すかわかったもんじゃない。そう考えた翔一は、急いで朝食を食べ終わり身支度を整えた。実に五分もかからなかった。
「あら、翔一。早かったわね」
「……いってきます」
母は放っといて、翔一は革靴を履いて、家を出た。
そして、学校へ向かって早歩きで歩き出した。
「ま、待ってよ~!」
それにつられて光も早歩き。
すれ違った、おばちゃんはそんな二人を見て笑っていた。
しばらく歩いたところで翔一はピタと歩みを止めた。
「光! お前、何で家にきたんだよ!」
「だって……昨日、また明日! っていったじゃない」
「だからって、普通いきなり朝っぱらから来るかよ!?」
しかし、光は実に不思議そうな表情で翔一を見つめていた。
「ちっ! もう、いいや」
何個か文句が浮かんだ翔一だが、光の瞳を見ていたら、なんだかもうどうでもよくなってしまった。こいつに何を言っても無駄だろう。昔からそういう奴だ。
翔一はため息を一つついて、仏頂面で歩き始めた。
「あ! むつけてる~!」
光は翔一の仏頂面を指さして、小馬鹿にする。
どうして、こいつは朝っぱらからこんなに元気なんだよ……。
翔一は光のせいで一層下がったテンションを何とか奮い立たせて歩き出す。
学校にほど近くなってきたところで、翔一は電信柱の陰に見慣れた強面の姿を見つける。
「おっす」
「ち、バレたか……」
「バレなかったら、よっぽどのアホじゃないのか、そいつ」
のそっと電柱の陰から顔を出した強面は、翔一の友人、春日崎晴人。
晴人はいつものように、
「おはよ……ッ!」
と、言いかけ口を塞いだ。
そして、翔一の袖を引っ張り、走り去った。
「翔一がおっかない人に誘拐されちゃった!?」
残された光はしばらく唖然としていたが、やがて、はっと我に返り二人を追いかけた。
「ちょ!? いきなり何すんだよ!?」
翔一はすごい力で引っ張っていく晴人に問いかける。
すると晴人は翔一の袖をつかんでいた腕の力を緩めた。
瞬間、翔一は地面にドサリと落ちて尻餅をつく。
「……いてて」
「ぶはぁ!」
晴人が突然、ビッグボイスを放った。
「な、なんだってんだよ!?」
晴人は、翔一を未知のものを見るような目つきで睨んだ。腰からぶら下げてあるシルバーチェーンが太陽の光を反射し、キンキンの金髪は今日も十二分に目立っている。その風貌は傍から見れば、悪鬼そのものである。
「だ、誰だよ、あの超絶美少女はよ!?」
なるほど、と翔一は納得。
晴人は翔一や光とは違うクラス。それゆえ、転校生である光が昨日やって来たことも知らないのである。
今、翔一の目の前で、強面はその顔を赤く染めている。
翔一が光の事を話してやろうと思って、やれやれと立ち上がろうとしたその時、
「誘拐犯めぇ~! 覚悟ぉ~!」
何やら大声を出しながら、紅髪の少女が走ってくる。
その姿を見た、強面野郎の顔はますます紅潮した。見かけによらず、シャイなのだ。コイツは。
「お前ら! 朝っぱらからハイテンションすぎだ! 俺の話を聞け!」
翔一は晴人と光に向けて一喝。
晴人と光は一瞬顔を見合わせ、目をぱちくりさせた。
「まず、晴人。こいつは夏凪光。転校生で、近所に引っ越してきた。いちおう俺の幼馴染だ」
「お、おう……」
「そして、光。この強面野郎は春日崎晴人。俺の中学のころからの友達だ。ツラは見ての通り、超極悪人ヅラだが、根はいい奴だ。安心しろ。誘拐犯なんかじゃあない」
「ふ、ふ~ん……」
翔一のマシンガンのような早口での説明を何とか理解した二人は、
「なんか、その……ごめんなさい」
「いや、俺の方こそ……ごめん」
そして、翔一、光、晴人の三人は横一列に並んで学校へ歩き出した。
太陽が徐々に高く上がり始めていた。
* * *
下駄箱で靴を履きかえ、いったん晴人と別れた翔一と光はその足で1─Bへと向かう。
