5.触れ合って分かり合う

 命に別状は無いと聞いていても、気にならないわけはない。

 降り出した粉雪も寒さも関係無い。篤騎は学校を途中で抜け出し、即座に教室を飛び出して病院へとやって来た。

 受付で病室を聞くと、看護師の案内を受けてそこへ向かう。ひんやりした雰囲気の廊下を足早に歩きつつ、心は全く落ち着かない。


(ここか)


 息を整え、病室に入る。

 白い清潔な部屋の中で、ベッドには羽矢音が横になっていた。骨折したらしい左足には包帯が巻かれ、とても痛々しい。


「やっほー、あっきん。しくっちゃった」

「羽矢音! お前、何がしくっただよ。心配したぞ」

「大丈夫だって。あたし、けっこー丈夫にできてるから。ま、車には負けたけどね」


 冗談交じりの返し。それを聞くに、羽矢音は精神的にも大丈夫そうなのが分かった。

 篤騎はベッドの傍にあるイスに腰掛けた。


「昨日のクローバー探しの帰り……車に轢かれたって聞いたけど」

「うん。向こうがスリップしたみたいでね。帆波ちんは、とっさにあたしが突き飛ばしたから、怪我したのはあたしだけ」


 その帆波の姿は、ここには無い。

 学校も欠席していて、携帯電話も通じないのが現状だ。


「まあ、元気そうで何より。……そこは良かった、って言っていいのかな」

「ありがと。できれば、松葉杖突いてでも学校行くよ。……それで、さ」


 帆波ちんのことなんだけど、と羽矢音は微妙に言いづらそうに切り出した。


「あたしが吹っ飛ばされた時、帆波ちんがあたしに駆け寄って言ったの。『わたしのせいでこんな目に』ってさ」

「え……」

「あと、『あの時と同じだ』って。どゆこと?」


 ――恐れていた事態が起こってしまった、と篤騎は思った。

 額に嫌な汗が流れる。こうなっては、帆波がこの場にいないのも無理からぬことだ。


「これも、『聞いちゃいけないこと』なのかな。多分、遅かれ早かれ分かることだと思うんだけど」

「……そうだな」


 篤騎は決心を固めた。羽矢音は帆波を信頼している。逆もまた然り――そうだろう。

 ならば、あえて領域を侵そうと思えた。

 重い口が、岩戸のように開いていく。


「あいつな。三年前、交通事故で両親を亡くしてるんだ」

「えっ」

「車同士の衝突だったらしいんだけど……運転してた父親、助手席の母親は即死。後部座席の帆波だけが、生き残った」


 重苦しい事実に、羽矢音は口を金魚のように開閉することしかできない。

 両者が黙せば、窓を閉め切った室内に音は無く。やや間を置いて、篤騎は続けた。


「それで、周りは言うんだよ。帆波は『幸運にも』助かったって。奇跡だって。俺は全部が全部、運なんて不確かな物のおかげだとは思わねぇけど……実際、あいつは本当に『運の良すぎる』奴だったから」

「そうらしい、ね」

「あいつがあんまり笑わなくなったり、一人になろうとするのはそれからだよ。自分の幸運は、人を不幸にするのかもしれないって。望む望まないに関わらず、自分が幸運を味わうたびに、どうしてもあの事故を思い出すって」

「……まさか。そんなことって」

「もちろん、やっぱりそんなのあり得ねぇよ。ただ、そりゃ無理も無い話だけどさ、アイツは必要以上にあの日のことを思いつめてるんだ。PTSDとか、心的外傷とかいうヤツか? 精神的にも……まるで、立ち直れないみたいでさ」


 篤騎は全てを言い切った。羽矢音もまた口を閉じ、押し黙ってしまう。

 お互いにうつむきがちな視線は交わらない。今この場で怪我をして横になっているのは羽矢音なのに、どうしても帆波の姿が浮かぶ。申し訳ないとは思いつつも、粉雪のようにちらついて脳裏から離れない横顔がある。

 会話が絶え、一分も経っていないのに、重苦しく感じる時間は永遠さながらだ。


「……」


 やがて、羽矢音はキッと篤騎を睨み付けた。


「なにそれ」


 声でようやく羽矢音の視線に気付き、篤騎もポカンとした顔を上げる。


「なにが……なにが幸運だって? 帆波ちんは、あたしが助けたんだよ。何? あたしが助けようって思ったのも、あたしがその場にいたのも、そもそもあたしが『帆波ちんと友達になりたい』って思ったのも、全部ぜーんぶ運のおかげ!?」

「……」

「なまじっか運がいいからって、全部それのせいにしちゃうの? そんな人生つまんないよ。実際、絶対に今の帆波ちんは楽しくない。そんな、そんな幸運なんてクソ食らえだっ!」


