書く「理由」

今回は書く「理由」。


前回、HTMLが私の「転機」になった、と。


元々、私は文章とは何の縁も無かった。


それがネットの活動を通じての発信に関心を持つ様になり、先ずWebページの制作に繋がった。


私はそのWebページの制作を通じてHTMLとCSSに関しては大体、使いこなせる様になったし、PerlやPHPのプログラミング言語も少しは書ける様になったのです。


私は先ず、そっちで書く事の楽しさを知った。


そしてWebページでの表現をする上で、コンテンツの一つとして文章に関心を強める事になったのです。


それが今は文章を書く事に夢中になっている。


一つの理由としては使用している端末が変わった事。


キーボード入力からフリック入力に変わった事で、以前程の量をこなす事が出来なくなった。


Web制作までやる余裕がなくなったのだ。


その代わりに改めて文章を書く事の面白さに気付いた様にも思う。


勿論、私的には文章を書く事もHTMLやプログラミングを書く事も同様の面白さを感じてはいるのだろう。


それは以前にパズルに例えて書いたりもした。


そこで書いた「自分の想いを残しておきたい」というのが、もう一つの文章を書く「理由」になる。


私は自殺サイトでの活動を通じて、人はそれぞれ、様々な想いを抱いている事を思い知った。


勿論、そんな事は誰でも分かっている事なのかもしれない。


私だって、そうだった。


しかし実際に様々な方の話を聞くと、改めて思い知るんだよね。


その人の想いというのは、その人、固有のものなんだって。


そして、それは私の想いも同様。


私の想いは、他の誰でもない私が発信しない限り、他の誰にも伝わる事はない。


そして、その想いを一人で抱え込んでいても、それ以上、何の可能性も生み出す事はないだろう。


勿論、私の想いが可能性を生み出せるのかは分からない。


それでも、自らその可能性を否定してしまって、抱え込んでしまう事は勿体なく思うんだよね。


だから先ず、発信しておく。


それを可能性に出来るかは、自分の才能は勿論なんだけど、運や巡り合わせ、周囲の環境だったり、他の様々な要素が絡んできたりもするのではないか。


自分では、どうにもならない事も出てきたりするだろう。


しかし少なくとも、ネットが出来る環境さえあれば、発信する事までは自分次第で出来るのだ。


そして、その発信の手段として、様々な表現がある。


それを以前に野球に例えたりもしたけど、それぞれにそれぞれの面白さを感じてもいるのだ。


それで私は今、先の理由と合わせて、ネットで文章による表現をさせて頂いている。


ただ、それも、いつまで出来るかは分からない。


恐らくは、この端末でネットに繋げる事が出来なくなった段階で終わってしまうだろう。


だとすると、長くても、後、数年くらいだと思うんだよね。


というか、すでに年を越せるかも怪しい状況にある様に思う。


そんな中で、後、どれだけ自分の想いを綴る事が出来るのか。


まあ、やれるだけやって、後は天命を待つしかない。


シリーズ【書く】了。

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