がらりと、ドアを開けると、まだ早い時間なので誰もいない……と思ったら、女子生徒が一人席に座って本を読んでいた。
いかついビンゾコ眼鏡が目を引くその女子生徒は、冬島澄泉。翔一のクラスメイトである。こんな早くに学校に来て本を読んでいるなんて、本当に読書が好きなんだな、と翔一は思う。
光が元気よく声をかける。
「おはよう! 冬島さん!」
「うひぇい! お、おはようございます夏凪さん!」
読書に集中していたのだろう。教室に二人がやって来たことに気づかなかった冬島は、光に急に声をかけられて驚き、危うく眼鏡を落とすところだった。
隣にどっかと腰を落ち着けた翔一を見やり、
「あ、秋川君も……おはようございます」
「……おう」
冬島はそろって登校してきた二人を交互に見て、
「あの……失礼ですが……お二人はお付き合いされてるんですか?」
翔一の頭の中で何かがボンとはじけた。なんというデジャブ。今朝の母親の言葉ほとんどそのままではないか。
「はは……。お前、母ちゃんみてぇ……」
光は穏やかな口調で冬島に返答する。
「うんとね、翔一と私は幼馴染なんだけどね、たまたま家が近くて、それで一緒に登校してきたのよ」
「……勘違いすんなよ。こいつが勝手に俺の家に上がりこんでたんだよ」
「もう、人聞き悪いこと言わないでよね! せっかくだからって、寄ってやったのよ!」
「頼んでねぇよ!」
「なにを~!」
冬島は二人の問答を羨ましそうに見ていた。
「なんだか……羨ましいです……」
翔一と光は顔を見合わせ、冬島を見つめた。
「「へ、何で?」」
冬島は読んでいた本に視線を落とす。
「私は、いつも、ひとり……だから。だから、その……楽しく登下校っていいなあって思って」
光はぱっと笑顔を冬島に向ける。
「もう、つまんないなぁ。じゃあ、今日から一緒に帰ろうよ!」
冬島は目を丸くして光を見た。光の笑顔には、純粋なあったかい気持ちしか感じられない。
「でも、いいんですか?」
「いいのいいの! だって私たち……友達でしょ」
光の言葉が冬島には、とてもあったかくてかけがえのないものに感じられた。まるで凍てつく雪原を溶かしてゆく陽光のようだった。
「夏凪さんは、いい人ですね。昨日、出会ったばかりなのに」
「光は昔っからそうなんだ。暑苦しいやつだろ?」
「翔一、あんたねぇ~……」
二人の様子を見ていて、冬島は自然と笑みがこぼれた。私もいつか、こんなふうに笑いあえる仲間に出会えるといいな、と思う。
光と冬島はホームルームが始まるまでたわいもない話を続けていた。
翔一はそんな二人を横目に机に寝そべっていた。
心の枷が少し緩んだ、とでもいうのだろうか。翔一は、これからの学校生活がほんのちょっぴり楽しみになった。仏頂面は相変わらずだが。
やがて、桐谷が入ってきて、ホームルームが始まった。
* * *
授業終了を告げる鐘の福音が響き渡る。
「さて、今日はこれでおしまい、と。特に連絡事項もないし帰りのホームルームは省略。今日はこれにて解散!」
教室内に「よっしゃあ!」という生徒たちの声がこだまする。皆、そそくさとカバンを片手に教室を出ていく。
そんなふうに皆が浮かれている中、
「あ、秋川と冬島はあとで職員室に来るように」
桐谷は閻魔帳を持って教室を出て行った。
はぁ~、と翔一は深いため息。
「秋川君……いきましょうか」
「お、おう。……冬島、悪いな俺のせいで」
冬島は、嫌な顔もせずニコリと笑って見せたが、翔一からするとやっぱり悪い気がする。
とぼとぼ歩きだす翔一に光が後ろから声をかけた。
「お、翔一。どこ行くの?」
翔一は仏頂面で光の方に向き直り答えた。
「ちょっと、野暮用でな……」
そう言い捨てて、翔一は、けだるそうに教室を出た。
「んじゃ、冬島さん、帰ろうよ!」
冬島は大層申し訳なさそうな顔で、