 声を荒らげ、ばふっとベッドを叩く羽矢音。

 篤騎は何も言わず、その続きを待った。


「あたしは、本当に心から友達になりたかったんだよ」

「あぁ。二人を見てたら分かる」

「なら、少しくらい自惚れたっていいかな……本当の幸運は、あたしとか、あっきんとかが、こうして帆波ちんのことを想ってるってことでしょ。あたし、こんな怪我ちっとも痛くない。それより、帆波ちんがここにいないことが、辛い」


 羽矢音らしい。篤騎は思わず微笑が込み上げてくるのが分かった。

 自分の怪我も省みず、掛け値無しに友人の心配が出来る少女。それが羽矢音なのだ。


「やっぱ、お前のそういうとこすげぇよ。俺にはかなわねぇや」

「あっきんはあっきんで優しいよ。真っ先に来てくれて、その。すごく、嬉しいし……」


 ポツリと呟く羽矢音。

 あ、いや、でも、じゅぎょーサボったのは謝らなきゃダメだよ!と慌てたように付け加え、なぜか窓の外に視線を逸らす。不意にもぞもぞ動こうとしたせいか、いててと小さな苦悶の声が続いた。

 ――良いタイミング、とはこういう状況を言うのだろうか。彼女の呟きに呼応するように、病室の扉がコンコンと控えめに叩かれた。


「どうぞー」


 羽矢音の呟きに応じ、扉がどこか遠慮がちに開く。

 現れたのは――帆波だった。


「……羽矢音ちゃ」

「あー、帆波ちん! こっちこっち!」


 突然の呼びかけに一瞬驚き、しかしすぐにバツが悪そうな表情に戻る帆波。言われるがままベッドに近寄るも、どこか尻込みした様子だ。

 そんな煮え切らない様を見て、羽矢音はぷーっと頬を膨らませる。


「よく来てくださいました。ちょっとそこでかがみなさい」

「……え?」

「もうちっと、下、下」

「??」


 帆波の見舞いの言葉より先に、羽矢音はせかせかと促した。言われた通りに帆波かがむと、顔が横になった羽矢音に近付く。

 篤騎が何事かと思って傍で見ていると――


 パァンッ


 ――鍛えられた身体能力から繰り出される、渾身のビンタ。羽矢音の手の平が、思いっきり帆波を張った。

 しかし帆波は動じず、痛む頬も抑えず真顔で向き直る。


「幸運じゃないよ」

「……え」

「あたしが帆波ちんを突き飛ばしたんだ。だから、帆波ちんが怪我しなかったのは、あたしのおかげだ!!」

「……えぇと」


 唐突な言葉に困惑する帆波。堰を切ったように飛び出す羽矢音のマシンガントークは止まらない。

 ふさぎ込んだらしい帆波をどれだけ心配したかとか、あたしのことで気に病んだりするなとか、先程まで篤騎と語っていたことも含めて洗いざらいぶちまける。引く時は引き、攻める時は攻める。羽矢音の言葉は帆波の心を直接叩きつけるように、次々と生まれていった。

 篤騎はそれを脇でずっと見守っている。

 傍から見ていると分かることもあるものだ。最初は怒り心頭の顔だった羽矢音も、だんだん笑顔に近付いているし、言葉にユーモアが増えている。ガチガチに強張った帆波の表情も、今は柔らかい。

 そして気付く。片やまくし立て、片や相槌を打つそのお互いの目に、涙滴のがキラリとたたえられていることに。

 やがて言葉の洪水が終わった時、そこにいたのは――紛れもなく、掛け替えのない二人の友達だった。


「うし、分かったら今日は面会終了。あたしは大丈夫!」

「ホントか? 無駄に力入れすぎて治る物も治らないんじゃねぇの?」

「おっ、あたしの脚力なめんなよー。完治したらたっぷりこの太ももで挟んでやるからなー」

「やめなさいったら」


 三人で笑い合い、やがて篤騎と帆波は立ち上がった。じゃあね、と軽く挨拶を交わして病室を後にする。

 せいぜい三十分程度しか経っていなかったはずの時間は、三人の心に爽やかな風を通していたのだった。

 そして去り際。

 羽矢音は見逃さなかった。互いにはにかんだ笑顔を交わす、信頼し合った二人の姿を。



 ◇



 病室には羽矢音が残った。


「行っちゃったか。あー、帆波ちん可愛いなぁちくしょう。あたしよりおっぱいでっかくて綺麗な女の子の幼なじみとか、羨ましすぎるぜー」


 長々とした独り言が病室に響く。無理して強がろうと、あえて声に出す言葉が自らの胸を打った。


「本当に好きなんだろうなー。あの恋する乙女の笑顔……ありゃ無理だわ」


 思い出し笑いに、咽び声が混じる。


「……こんなイイ女を泣かせやがってよー。これで『不幸』にしたら許さんぞ、あっきん」


 右腕で顔を拭い、もはや嗚咽で言葉は続かない。


(頑張れ、あっきん。帆波ちん。二人なら、きっと大丈夫だよ――)


 目に見えない気持ちは、未だその姿を現わさない、四つ葉のクローバーのように。

 きっと、届くのだろう。

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