6.きっと、すぐそこにあるもの

 病室を後にした篤騎と帆波は、町外れの山に来ていた。

 雪が降っていることとは関係無しに、特に深入りするつもりはなかった。ただ、目的達成のためだ。


「いや、懐かしいわ。ここ来たの何年ぶりだろな」

「どうだったかな。でも、きっとここなら」


 四つ葉のクローバーが咲いているかもしれない。二人とも、そう思っていた。

 幼い時分、かつて二人で冒険を繰り広げた山だ。誰にでもある、何の変哲も無い小さな思い出。そこで初めて目にした『四つ葉のクローバー』を――篤騎が帆波のために摘んだ思い出を、忘れたりするものか。

 二人は決意を胸に、歩を進める。


「それじゃ、ほんとのことを聞こうかな」

「あぁ」


 篤騎はこの山に着いた時、この勝負を吹っ掛けた本当の理由を言おうと決めていた。

 雪を踏み締め、山道を行きながら語り出す。


「お前さ、自分の幸運体質が嫌いって言ってたろ?」

「うん」

「いつまでもそれじゃダメだと思うんだよ。だから――この勝負で俺が勝ったら、お前の幸運なんてもう信じる必要無いって、証明できる」

「……はぁ」

「お前も本気で四つ葉のクローバーを探して、かつ俺が先に見つける! そうすりゃ、お前はもう両親の事故を思い出して暗くなったりしなくていいんだ。だから本気になってほしかった」


 ざくざくと雪道を進みながら、視線は下から外さない。どこにターゲットがいるかは分からないのだ。


「あは、ははは。そんな理由だったんだ。要は気持ちの問題、って言いたいのね」

「カンタンな話だろ? もう理由なんていいけどな。今は、ただお前と山を登るのが結構楽しい」


 何気ない一言。それがどれほど帆波の胸を打っているのか、篤騎は気付いていないようだ。

 頬を夕焼け空のように染め、黙して彼女は続く。二人は探し続ける。


「羽矢音が言ってたぜ。陸上は他人と競うこともあるけど、まずは自分との戦いだって。お前も……自分に打ち勝て、ってさ」

「覚えておくよ。羽矢音ちゃんには、後でしっかりお礼言わなきゃね」


 雪が張りつく顔を拭いながら、篤騎は頷く。と同時に、足を滑らせて転倒した。

 クスクス笑いながら手をさしのべる帆波。素直にその手を取り、立ち上がる。


「ったく、普通逆じゃねぇ?」

「じゃあ、わたしが王子様で篤騎がお姫様ね。……あ、ほら。篤姫でちょうどいい」

「誰がちょうどいいんじゃ! ……って」


 それどういう意味だ?と言い掛けたところで、帆波がご機嫌そうに先へと走っていった。物語の王子と姫は、最終的に……というのが鉄板。あまり深く考えないようにしながら、篤騎はかぶりを振った。

 羽矢音に影響されたのか知らないが、帆波は元来の感情表現の豊かさを取り戻しつつあるようだった。長く接してきた幼なじみだけに、この変化は感慨深い物があった。


「うん?」


 かぶりを振ったその先。ちょうど、転んで手を突いたその辺りの雪が払われ、地面が見えている。

 同時に、篤騎は我が目を疑う。


「あぁぁ!」

「どうしたの? ……まさか」


 走っていった先から戻ってきた帆波は、しゃがみ込む篤騎を見て、ついに悟った。


「これ見ろよ」


 言われて、帆波も隣にしゃがみ込む。

 篤騎は地面の一部を手で押さえているが、ニヤリとした笑みを浮かべると、スッとその手をどけた。もちろん、そこにあったのは――


「クローバー、だね」

「見事に、四つ葉だな。……マジかぁ。長丁場になると思ってたんだけどなぁ。こんなあっさり見つかるとは」


 ――四つ葉のクローバーだ。

 凍てつく冬の雪の下で、未だその緑を失わない四枚の葉。幸運の象徴とも言われるそれが、『篤騎の勝利』を告げていた。しかし、なぜか早く見つかりすぎたことを嘆くような口ぶりで頭を掻く。

 そうしていたのも束の間、彼は大きく息をついた。雪にまみれてかじかむ手など、もはや気にする余地も無い。彼は立ち上がり、諸手を天に突き上げて叫んだ。


「おっしゃぁぁぁ! 俺のッ、勝ちだッ!」

「……はぁ。負けた、みたいだね。見落としてたよ」

「はは、まさかこんな早く終わるとはな。……いやぁ、あれだな! 早く見つかりすぎて心の準備が全っ然終わってないわけだけど、約束のこと、覚えてるかよ?」

「あ」


 ――負けた方が、勝った方の願いを一つだけ聞く。たしかに、そういう約束が交わされていた。

 帆波は今になってそれを思い出し、戸惑いを見せ始めた。目を泳がせ、つんと口を尖らせて後ろ手を組む。元はといえば、この戦いには興味が無かったわけで、約束など記憶の彼方だった。それでも、思い出した以上は違えるわけにもいかなかった。


「……い、いいよ。願いって、何?」

「ちょっと待て」


 手の平を向けて帆波を制し、篤騎は後ろを向いた。

 二度、三度、と深呼吸を繰り返す。胸に手を当てると、己の動悸を強く感じる。


「あー……俺ってば、ボキャブラリ無ぇしさ。色々考えてもまとまんねぇの。でだ、こういうのは迷わず、すぐにスパっとストレートに言うべきだと思ったり、考えたりな、まぁ、するわけですよ」

「すでにスパっとしてない気がするけど。それで?」

「いいか――」


 そして。


「俺は、帆波が好きだ。だからこれを機に、この俺、笠井篤騎と付き合ってください」


 一秒。

 二秒。

 ――五秒。


「え」


 帆波の唇が震える。

 顔が火照る。湯が沸くように熱くなる。朱は留まることを知らず、やがて驚愕に、目がいっぱいに見開かれた。

 口は動かない。いや、動かせないようだ。


「……だ、ダメなら、それは」

「だめじゃないッ!」


 篤騎が言うや否や、帆波は頭を精一杯左右に振りまくって否定する。続けて今度は縦に何度も振って、『願い』の肯定を告げた。

 やや沈んだ篤騎の表情がパッとはにかみ笑いに変わる。何も言えず、口をパクパクさせることしか出来ずにいる幸運少女が前にいる。

 左手は、思った以上にスッと前に出せた。帆波が、まだ僅かに震える右手でそれを取った。

 ただそれだけのことで――互いの震えが止む。言葉ではなく、肌と肌で想いが伝わる。鼓動が、聞こえる。

 笑顔にほのかな涙を浮かべ、帆波はそれを拭った。


「あの。よろしく……お願いします」


 春に雪解けが起こるように、変わっていく心。帆波はそれを実感として知っていく。

 篤騎もまた精一杯の笑顔で。この想いを貫くと誓う。

 雪をはらんだ風に、幸運のクローバーが揺れていた。

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