「ごめんなさい。私も秋川君と同じ用事で……」
冬島も教室を出て職員室へと向かう。
「ちぇ~、つまんないの~」
一人取り残された光は愚痴をこぼす。
「……来たか」
職員室へ着いた二人に桐谷は例の物を渡した。あの、すごくダサい襷である。
桐谷はデスクに置いてあったカップを手に取り、ズズっと音を立てて一口。エスプレッソの香りが心地よく広がる。
「さて……では、頼んだぞ、掃除大使!」
ニヒルな笑みを浮かべた桐谷は椅子をくるりと向き直して、作業を始めた。
翔一と冬島は、手に持っている襷を見つめ嘆息した。
* * *
時折、廊下を歩く生徒に指さされながらも、恥を乗り越えて二人は黙々と掃除を続ける。
その様子を教室の隅の方で座って見ていた光は、笑いをこらえるのに必死だった。
しかし、箒を持って仏頂面で掃除している翔一が何だかおかしくて、とうとう吹き出してしまった。
「ぶははははは!」
「てめぇ、光! 笑ってんじゃねぇ!」
「だって……だって……掃除大使って! ぶははははは!」
チッ! と舌打ちをしながらも翔一は掃除を続ける。冬島のためにもさっさと掃除を終わらせたい。やっと、半分ほど終えたところだが、もう面倒くさくなってきた。
「もう、いいんじゃねぇか、冬島?」
冬島は分厚いビンゾコ眼鏡をくいっと持ち上げて、鋭い眼光を翔一に向けた。
「ダメですよ、秋川君! どうせやるんだから、ちゃんとやらないと! ほら早くそこ掃いてください!」
生真面目な性格の冬島は、掃除もきっちりとやる性格のよう。
「へいへい」
翔一はしぶしぶ従い、掃除を続ける。
そのうち、掃除を見ているのも飽きてしまった光はカバンを片手に、ふらふらと教室を出て行った。
二人で黙々と真面目に掃除した結果、それほど時間もかからずに教室内の掃除を終えた。
翔一と冬島は掃除が完了したことを桐谷に報告するため、職員室へと向かう。
桐谷はコーヒー片手に書類仕事に勤しんでいた。
「先生、掃除終わりました」
二人は、桐谷に例のダサい襷を手渡した。
「おう、ご苦労だったな。じゃ、また明日な」
職員室を出て翔一はほっと胸をなでおろした。
「やっと、終わったな。さっさと帰ろうぜ」
翔一の言葉に冬島もコクリと頷いた。
教室についた翔一が戸を開けると、そこには翔一のよく知る二人がいた。
「よう! 遅かったじゃねぇか、翔一!」
晴人は教室内に響き渡るような声で言った。
「ホントよね~!」
晴人の陰から光が顔をのぞかせ、小馬鹿にするような笑いを向けた。
「何でお前らここに!? 帰ったんじゃないのか!?」
「だって、冬島さんと約束したし! さっ、早く帰ろ!」
光は明るくはにかみながらそう言うと、さっさと教室を出て行った。
残された三人は互いに顔を見合わせ、やれやれといった体で、光の後を追いかけた。
こうして、四人は学校を出た。
桐谷は職員室の窓から見ていた四人が校門を出て行くのを眺めていた。彼らの姿を見て、一瞬穏やかに笑うと、再びデスクワークに戻るのだった。
* * *
下校途中、四人はたわいもない話に花を咲かせていた。
「あのだっせぇ恰好……翔一、何だよありゃ? ……プフッ」
晴人は翔一が襷をかけて掃除をしているのを思い出し、必死に笑いをこらえている。
「う、うっせぇ! あれには深い事情がだな……」
そこに口を挟んだのは光。
「事情って……あんたが授業を真面目に聞いてなかっただけじゃない」
光に正論を言われて翔一は反論できない。
「でもさ、それだけであの恰好で掃除させるなんて、桐谷もひどいよな」
「……秋川君の場合は……その……常習犯ですから」
「なるほど。翔一も意外とチャラ男だったってことか。それにしても、冬島さん……なんでそんなに緊張してるの?」
