第3話 ――夕暮れの道で――

 校門で冬島と別れた翔一は、夕暮れの道を歩いていた。買い物帰りのおばさんや、部活帰りの学生があちらこちらに見られた。

 上を見上げると、夕焼けに赤く染まった空が広がっている。

 いつからだろう? 最近、翔一はふと、空を見上げることが多くなった。

 ……と、後ろの方から、誰かが走ってくるような音が聞こえた。

 翔一が後ろを振り返ると、転校生の夏凪が紅色の髪を揺らして走っていた。翔一に追いついた彼女はぜえぜえと息を切らす。

「はあ……はあ……」

「……夏凪?」

 ようやく息が整ってきた夏凪は翔一を見上げ、

「ちょっと、話があって……」

 翔一は、さも驚いたような顔をして

「俺に話?」

「……心当たりないの?」

 そう言われても、翔一には特に心当たりがあるわけでもない。

 夏凪は翔一の目の前で、大きく嘆息する。

「はぁ~……。ホント覚えてないのね。何か悲しくなってきたわ」

「だから、何のことだよ!?」

「もういい! 翔ちゃんのことなんか知るもんか!」

 ぷいっ、とむくれた夏凪はずんずん歩き出してしまった。

「翔ちゃん……?」

 翔一はむくれて行ってしまった夏凪の後ろ姿を見つめながら、彼女の言った言葉を頭の中で反復させていた。

 しかし、その時、翔一の頭の中に電光が走る。

「もしかして……いや、まさか。でも……」

 ふと閃いた考えは翔一の脳内をめまぐるしく駆け巡り、彼を混乱させる。

 翔一は駆け出し、そして大声を出して言った。

「ちょっと待てよ!」

 夏凪はピタと歩みを止めた。

「はあ……はあ……、光ちゃん……だろ?」

 夏凪は翔一の方を振り返り、ニコリと笑った。

「もう! やっと思い出したの!? 私、皆の前で自己紹介したと思うんだけど?」

「ごめん。俺、窓の外見てぼーっとしてたからさ、聞いてなかったんだよ。それに、あのころとは外見も随分変わったし、普通気づかないって」

「普通、転校生が自己紹介してる時ぼーっとしないと思うんだけど……」

「それは悪いと思ってる。いつ帰って来たんだ? お前があっちに行ってから、もうずいぶん経つもんな」


   * * *


 翔一と光は小さいころ、といっても、もう十年以上会ってなかったが幼馴染だった。

 二人の家は隣同士で、小さいころから、よく一緒に遊んでいた。

 そのころの光は、男の子である翔一よりも活発に遊びまわる、元気で男勝りな子供だった。鼻にはいつも絆創膏をつけていた。

 しかし、二人の別れは突然に起こる。二人が小学二年の時、光の父親の転勤が決まり、イギリスへ引っ越すことになってしまったのだ。

 光は最後まで行きたくないと言い張ったが、わずか九歳の子供を一人残すことなんてできるわけもない。

 翔一は、母親と譲と一緒に、空港へ光の見送りに来ていた。空港内は人でごった返している。

 翔一はずっと光と話していた。その内容までは覚えていないが、おそらく、向こうに行ったら手紙を書くとかそういった内容だっただろう。

 しかし、そんな時間はあっという間に過ぎていく。

「わたしたち……これでおわかれじゃないよね……」

 光が物寂しげな表情を浮かべつぶやいた。

 翔一は返事ができず、ただ拳を震わせていた。

 空港内に放送が流れ、光たちが乗る飛行機が間もなく出発することを知らせるアナウンスが流れた。

 父親に手を引かれ、光は行ってしまう。

 翔一は、光のもとへ走り出した。

 だが、搭乗ゲートが閉じて、光と翔一の間を無情にも分断した。

 その時、光はせいいっぱいの声を出して叫んだ。

「わたし、わたし、またあいにくるから! かならずくるから! だから、しょうちゃんもわらってまってて!」

 翔一の瞳から一筋の涙が零れ落ちた。

「うん!」

 翔一はせいいっぱいの笑顔で光を見た。

 光の顔は涙でぐしゃぐしゃ。だけど、口元は笑っていた。

 その時、二人は約束した。いつかまた、会おうと。

 きっとまた会えると信じて、二人は笑顔で別れた。溢れ出しそうな涙を堪えて。

 光を乗せた飛行機は高く高く飛んでゆく。飛行機はやがて、翔一にも見えなくなった。

 その瞬間、今まで堪えていた涙が溢れ出した。人目も気にせず、翔一はおいおいと泣いた。

 光を乗せた飛行機は遠い異国の地、イギリスへと旅立ってしまった。



 今、翔一の目の前に立っている光はあのころとは似ても似つかない。

「お前も、変わったよな……」

「そう? 翔ちゃんこそ、何か雰囲気変わったよね。昔はもっと……」

「ところでさ……その翔ちゃんての……やめろよな」

 光はさも不思議そうな顔をして

「え、なんで?」

 翔一は少し照れくさそうな表情でつぶやく。

「ちゃん付けはちょっとな……、恥ずかしいし……」

「じゃあ何て呼べばいいのよ?」

「普通に……秋川……とか」

「え~、なんかよそよそしくない?」

「だって普通そういう感じじゃね?」

「でも、翔ちゃんは私の事光って呼んだじゃない?」

 光は翔一をじっと見つめる。翔一はその瞳に一瞬ドキッとした。

「それは別に……久しぶりだったからな……」

「わかったよ。じゃあ、私も翔一、って呼ぶから。それでいいわよね」

「……ま、いっか」

 翔一は一応納得した。まだちょっと恥ずかしいけど……。

 二人は十数年ぶりに並んで歩き出した。

 懐かしい話に花が咲く。あのころとは随分街並みも変わったね、とか。向こうでの生活はどうだったんだ、とか。

 そんな中、翔一は唐突に思いついた疑問を口にした。

「お前、こんな時間に何でこんなとこ居たんだ?」

 放課後は生徒たちに与えられる、僅かながらの自由時間。当然、部活が無いものは皆、荷物をまとめてそそくさと帰っていくもの。翔一と冬島は桐谷に呼び出しをくらっていたから、帰るに帰れなかったのだが、光は違う。転校してきたばかりで部活に入っているわけないし、翔一たちのように、呼び出しをくらっていたわけでもない。

「待ってたんだよ、翔一を」

「……は?」

「だって、知り合いなんてあんたくらいしかいないし」

 まあ、そりゃそうか。ずっとイギリスに居たら知り合いはほとんどいないだろう。

「でも、クラスの奴らにチヤホヤされてたじゃねえか」

 翔一は少しむすっとした顔で言った。

「あ、もしかして嫉妬?」

「んなわけねえだろ!」

 軽口を言い合っているうち、もう家が見えてきた。

「お、んじゃな。……そういえばお前の家ってどの辺なんだ?」

 光が、ん、と言って指示したのは、翔一の家から目と鼻の先ほどのところにある家だった。

 翔一は開いた口が塞がらなかった。

「いつ、引っ越してきたんだよ……全然気づかなかったぞ」

「翔一が鈍いだけじゃないの? じゃあ、また明日!」

「おう」

 光はトタタと軽快に走っていった。その姿を見送って、翔一も家のドアを開けた。

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