晴人の言う通り、冬島は先ほどからずっと緊張しているように見えた。心なしか、顔が少し引き攣っているようにも見える。会話も何だかぎこちない。
「冬島、具合でも悪いのか?」
すると、光がくすっと笑みをこぼす。
「光、何笑ってんだよ」
「冬島さんが緊張してるのってさ、その……春日崎君が怖いんじゃないの?」
光の言葉を聞いてギクリとしたのは冬島と晴人。
「えっ夏凪さん、私全然そんなことは……」
慌てて否定する冬島の態度は、逆に話の信憑性を高めてしまう。
強面晴人の顔は翔一から見ても元気がなくなっているようだ。
「俺って……」
などと、生気のないような面構えでボソッとつぶやく。
翔一は、晴人の肩に手を置いて励ましてやる。
「まあ、そんな落ち込むなって。今に始まったことじゃないだろ?」
「今に始まったことじゃない……」
どうやら、翔一の励ましの言葉は、落ち込む晴人にさらに追い打ちをかけたようだ。
晴人は、いよいよザ・ネガティブだ。
そんなネガティブ強面野郎に構わずに、唐突に光はつぶやいた。
「この学校って結構、部活盛り上がってるよね」
光の言う通り、翔一たちの通う高校は、公立高校にもかかわらず、近くにある他の高校と比べても、部活動が盛んな学校だ。だから、校内の雰囲気も少し独特で、翔一たちのように何もしない帰宅部生徒は珍しいのだ。
転校してきた光なら、なんか普通と違う、と思ったに違いない。
「私さぁ、高校行ったら演劇部入りたかったんだよね。でも、いろんな人に聞いてみたらわかったんだけど、演劇部、ないし。だから、こうしてフラフラしてるんだけどさ。皆は? 皆は部活とかやんないの?」
光の問いかけに翔一は何も答えない。
だんまりの翔一とは違い、ネガティブ強面野郎は頭を掻きながら返事する。
「部活かぁ……。俺はそんなガラじゃないし、ちょっとな……」
続いて返答したのは冬島だ。
「私はやってみたいことがあったんですが、部員が集まりそうになくて……」
光は仏頂面で黙り込んでいる翔一に向かって言った。
「翔一は部活やんないの? 昔からサッカー好きだったし、よく集まってやったじゃない。あの時、翔一、結構上手かったじゃない。サッカー部に入部すればいいじゃん……もったいないなぁ」
その時、翔一は胸の内から溢れ出そうとする思いを抑えることができなかった。ふっと俯き、光に向けて刺すように言った。
翔一の声は鋭利な刃物のようにとがり、そして、氷のように冷たい声だった。
「お前に……何がわかるってんだよ……!!」
翔一は走り出した。
どこへ向かうのかは自分でもわからない。
けれども、その場から一刻も早く立ち去りたかった。
光が声をかけ、手を伸ばしたものの、翔一を捉えることはできず。
疾風が一つ通り過ぎていくと、翔一は夕闇の中に消えて行った。
「ったくもう……なんなのよあいつ!」
光は声を荒げた。何が翔一を怒らせてしまったのか、光には皆目見当もつかない。
一部始終を見ていた冬島は唖然とするしかない。
だが、晴人だけは違っていた。彼はもう、ネガティブ強面野郎ではなかった。
「夏凪さん。今のは……君が悪いと思う」
「はぁ!?」
光には意味がわからなかった。何故、自分が悪者にされなければならない。光の心の中で憤りの領域が徐々に広がってゆく。頭が、少し熱い。
晴人は光の心中を察して、穏やかな口調で話し続ける。
「あいつに、サッカーの話は禁句なんだよ」
「なんで? だって、翔一はサッカー大好きだったのよ。地元の少年サッカーチームに入ったりしてさ。いっつも、膝に絆創膏つけて、ボール追いかけまわしてたのよ?」
晴人は一瞬空を仰いでから言った。
「……だからこそさ」
晴人は語り始めた。
秋川翔一の親友として知っていることを――
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